10 それでも仲間だから
他人と関わる方法は三年以上前に忘れてしまい、雪や木々の方が理解できるようになっていた。明日の天気は分かるが、一葉の次の発言は予想できない。不仲はそれが原因でもあるだろうが、一葉の意見が逃げ回る兎のようにあちらこちら飛んでいくのも悪い。根本的に考え方が違うから、話し合ったとて理解ができたとしても納得できない。
「終希、勘違いしないで。あの人達が許せないのは私だってそうよ。沢山の人を殺したわ、なんの罪悪感もなく。もちろんその中には友達だった人もいた。……でも死んだら何もかもが終わりなのよ、あの人達だって根はいい人かもしれないじゃない」
そう、このとんでもない平和脳が一番意味不明だ。加害者を許す寛大な心はどこに行けば手に入るんだ、小学校で偽史と共に洗脳されたか。
「それにね、知っている人が死ぬってとても悲しいことでしょ」
「……悲しい?」
しかし、花咲き脳内に絶句するよりも、俺が抱いたことの無い感情を恥ずかしげも無く披露することが不思議でならなかった。悲しいなんて感情はどこから湧いてきたのだろう、と。
「ええ、とても。だから研究所を開放して二度と人体実験をさせないようにするの。私のゴールは誰も殺されない世界を作ること」
他人の目標などどうでもいい。
「人が死ぬのは悲しいことか?」
「えっそこ……よく知らないけど終希も大切な人を失って居るんだろうし、わかってくれると思ったんだけど」
「……さあ」
五年前、家族が殺された。言葉に起こすなら放火という字が当てはまるのだが、それでは生温い悲惨な光景だった。
あの時、湧き上がった感情は怒り、憎しみ、そして悔いだった。何故殺されなければならないのか、何故俺の家族だったのか。そして何故俺と龍を除くG型四八人全員を殺害した研究所の奴らは今ものうのうと生きているのか。理解出来ず全くもって許し難い事だった。悲しみに昏れることも出来ないほどの怨讐(おんしゅう)が俺を支配した。
「……今度貴方の話を聞かせて」
一葉がふっと笑って口を開いた。
「なぜ話さなきゃならない」
「仲間のことを知りたいと思うのは変なことかしら」
「余計な詮索をするな。時間の無駄だ」
悲しいなどと言っている一葉に俺が理解できるわけが無い。
「言葉にしないと何も分からないわ……」
どうしてこんなことも分からないのか、と呆れ果てて雪を蹴った。本当は俺を蹴りたそうにしていたが、そうしなかった。
一葉は時々こうやって考えを見透かしてきた。教えるつもりなど毛頭なくても、そうやって距離を詰められるとつい秘密を話してしまう。龍のことだって話すつもりは全くなかったのだ。
こんな平和ボケした奴に伝わるわけがなくても、話せば少しは理解はしてくれるような気がしてしまうのが一葉の嫌なところだ。
「……分かった。制圧するまでは協力しよう。それからは……」
何度諭されようと復讐の火が消えることは無いが。
「ええ。そのときまだ貴方があの人達を皆殺ししようとしているなら私、貴方と戦うわ」
一葉は元々そうするつもりで戦えと言ったらしい。残念ながら敵だという認識は間違っていなかった。ただ、それは最後の話。今はお互い納得のできない理解者だ。
一葉は第一印象も今の印象も、東京の腐った空気を吸って育った非現実的な平和思想馬鹿だ。どうして研究所育ちの実験動物のくせに研究者を擁護するのか、どうして悲しいなんて言っていられるのか、俺にはその思考回路が微塵も理解できない。
「……そのときまでは仲間でいよう」
それもいずれ分かる時が来るのだろうか。
「ええ。よろしくね、終希」
「よろしく」
差し伸べられた手を無視して立ち上がり、胸の痛みに顔を顰(しか)めて先に帰宅した。手を掴んだらいつの間にか現実味のない性善説すら理解してしまう気がしていた。
――東京に帰すまであと零日
すぐに追い出すのは止め、少しずつ俺の話をしているうちにその日が来てしまった。一葉を東京に送りたくはなかったし、一葉自身も帰りたそうにはしていなかった。
一葉の発言には一貫性が無く、信用がない。「協力する」と言った次の日には怪訝な顔をしている。「歴史を改竄(かいざん)するなんて」と悔しそうにするくせに、次の日には研究者を擁護する。これから先も同じようにコロコロ意見を変えていくことは容易に想像できた。今までの話の全てをあいつらに流すかもしれない。
しかし一葉の左首にはチップがあり、ここにいると場所がバレてしまうからどうしようもない。取り出して死亡したことにしようかと提案したが、「死体回収に来るわ」と機嫌悪く言われてしまった。果たしてここまで電波が届くのかは分からないが、初対面で殺さなくて良かったと心から思う。最初からそう言ってくれれば銃を取り出さなかった、と叱咤したら「それはつまらないわ」と返されてしまった。
裏切られない保証はないが、無理に囲っておいても計画が破綻する。こうなっては八方塞がりだ。一葉の考えがまとまっていないことを念頭に置いた上で腹をくくるしかない。
ただ、これがもし――
「一葉、これを持っていけ」
家を発つ準備をしている一葉に一冊のノートを手渡した。嫌な記憶しかないだろうが、全てのページに数度目を通すように念を押す。
「日記? いいの?」
旧世界末期、箱舟選別から筆者が死ぬまでを綴ったものだ。二階で読んで吐いていたが、これを読んでいれば考えが揺らいでも戻ってこられるだろう。
「これくらいしか渡せないが、歴史の勉強にはなるはずだ。後ろの方は何も書き込まれてないから、東京と研究所の地図をできるだけ詳細に書いてくれ」
「……わかった」
――これがもし、チップによる思考修正だとしたら。
「じゃあな、一葉」
「またね」
「頼む……」
青空と雪山の境に消えていく緑色を見送りながら日記の写しを握り締めた。「実験を止めさせる」という、揺れる考えの中でずっと変わらないその言葉を信じ続ける以外、一葉が帰ってくるまでの長い長い月日を平常でいられる術はなかった。
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