7 途切れた人類史2

 寝起きを見られた羞恥心と怒りを混ぜて睨む。当の終希は睨まれている理由がわかっていないように首を傾げた。ダメだ、こいつ他人との関わり方を知らないんだった。

「今何時?」

 ため息混じりに窓をチラ見し、朝日が差し込んでいるのを見ながら聞いてみる。寝坊したというような時間ではないだろう。

「知らん」

 ……そういえば時計すらなかったんだった。バッグの中から腕時計を出して見ると、短針は七を指していた。だからなんという訳では無いが、なんとなく確認したくなる時がある。

「ふわぁ……戻ってくるときに時計と発電機持ってくるわ。電気がないのは本当に不便よ、なんなら電子レンジも担いできたいくらい。天井照明あるのにつかないなんて信じられないわ」

 あれ、私はどうして東京から戻ってくる前提に話をしているんだろう。ふと首を傾げそうになり、肩を竦めて誤魔化した。

「いらねえよ、何に使うんだ。飯出来てるから早く降りてこい」

「生活必需品じゃない」

 この生活にも随分慣れた。終希と時折馬が合わないことと電気が通っていないことを除けば、こののんびりとした家は居心地がいい。心をえぐる罵倒をする人がここには来ないという安心感がある。確かに別の意味で危険は存在するが、言葉と違ってナイフは目に見えるので予測しやすかった。


 食事中に昨夜の話の続きになった。

「昨日の話の補足をしようかと思ったけど、旧世界の話はお前殆ど理解出来てねえからもうしない。それより箱船から出た後、つまり研究所のことについて知っていることと推測を共有しよう」

「ポンコツ頭で悪かったわね」

 フォークで茹でたジャガイモを突き刺して口に放り込み、咀嚼して飲み込む。しっかり味付けされているのにあまり味がしなかった。強引に歴史を変えた研究所のことだ、あまり聞きたくはない。胸糞悪くなるのが分かりきっている。

「でも」

 茶碗を持つ。昨日のほぼ誘導された閃きを確認するために恐る恐る口を開いた。

「百人からこの世界が始まったってことは、研究所初期メンバーの子孫が私達ってことでしょ」

 そうでは無いと言って欲しくて、箸を持ったまま終希をじっと見つめた。それ以外ありえないけれど、そうでは無いと思うために。

「……なんだその顔、答えはイエスだ」

「ちょっとまっ……」

 少しくらいこっちの気持ちを察してくれたっていいじゃないか。

「何ショック受けてるんだよ。自分で聞いたんだろ」

 ご飯も味がしない。熱でも出たのかと思って手を額に当てたが、至って普通のようだ。きっと昨日から衝撃的な事が多すぎて味を認識する余裕が無いんだろう。

 私とその周辺だけだったら良かったのに、今を生きる全員があの脳みその腐った研究者達の子孫だなんて。流石にもうやらかさないが、口の中で六本足の虫が蠢いているように不快だ。

「……いや、血が繋がっているわけじゃないだろうから、子孫というのは間違いかもしれない」

 フォークを咥えたまま二回瞬きをした。結局どっちなんだ。

「考えてもみろ、百人から二百年で東京に活気が生まれるほど人口が増えるわけないだろ、ずっと子沢山だったなら分かるがそういう訳でもない。おかしいんだよ、少人数から分岐したのにあんなに人がいて、それでいて多様性があるのは」

「何が言いたいのか全然分からないわ」

 考える時間を確保するためにお椀に口をつけてスープを胃に流し込む。人口が増えすぎで不自然だと言われても、人が増えるには産まれることしか方法がない。私達実験体のようにガラス管から生まれたならまだしも。

 ……ん?

「ねえ貴方まさか、全員実験体だと言いたいの? 言っておくけど、実験体にはもれなく焼き印がつけられるわ。皆の首にはそんな物は付いていないのよ」

 生まれたときに押される焼印は実験体の証だ。だから、それがないということは普通の人間の証拠にもなる。小学校で焼印があったのは私だけだし、街でも刻印のない首をさらけだしている人ばかりだ。

 それが首に醜い数字を持っている紛い物の私達にとっては「皆と違う」という実感につながって辛いのだが。

「ああそうだな、俺が言っているのは今生きてる奴らのことじゃない。研究所生まれだったのは最初だけだろう、八人から例えば五千人に増えたらあとは放っておけばいい」

「なにそれ、そんなことできるの?」

 まだ研究者の子孫であったほうが気分が良かった。実験体は私と道場にいる仲間達だけで十分だ。一般人はあんな所と少したりとも接点を持っていてはならない。

「知らね、東京にいたお前の方が詳しいんじゃねえの」

 それはつまり「わからない」ということだろう。

「新世界の話は全て俺の予想でしかない。あいつら情報を隠す能力は人類史上一番高いんじゃないかな、突然爆発的に増えた以上のことは推測の域を出ない」

「隠してるってことはやましいことがあるってことよね」

「じゃないと隠す必要が無い」

 食べ終わった食器をシンクに並べると、終希は当然のように日記を片手にしてソファに座った。後片付けの類いはいつも私がやっている気がする。

「それじゃ、私が知ってる歴史話そうか?」

 洗い物を終えタオルで手を拭き、それを洗濯した記憶が無いことに気がついて洗濯機……は無いのでシンクに水を張って手洗いしながらそう持ちかけた。

 知っている限り、シェルターから出てきてからの歴史は特にこれといった波がない。地震があったとか大量殺人事件が起こったとか、言ってしまえばその程度の事件だけで、戦があって生活様式がガラッと変わったというような話は一つも無い。政治的な出来事もあることにはあるが、税率が一%変わったとかちょっとした法律が変わったとか、その程度。平和で良い。

 研究所が話題に上がることはほぼ皆無だ。人類がシェルターから出てすぐ閉鎖されたと言うことになっていて、壁の内側が立ち入り禁止区域となってからも動いているということすら知る人はいない。

「いい。どうせ研究所と政治についての情報は皆無だろ」

「……ええ」

 私が初めて教える立場に立てたと思ったのに、バッサリ切って捨てられては話す気が失せた。どうせ私が知ってる話なんて終希も知ってるし、話したところで笑い飛ばされるだけだ。

「え……マジでなんも無いの?」

「貴方が欲しいような情報は何も無いわよ」

 手が痛くなるほど強く絞ったタオルをタオル掛けの穴に通して短い方を力任せに引っ張ると、タオル掛けがミシッと音を立てた。

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