8 転機、意思、衝突
――東京に帰るまであと四日
「もう東京に戻ってくれないか」
次の日の昼下がり、研究所のことで悶々していたときに外から戻ってきた終希が唐突にそう切り出した。私の足でなら一日あれば戻れる距離だということは数度伝えたので終希も分かっているはずだが、急にやたら焦って帰ることを急かしてくる。ずいぶん自分勝手な人だ。
「でも、まだ余裕はあるわよ。もっとゆっくりでもいいじゃない……東京に戻ってからすぐに帰って来れるとは限らないもの」
「ここがバレたら一環の終わりだ。いつまでももたもたされると困る」
「でも……」
しかし私にはもう少し考える時間が欲しかった。研究所が何を隠しているのか、なんのために実験をしているのか。作動までの時間は迫っているが、あと四日あればそこまで焦ることはないはずだ。
確かにもう足は良くなっており、東京に帰るくらいどうってことはないくらい回復している。ただ、帰りたいか帰りたくないかと聞かれたら、即答する。帰りたくない。
こんなこと来た当初は考えられなかった。なんと、終希が私を追い出そうとして私が居座ろうとしている。
「研究所、行きたくないのよね……」
ポロッと弱音がこぼれて、終希が「あぁ」と納得した声を出した。
「お前の言う帰るところは東京じゃなくてさらにその中心地か。東京に逃がすには惜しい、貴重な実験対象って訳だ」
「やめて、その言い方」
「なら好都合じゃねえか、内部の地図持ってきてくれ」
自分のことしか考えない終希の態度が頭にきて、ピンと伸ばした足を終希の首を目掛けて振り回した。私は人間ではないと、貴方もそう言うの? 私はまだこの居場所を失いたくない。
「っ!」
危うく当たりそうになったときにやっと反応した終希は、足首を手で受け止めきれずよろめいた。
「……足、もう大丈夫なんだな」
「終希、反応遅いわよ。ナイフを仕込んでいたら殺してしまったかも」
「助かった」
足を軽く押し返され左足に揃える。そうか、終希は近距離か突飛な動きに弱いのか。
苦々しく衝撃を受けた左手首を叩いているところを狙ってもう一度回し蹴りをすると、今度は余裕を持って止め、鬱陶しげに払い落とした。
「やり返さないのね」
「……仲間だろ」
「だからって戦わない理由にはならない」
「なる」
反撃してくればいいのに受け止めるだけで何もしてこなかった。先日はあんなに楽しんでいて、戦ってくれとまで言ったのに。嫌いなのはよく分かっているから、そこまで無理して大切にしてくれなくたって良い。
ああそうか、やっぱり私が裏切るかもしれないと思い返したのか。どこかで私が迷っていることがばれていたのだろう、思い当たる節はありすぎる、終希と違って私は顔に出る。それともほかに何かあったのだろうか……理由など何でもいい。
「ねえ終希、足が治ったら戦ってくれってこの前言ってたよね。今いいかしら」
「いや、今は……」
後ろ向きな終希をいち早く殴りたくて、地雷をわざと踏み抜くことにした。悩んでいることがばれているなら隠す必要も無い。
「実験体が作られたことでここまで東京が発展したのなら、一概に悪い人たちとは言えないわね」
研究所が良人の集まりだとは思っていない。ただ、終希を怒らせたかっただけだ。
「何……?」
読み通り一気に空気が凍え上がる。そう、それでいい、と内心ほくそ笑みながらリビングから出て玄関へ向かった。
終希がここを私のいる場所として認めてくれているのはとても嬉しい。しかし、それでも、都合のいい実験体としてではなく一人の人間としてが良かった。
「私は貴方に同情して駒になるって言ったわけじゃないわ。復讐なんでどうでもいい、実験体なんて言われない世界が欲しいだけ!」
「どういうつもりだ」
着いてきているのを足音で確認しながら玄関を開けて外に出る。周りがだだっ広い雪広場であることを視認し後ろに三度飛び、ズボンの下に隠していた愛用のナイフを抜いて重心を低く落とした。切っ先を玄関で鬼の形相をしている終希へ向けて構え、引いた右足で雪を押し固める。
こんな遮蔽物のない場所で遠距離武器を使う相手と戦うのは無謀だが、これだけ距離があれば投げナイフくらい対応出来るだろう。
「人殺しには賛同しない。でもね、歴史の真実を知って、研究を止めるためなら貴方と共に行きたい」
口に出してようやく自分のやりたいことがはっきりと分かった。そうだ、私は差別のない世界を作りたいんだ。もう苦しむ人がいなくなるように、私のような人を生み出さないように。
「あの壁を壊して、新しい世界を作る!」
終希、私と同じ考えになる必要は無いから、せめて私の考えを理解して。
「……なんも知らねえくせによくそんなこと言えるな」
終希は大きく肩で息を吸い、何もかも燃やし尽くす炎のように緋い目で私を軽蔑していた。
――分からないなら、分かるまで叩きのめしてやる。
同じ考えがぶつかり合った次の瞬間、終希は玄関に隠してあったハンドガンをまっすぐ構え、私の脳天へ照準を合わせて迷うことなく発砲した。
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