6 第一印象:嫌い



 もう一度寝転んでじっとしていると、手足の痛みは少し軽減する。

 キッチンから聞こえていた陶器の音はすぐに止み、代わりに包丁の軽快な生活音が響いてくる。あまりの静けさに耐えられず勇気を振り絞っていくつか軽い質問をすることにした。

「私、どれくらい寝てた?」

「三日」

「三日も! そんなに長く」

 返事がない。確かに返事を必要とするコメントではないが。

「……貴方はここに一人で住んでるの?」

「ああ」

「どうして?」

 いつまで待っても返事がなかった。きっと聞かれたくないような特別な事情があるのだろう。私もまだ仲良くなれていない人のことを無理矢理詮索したいとは思っていない。

「……じゃあ、いつも何をしているの?」

「……」

 答えがいつまでたっても返ってこないので会話が全く進展しない。話題を変えて無理に続けようとするのは諦め、黙って天井を凝視することにした。

(気まずい……)

 木目をなぞるのに飽きだした頃、ほんのりと甘い香りが漂ってきた。匂いでおなかがすいていたことに気がつき、思い出したように腹がうるさく泣きはじめる。三日間何も食べていないのだから当然だ。

「食えるか」

 さっきよりほんの少し抑揚のある声がして、終希がソファの向こうから食器を持って歩いてきた。湯気の立った深皿と木匙を乗せた御盆を暖炉の前の机に置き、左手でノートをどけて椅子に座る。相変わらず考えていることは分からないが、目線が近い高さになるとそこまで威圧的には見えなかった。

(もしかしたら、極度に不器用なだけで……)

 この危ない行動の理由が人を怖がっているからだと思うと、少し親近感があった。他人が自分を傷つけるかもしれないという恐怖はよく分かっている。

 終希は私が害のない人だと判断したのだろう。差し出されたものは確かに私のために作ってある。さっき「死んでた方が良かったな」と言われたときは驚いたが、最低限人を気遣うことはできるようだ。死にかけていたところを助けてくれたのだから、釈然としないが不思議ではない。

 もっともまだ警戒はしているようで、起こしてくれたり食べさせてくれたりといった手助けはない。頼めばやってくれそうだが、あまりのぶっきらぼうな性格故に頼み事を何度もするのが少し怖かったので一人で頑張ることにした。

 手が使えないことをおっくうに感じながら渋々腹筋だけで起き上がる。机は思ったより遠くて、思いっきり手を伸ばしてようやく御盆の縁に指がかかるくらいだった。

 終希は本に夢中で私のSOSに気がついていない。

「……終希、膝に乗せてくれないかしら」

 仕方なくお願いすると彼は緩やかに顔を上げ、本に栞を挟んで机に置く。そして、仕事を与えられたロボットのように御盆を膝に乗せてくれた。

 なんの感情も無く本に戻ってしまうのは、まるで一昔前のゲームのNPCだった。

「ありがとう。いただきます」

 米と葉物野菜、鶏肉を柔らかく煮込んだものが鼻腔をくすぐる。控えめに掬って口に運ぶと、それは口の中でふんわりと溶けた。できたての温かい食事だから当たり前なのかもしれないが、それ以上に人に貰ったものは心が和らぐ。気を抜きすぎて私は終希に殺されかけていたことを忘れそうになっていた。

「おいしい」

 なにも言わないが、目を合わせたことが返事の印なのだろう。

 早く食べたいのだが、スプーンを持つだけでも手が痛くて上手く口に運ぶことができなかった。しかし食欲というのはすさまじく、手が止まることはなくあっという間に皿は空になった。

 終希はその様子を視界の端に入れながらノートに目を通していた。

「私の名前、言ってなかったわね。一葉。助けてくれてありがとう」

 今度はきちんとお礼を言う。終希は顔を上げ、私の首の辺りをじろりと見た。

「ふん、一葉か。安直だな」

「まさか!」

 とっさに痛いのも忘れて首の「H-01」に手を置き、悶絶した。

 焼き印のある場所は思いっきりあらわになっていた。マフラーも、下に着ていたはずのタートルネックもない。血の気が引いた。どうしよう、居場所を見つけたのにまたあの頃に逆戻りになってしまう。

「それのことは気にしていないし、興味もない」

 終希は左首を興味なさそうに一瞥し、ノートを閉じると左手を見ながら固まる私から空の食器を奪い取った。

「気にして、無い……?」

 もう一度左首に触れる。首を見た人にそんな言葉をもらえるとは思っていなかった。だって、焼印がない人はこれを「気持ち悪い」といい、同族は「可哀想に」と哀れむ。どちらも「お前は人間ではない」と言っているようだったから。

 ところで。

「あ、あの……私いつ着替えたかしら……」

「それも気にしてないし、興味ない」

 最悪、見られたわ。男に。

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