3 人間不適合者

 それから二ヶ月後のこと、先生が一身上の理由で学校をやめるのだと言った。夏休みが明けたらあと半年の担任は全く知らない先生に代わるそうだ。私たちは急に仲間が一人減ってしまう寂しさを感じていた。五組ある六年生のうちで一番仲が良かったクラスだったのだ、こんな気持ちになるのも無理はない。

 誰が言い始めたわけでもなかった。私たちは心を込めて花束や色紙を作り、最後の授業の終わりに渡すことにした。渡す役目は学級委員の私と友達の二人と決まり、最後の授業が始まってからずっと緊張していた。

 授業はシェルターから再び地上に戻ってきてからの話、つまりつい百年前に起こったことを説明してくれた。

 題材は天才科学者達で造られたある組織の話。

「……その人たちは人の復興を目指すべく、ありとあらゆる科学技術を使い人を創造していきました」

 そのときの先生の声を今でも鮮明に覚えている。

「あるときは非人道的な方法を用いて何万という不完全な人をガラス瓶の中で作り、ゴミのように捨てていったのです」

 背筋が凍りついたのは歴史が想像以上に酷いものだったからではない。その内容に身に覚えがあったから、東京で唯一の研究機関である私の家で今でも行われている実験そのものだったからだ。

 ちょっと話を聞いただけで数あるトラウマのうちの一つがフラッシュバックして、口を強く押さえた。別のことを、大好きなクリームパンを帰りに買おうなどと考えてみるが、グロテスクな光景に戻ってしまう。気を紛らわせようという意識が強すぎて結果的に嫌なことを考え続けていた。

 研究所で日常的に行われている人体実験。腕にチューブのつながった針を刺され動けない私に、育て親はなんの罪悪感もなくそれを見せつけた。

 片手サイズのガラス瓶から人型の物体がどろりと流れ落ち、排水溝の網に引っかかってうねうねと藻掻いている。血で赤く染まった液体に押し出され網の目を抜けた小さな腕が、皮一枚で下水に落ちずにぶら下がっていた。

 一ダース分の生物と培養液を分離し終えた彼は網に残った蠢く残骸を見て顔をしかめ、網をひっくり返して大きなゴミ箱の縁にたたきつける。べちょ、と嫌な音を立てて捨てられる多くの胎児の中しぶとく網にしがみつく子の腕を引きちぎり、それでもなおへばりつく糸のような内臓を洗剤とブラシでぐちゃぐちゃにしながら下水に流した。

 ゴミ箱にぺとりと張り付いた溶けかけの頭と目が合った。もう動かないそれが「どうして助けてくれないの」と言いたげに私を見つめる。感覚が麻痺していれば、父や育て親のように彼らを実験動物モルモットだと思えていたら、何も思わなかったのかも知れない。しかし、不完全で未熟といえど彼らは人の形をしすぎていた。余計な情を捨てられず、あの物体が自分とは無関係のものだと割り切れなかった。「お前もこの中から生まれたんだぞ」と試験管を見せ嬉々として言う親の言葉が決定打となり、私は彼らと同じ実験体だと思うしかなくなってしまった。

 しかし、学校ではそんなもの自分には関係ないことだと言い聞かせて、ごく普通の小学生のフリをする。半年先に迫った卒業式までと同じように振る舞っていれば一区切り着くのだから、それまで波風立てずいい子でいればいい。だから今日も「でも過去のことだし私には関係ないかな」と、何も知らない普通の子が思うであろう感想と同じ言葉を頭の中で何度も何度も繰り返し言い聞かせた。

「最後に、先生は皆さんにご両親や育ててくれた周りの人や友達といった大切な“人間”を大事にできる大人になって欲しい」

 先生は強く、心を込めてそう言った。それは教え子が立派な人になることを願った教師の鑑台詞であったが、私にはその「人間」という単語がやけに大きく聞こえた。まるで人間以外はぞんざいに扱っても良いと言われているように。

 全身の血が凍ったような寒気とは裏腹に、首だけが異様に熱い。

「……ちゃん、一葉ちゃん」

 自分の名前を呼ぶ声ではっと我に返る。斜め前に座った友人が色紙を渡そうと目配せしていた。青い顔を見られないように髪で少し隠しながら顔を上げ、平然を装って震える手をぎゅっと握る。頭を振って嫌なことを追いやりながら急いで席を立った。今は先生にお礼を言うことだけ考えなければ。

「一葉さん、未悠さん、どうしたの」

「先生に今までの感謝の気持ちと、今後の幸せを願って、皆で色紙を作りました」

 それは本来私が言うはずのセリフであったが、未悠は私の顔色が悪いことを心配して代わりに言ってくれた。はきはきとした副委員長の声に背中を押され重い足を一歩一歩動かし前に行く。

 私が隣に並んだことを確認した友が少し泣き目の良い笑顔で色紙を手渡した。先生は戸惑いながらも皆の寄せ書きでびっしり埋まった薄ピンクの色紙を両手で受け取り、目を見開いて驚き喜んでくれた。それに続き、私も引きつる顔をなんとかほころばせ、今までありがとうございます、と絞り出すような声で花束を差し出す。いつも優しい先生が今は悪魔のように思えて顔を見ることが出来なかった。

 先生は花束に少し手を伸ばしかけたが、私の顔を見てはっと我に返る。私の顔を見下ろした先生は今まで見た事もない軽蔑と畏怖を皺だらけの目に浮かべていた。

「大きな白い壁の向こうではまだおぞましい実験が行われているなんて噂もあります。分かっていると思いますが、あの壁とそこから出てきたモノには近づいてはなりませんよ」

 大好きだった先生は呪いを放った。その意味に気がついた同級生がひそひそと「一葉って……」とささやきあう。急に変わった空気にぽかんとしている鈍感な子にも教えてしまい、つぶやきはざわめきになる。やがてクラスの全員がオバケや怪物を見るみたいに私を囲んだ。

 「壁」というのは旧皇居、つまり研究所とその外を区切る高く分厚い塀の事だ。東京のどこから見ても首が痛くなるくらい高く、遠くから見ると壁よりは塔に見える。それだけ高ければ当然壁の近くは日陰になってスラム化するし、よからぬ噂が絶えない。

 だから壁の中から来たことは人に見つからないように心がけ、家のことには触れて欲しくない雰囲気を出しながら六年間過ごしてきた。

「お花ありがとね、一葉さん。あなたにも幸せな未来が訪れることを祈ってるわ」

 屈んで私に目線を合わせた先生は口の端をニィッとつり上げ、片手で花束を掴み取る。硬直する私の左首をちょんと叩き、私の人生を一瞬でめちゃくちゃにした。

空気の凍った教室を出て行く先生の後ろ姿は満足げで、生まれて初めての裏切りに驚き呆然とするしかなかった。

「……一葉ちゃん、あの壁から来たんだね」

 未悠の震えた声がしん、と静まった教室に響く。休み時間の始まりを告げる鐘が鳴り、皆が一斉に立ち上がって思い思いに怪物を罵った。

「ずっと聞きたかったんだけどさあ、俺転校してくる前おまえそっくりの人と会ってるんだよね。あれお前のクローンだろ? それともお前がニセモノ?」

 ちがう

「一葉のそのちょっと緑っぽい髪、染めたわけでもないのに変だと思ったらそういう風に“設計”されていたんだね。人間じゃないんだもんね」

 ちがう!

「お前親いないんだってな! あっごめぇん、試験管がママ? きゃははは!」

「違う!」

 虐める対象ができた瞬間、クラスの全員が私の敵となる。「違う」という言葉は次の罵声にかき消されて誰の耳にも届かない。私の声は、人の形をしたまがい物の言葉は決して聞き入れられることはない。親友だと思っていた未悠さえ、私を遠巻きに見て突っ立っている。手を伸ばして助けを求めると、轢かれた蛙を見たときのように後退りして「私には関係ない」と言うようにそっぽを向いた。

「未悠……」

「なんでおまえ毎日首隠してるの、なんかあるんじゃねえの? ねえお嬢!」

 左首が気になった男子に感化され、調子に乗ったお嬢と呼ばれた女の子が一番後ろの席からゆっくり歩いてくる。お嬢とは昨日遊んだばかりだった。

「私もずうっと気になってたんだー。せんせーが何かあるって言ってたのよ。さ、見せてちょうだい」

「嫌、やめて!」

 皆とは違う証明になるモノが見られない限りは、皆と同じでいられるんだ。小学校のあと半年、その後の中学も高校も、それからずっと先も皆と一緒に生きていきたい。

 とっさに左手で首を押さえたが、力の強いその子は「へー、そこにあるんだね見られたくないもの」とにっこり笑って手を払った。皆がのぞき込む中肩をおもいっきり踏みつけられ、首を隠していた髪と襟が剥ぎ取られる。下に封印していた忌まわしい印が露出して、首に冷たい空気が触れた。

わざわざ大声で「きっしょ」と叫んだその子の声につられて皆が寄ってくる。ある子は罵声を浴びせ、ある子は笑いながら写真を撮りネットにばらまいて、完全に私は虐めの餌食となってしまった。

 こんな時助けてくれる人はいないなんて、そんなこととっくにわかっていた。

 視界が涙でにじむ。「皆と違うことがやりたいんだ」と夢を話してくれた親友のはずの未悠さえも、皆と違う私を無視し続けた。

「何これ、H-01って番号がついてる。気持ち悪」

「もうやめてよ……」

 焼印を見られたその瞬間、私を人間と言えるモノは何もなくなってしまった。

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