9 火花

 次の日になると、終希は普通に話せるようになっていた。喉の違和感は未だにあるようだが、問題にはならないと言う。

「もう歩けるんだな」

「ええ、おかげさまで」

 同じように私もほとんど痛みが引いていた。

 立ち上がり、ダイニングの椅子に座るとキッチンから声がかかった。いつも何も聞かず毎日違う家庭料理を二人前作ってくれる。居候の身で悪いと思うが、毎日の食事が楽しみだった。

 数分後テーブルに置かれたのは半熟のふわふわ卵で包まれたオムライスだった。料亭で出てきてもおかしくないほど良い香りが鼻腔をくすぐる。

「わあ、美味しそう。私オムライスが大好物なのよ。終希は?」

「別に」

 興奮して両手を合わせながら料理人を見上げ、彼との温度差を思い知った。終希は自分の分もテーブルに並べ、スプーンをごはんに刺して向かいに座った。

 いただきます、と二人で声を合わせる。私が話しかけない限り会話のない食事が始まった。

「じゃあ、終希は何が好きなの、得意料理は?」

「食えるもの」

 とてもめんどくさそうに答える。そういう割には味にこだわっていると思う。

「それならもっと手を抜くはずよ。私が来る前もこんな料理を作っていたんでしょ?」

「手を抜く……例えば」

「この材料なら、ごはんを炊いて、具を全て炒めておかずにするわ」

「なるほど。それは本には載っていなかった」

「は?」

 終希は目も合わせず完璧なオムライスを美味しくなさそうにスプーンを口に運ぶ。

「俺はレシピ通りに作っているだけだ」

 言葉が足りないことを察して補足してくれた。

 確かにレシピ通りに作れば良いものを作れるだろう。しかし、それは多少なりとも料理にこだわりがある人が行うことではないのか。食えれば良い精神の人から飛び出るセリフとは思えない。そして、レシピ通りに作るというのも簡単ではないはずだ。

「献立はどうやって決めてるの?」

「ランダム。あそこに抽選機がある」

 えええ、と呆れてスプーンを真上から突き刺した。掬う気力は彼が親指で指した先の、キッチン棚に置かれた四角い箱に取られてしまった。

 オムライスをあと三分の一残して終希の手が宙で固まった。

 またこれか。呆れて眉間を押さえるしかなかった。大体いつもこういうときは思考に脳の大半の機能が取られている。知識はとても多いのだが、マルチタスクが下手。

「どうしたの」

 いつもこうやって声をかけない限りずっと思考を続ける。私が振った話は簡単に返事してくれるのに、どうして自分が話を振る立場になると縮こまってしまうのか。

「んー……」

 前歯の隙間から息を吸い、ちょっと首をかしげて言葉を飲み込み、下唇を噛む。なるほど、どうしても話さなければならないことか。

「一葉、これからどうするつもりだ。具体的には、ここに残るか、それとも」

「それだけのために迷ってたの?」

「ここで殺されるか」

「はっ!」

 だめだめ、面白いことが多すぎる。こんな変な人初めて見たわ。

「変な人ね、会ったときもそう、喋ったと思ったら『気に入らなかったら殺す』あははっ、ねえ終希、貴方生きるか死ぬかしか選択肢を知らないの? 極端ね、いいわ、どうして殺されるの?」

 今時誰も言わないセリフを平気な顔して吐くのがたまらなく面白くて、終希の作った流れに乗ってふざけてみたくなった。美味しい最後の一口を放り込んでスプーンを置き、代わりに腰のナイフに触れながら挑発する。

 終希の左手も私と同じように腰に触れ、ベルトから刃渡り三センチ程度の小さな投げナイフを抜き取った。

 私がいつもナイフを腰に持っていることに気がついて牽制するつもりだったのか、終希もナイフを数本持っていたが、使われるのは初めてだ。その程度の大きさでは威力は無いしコントロールも難しく、刺さったとしてもたいした傷にはならないことは分かっている。その程度で牽制になるとでも思っているのだろうか。

木の棒を聖剣だと思い込んで勇者になった子供の姿と終希が重なった。その程度で脅すことができるのは同じようにファンタジーにとりつかれた同類だけだ。

 左手が胸の辺りまで持ち上がり、長い人差し指と中指の間に挟まれたちっぽけな刃が覗いている。デコピンのように指を弾いて飛ばす気なのだろうが、どうせここまで届きすらしない。

「っ!」

 ナイフが小さな音を立ててテーブルに転がる。反射的に左目の前で構えた手の親指を伝って赤い血がぽたりと落ち、遅れて痛みがフリーズした脳をたたき起こした。

 終希が投げたナイフを咄嗟に防いだのだ。見ると手のひらに一センチほどの切り傷ができている。思った通り傷自体は大したことないが、もし防いでいなかったらナイフは左の眼球から生えていただろう。

 終希はもう一本構えていた。理解が追いつく前に脊髄が危険だと判断してホルスターから相手の数十倍の刃渡りを誇るナイフを抜き取り、胸の前で構える。

 パチン、と指を弾く音が聞こえたときには既に刃が飛んで来ている。指で飛ばしたとは思えない速さと正確さで。

 キンッ!

 ナイフは的確に右目を刺そうとする凶器をはじき返した。

「貴方……何者」

「すげえなお前」

 二人の感嘆が重なった。終希も私がアレを防ぐとは思っていなかったようだ。

 終希は身を乗り出し、言った。

「なあ一葉、俺を手伝ってくれねえか」

 濁った飴玉のような瞳が初めて宝石のような光を放つ。でも、綺麗なんかじゃない。それこそが飴玉を濁らせている元凶のように嫌な感じがする。

「……なにを」

 イエス以外の答えを許さない光に刺されながらも求められているのとは異なる答えを提示するが、身体がこわばっていて、ナイフを未だにしっかり握りしめたままだった。

 時間の流れが遅くなって、終希の動きがスローモーションになる。

 目を閉じて、開いたとき私は動けなくなった。

 ゆっくりと開かれた口から放たれたのは死刑宣告だった。

「復讐」

 肩をがっちりとつかまれて首を固定されているかのように身体が動かない。空気が重くて、息が上手く吸えない。

「研究所を、潰す」

 やはり私にはここに残って協力するか口封じに殺されるかの二択しか無かった。

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