5 神話か実話か

 夕食の後落ち着いた私達はダイニングの机の上にランタンを置き、さっきの日記を読むことにした。私が目を回さないように終希が解説してくれるという。

「どこから話すべきか……戦時は変わってないだろうから、戦後からだな。……灰が何かっていうのは置いとくぞ、今は簡単に空気中の塵だと思っておけば良い。遠くが灰色に見える原因だ。そもそも新型爆弾の影響とも何らかの物質が変化したものとも言われてるが、本当のことは分かってない」

 何も分かっていない私に説明する終希も大変なようだ。

 人にものを伝えるというのは難しい。共通の常識がある上に行われているから普段の会話が成り立つわけで、そうでないと常識のすりあわせから行う必要がある。

 ここでは私が終希の常識に合わせなければならない。つまり、終希にとっては当たり前のことですらいちいち説明しなければならないのだ。

「灰の発生起源は戦時のイギリスで……おい、お前イギリスがどこにあるか分かってねえだろ。ヨーロッパの北西にある島の……まさかヨーロッパの場所もわかんねえのか」

「……はい」

 初っ端から何も分かっていなかったことを見透かされてしまった。

 東京の外が存在しないようなものになっているこの世界では、東京が島のどの辺にあるのかすら雑学に分類されるような知識である。

「はぁぁぁぁ……お前馬鹿だろ」

「はい……」

 たとえ私にとって超マニアックな雑学だとしても、終希にとっては当たり前に知っておくべきことのようで、あまりの呆れようにまた私は何も言えなくなってしまうのである。

「待ってろ」

 立ち上がり、ランタンを持って自室に行ってしまった。暖炉と窓の位置しか分からなくなった暗い部屋でライトが戻ってくるのをじっと待っているしかない。

 なんでこの家電気通ってないのよ。

 隣からガサガサと音がしてやがて止み、足音と灯りが戻ってきた。

「ほら、地図。ここがイギリス、いいな?」

 地図を広げ、左上の方を指さす。世界地図なんて見たのはいつぶりだろう。茶色かったり緑色だったりしていて、半分ほどが青い。これが海だと言うことは分かっている。

「わぁ……東京は?」

「ここ。そんなのどうでも良いんだよ」

 もっとよく見ようとのぞき込んだ所をパタンと閉められてしまう。

 イギリスは東京からどのくらい遠いのかは想像出来ないが、ともかく遠く離れた場所にあった。そこで発生した灰が東京まで来ているというなら……

「遠い国からどんどん広がって、世界中覆い尽くされたってこと?」

「ああ」

 終希は地図を光の届かない向こう側に追いやり、もう一度日記を開く。そして、急に私の目を見た。

「一葉、お前の様子を見るにお前がいたところでは旧世界末期のほぼ全てが隠蔽されていると言って間違いないだろう。俺は知っていることを全て話すつもりだが、分からない単語が出てきたらすぐに言え。イギリスとか」

「わかったわよ!」

「ははっ」

 私が何も知らないことを馬鹿にするのはもうやめてくれ。

「日記とお前の歴史、何が違った?」

 表情が消えるのが早すぎだ。急に真顔になると軽く恐怖を覚える。

「全部」

「箱船は」

「シェルターならあったわ」

 私が知っている常識はこうだ。

激しい戦争が四百年前に起こり、残されたわずかな人類は二百年間地下に籠もって暮らす。今から二百年前にシェルターから出た人類は、荒廃した東京を協力して建て直した。

それからすぐ東京は戦前の姿を取り戻した。地上は焼かれ過去の物はほとんど残っていなかったが、知識だけは失われていなかったのだ。

 対して日記や終希の話からは、戦争は千年ほど前のことで人類はほとんど地上で野垂れ死に、数少ない選民のみが箱船に乗ったと言うことが分かる。箱船にいたのは千年という途方もない時間だ。しかし箱船から下りて世界を復興する二百年間は私が知っているものと相違ないだろう。

「そもそも何故シェルターに入らなければならなかったと思う」

「灰があったから?」

「それは灰のことを知ったからだろ」

「そうね。……教科書には地上が酷い有様になったから地下に逃げたって書いてあったわ。草一本生えなかったそうよ」

「二百年も?」

 確かに二百年も待つ必要は無かったかもしれない。今まで変だと思ったことはないし、誰も疑問に思わなかった。

 終希は私の反応を笑い、一人で何か納得するとまた無表情になって淡々と続けた。

「地下に籠もったこと自体は事実だ。地球から生物がほとんど消えたからと言う見方ではお前の言うことも間違ってはいないが、そんなの地下で栽培して地上に持ってくれば良い。そのくらいの技術は今の東京にもあるだろ。本当は灰が発生して虫すら生きていけない星になったからだ。シェルターの存在意義は灰が減るまで、若しくは灰が無害になるまで待つことだ」

 ふっと暗闇が部屋を満たした。ランタンの油はまだ半分ほど残っていたと思う。

 終希が手探りで何かを弄るともう一度光が戻った。

「ありがとう。虫すらって、人間だけじゃなかったのね」

 ダイヤルのようなものを目を凝らして微調整している。やっぱり電気が無いのは不便だ。

「人間だけだったら薬を作れば良い。灰発生前にも数度疫病が流行ったが、ここまで酷くはならなかった。灰が他と決定的に違うのは、原因が空気であることと毒性の強さだ。罹患者……おい……病気にかかった人! を隔離しても意味がないのが灰の悪いところだな。呼吸をすれば死ぬ、しなくても死ぬ、それが旧世界末期だ」

 分からない単語があったときに正直に「分かりません」と手を上げたら怒られてしまった。分からないことがあったら言えと言ったのは終希だろう。

「箱船に入れたのは最大百人と生態系維持に必要な動植物の遺伝子情報だ。恐らく箱船と言いだしたのは市民だろう、呆れるほどノアそっくりだ……これは知ってるんだな」

「ノアの箱舟ってずうっと昔に作られた御伽噺でしょ? 有名な話よ。それより、これには一万人って書いてあったわ」

 夕方読んだページを探して指さすと、そこを見て「そうだった」と頷いた。

 ――最終的には一万人まで絞るってニュースで言っている。

「国の役人が書いたものとそうじゃない奴は違うんだよ。コールドスリープをやるなんて大々的に言えるわけねえし」

「ん?」

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