6 途切れた人類史1

「コールドスリープっていうのはタイムトラベルの一種だ。人間を低温に保ち、生命活動を停止させることで未来に行く技術」

 驚く私をよそに、終希は特筆して言うことではないように淡々と告げる。

「ただ……」

 そして、日記に目を落とし「一万」という数字を指して言った。

「細胞を破壊しないように凍らせて保存するから莫大なエネルギーが必要だ。百人が限度、維持のことを考えると実際はもっと少ないだろう。一万人は絶対に無理だ」

「ちょっと待って! 流石にそれは嘘よ」

「どうして」

「コールドスリープなんて無理に決まってる、一度凍らせたものをどうやって溶かすのよ」

 あー、そっか。と口に手を当てる。また説明の必要があるものが増えて不機嫌になるかと思ったが、困ったようで黙ってしまった。

「俺も分からん」

「今までのことはなんとなく分からなくもなかったけど、これだけは嘘っぽく感じるわ」

 無理なものは無理、タイムマシンもワープポイントも、技術が発達しようが何しようが無理なものは無理だ。

「俺はそこまで非現実的じゃないと思うけどな。大衆に知らされていない裏の話は資料が少ない。情報が少なければ信憑性も落ちる。旧世界のことは分からないことばかりだ」

 そう言って苦笑いする。終希にも分からないことがあるのは少し安心する。

「お前ほど無知じゃねえけど」

「終希……」

 舌打ちしそうになるのをぐっとこらえて代わりに斜め下を睨みつけた。

 今のところ目に見える灰の存在以外きちんと腑に落ちているものは何も無い。信じがたいことばかりで何一つ理解できていなかったのに、コールドスリープという現実離れした単語が増えたところで飲み込めない状態が酷くなっただけだった。「そういうものがあるのです」と公式を丸暗記させられたときのような落ち着かないふわふわした感じがずっと歯がゆく居座っていた。

 言葉の消化不良を起こしながらも無理矢理飲み込み、なんとか話について行こうとする。

「その百人がええと……二百年じゃなくて、千年近くタイムスリップして今の世界を作ったってこと?」

「ああ。恐らくそいつらが研究所の初期メンバーだ」

「なっ……」

 それなら、この世界は全てあの研究所から始まったということになるじゃないか!

 終希はゆらゆら揺れる炎を見つめてじっと目を細めた。

「場所を考えたらしっくり来るだろう。そいつらは千代田区、研究所がある場所の地下に箱船を作って、選別した人間を凍結させて灰が収まるまで約千年間眠った。これは予測だが、その間安全に解凍出来る凍結状態を半永久的に維持するために地上にAIを配置して人間の営みを保存するシステムを構築し地上のあらゆることにたいして観測、予測とそれに対する対処を……」

 信じられない情報に脳が処理不良を起こしているのに更に情報量が増えてもう頭がパンクして何も聞き取ることが出来なくなった。目が回る。

「……聞いてる?」

 冷たい声が意識をふっと現実に引き戻す。終希が目の前で静かに怒っていた。その目はやはり、少し怖い。

「えっあ、聞いてるわ」

「じゃあ分かった?」

「いいえ、全く」

 あっと口を塞いだときにはもう遅く、終希は鬱陶しそうに目を細めて息を吸った。

「清々しい程の正直さだな。今度は包丁を投げてやろうか」

「刺されたら分かると思うの?」

 獣が唸るように怒りをぶつけてくるが、そうは言ったって分からないものは分からない。頭の使いすぎで目が回り、貧血に似た頭痛がする。もう休みたくて少しだけある罪悪感を誇張しながら欠伸すると、終希は日記を片手で閉じてランタンを私の前に寄せ、立ち上がった。

「……まあいいや、さっきのは俺の推測が多すぎる。明日続きを話すよ。これ消し方わかるか」

 答えを聞くよりはやく暗闇に足を向け、扉を開けてリビングの外に出ていく。ランタンの消す方法がどこかに書いていないか探している間に姿を消してしまった。

「分からないわよ……そういえば声枯れてなかったわね」

 仕方なく、灯りを片手に階段を三段程上がる。あっと気がついて引き返し、コートや毛布を引きずってなんとかベッドにたどり着いた。

 結局ランタンはつまみを色々弄ったら消えたが、どうして消えたのかはさっぱり分からなかった。

 かき集めた布類にくるまって目を瞑り、今日のことを振り返る。

 私が知っていた、教科書に書かれた歴史は一体なんだったのだろう。どうしてこんなに違うのだろう。灰というありふれた、実はとても危険な物質のことも、過去のことも、何一つ知らされなかったことにむなしさと怒りを感じる。

 研究所が新世界の始まり。それなら、隠したのも恐らく研究所だ。

 一方、知ったことを後悔もしていた。教科書通りの作られた歴史が本物だと信じられていれば今まで通りの不安のない日々を送れていたはずなのに、知ってしまったことで世界そのものが虚無に放り出され、どこへ向かえば分からなくなったように恐ろしくなる。

 何万年と続いていた旧世界との繋がりは絶たれてしまったのだ。空が灰色である理由があるなら空が青かった理由を解き明かした人だっているはずだが、私は青空すら知らなかった。旧世界の人々と私達は歴史でつながっているはずなのに、研究所が隠してしまった。私の今は誰かの一生の積み重ねではなく、研究者達の作り上げたファンタジーの上に成り立っていたのだ。

 どうして過去の人を皆消してしまったんだろう。

「私も何も伝えられずに終わっちゃうのかなぁ」

 暗闇に向かってぽつりと呟いた。

 どこか小さなほんの一ページでも良いから、どこかに私の生きた証が残っていて欲しい。私が死んでしまった実験体達を忘れずにいるように、私のことも誰かに覚えておいて欲しい。そうやって過去の人が作り上げたものをつないでいくことで歴史ができあがっていく。

ほつれてしまった歴史の糸を紡ぎ合わせるために、そしてこの先もその長い糸が途切れることなく紡ぎ続けていけるように自分に出来ることをしていきたいと思う。

 終希の言う歴史が本当なら、私にも研究所に刃を向ける確固たる理由があったんだ。


 いつの間にか朝が来ていて、目を開けるとフライパンを真上から振り下ろそうとしている終希と目が合った。

「ちょっ!」

「おはよう」

 私はベッドから転げ落ち、さっきまで頭が置いてあった枕にフライパンがぼふっと食い込んで新しい一日が始まった。

「勝手に部屋に入って来ないでよ!」

「は? 俺の家だぞ」

 ――東京に戻るまで、あと六日。

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