2 旧世界の終焉
*
夢を見た。と思う。というのもいつ寝たのかも分からないので雪の上を歩いていたのももしかしたら夢だったかもしれない、と疑っているからだ。ただ、この夢は過去に戻ったような心地がするのだから正真正銘夢なんだろう。
これはまだ学校に行っていた頃だから、小学生の時だ。六年も前のことだがあの日のことはずっと忘れられずこうしてたまに思い出す。
小学生の私は三十数名の教室の真ん中の列、やや後ろの席に座って社会の授業を受けていた。担任兼社会の先生は女性のベテランで、白髪混じりの黒髪をお団子にし、いつも生真面目にスーツを着ていた。シワの寄り始めた目元は垂れ下がり、子供好きで優しい性格であることを表している。
社会科の授業は好きだった。先生が黒板に書く綺麗な字と、教科書が教えてくれる色々な人の話が楽しみだった。人間が作った人が生きるための仕組みだから身近に感じられる。私生活では見たこともないようなコードや怪しい試薬について学ぶよりもずっと有意義だと思う。
特に歴史の授業が面白い。今いるここと同じ場所で先祖が活躍した記録。同じ人間のはずなのに、偉人たちは世界を動かすほどの大きな事を成している。それが格好よくて憧れでもある。そして、その人達のおかげで今があるのだと思うと心躍った。
ある日の授業で、私が生まれる四百年ほど前に起こった戦争について触れた。戦争の話があってこその歴史で、それによって世界が揺れて新しい時代を作っていくというのは分かっているのだが、好きな教科とは言えど戦争の話は好きになれなかった。
確かに世界が大きく変わるときの話は胸が高鳴るのだが、近代になるにつれて資料が鮮明になる。戦争を他人事のように思えなくさせ、学ぶ楽しみを邪魔する。最初は絵だったものがモノクロの写真になり、映像になり、色がついて立体化する。この授業で取り扱う第三次の戦争は自分がその世界にいる体験ができるほど鮮明な資料が残っていて、毎年博物館に行った自称グロテスク好きのお馬鹿なチャレンジャーが嘔吐しているという。戦争を他人事にしないという目的は達成されているかもしれないが、私は教科書に載った動画のサムネイルを恐る恐る見るのが精一杯だった。
「二五三ページを開いてください」
先生の声を合図にあちこちのタブレットからシュッとページをめくる音がする。私もそれに合わせてゆっくりページをめくった。開いてほっと胸をなで下ろす。戦時の話は前の授業で終わったらしい。
最初は仮想空間で行われていた戦争はある時を境に現実の戦になり、地球を破壊する寸前でなんとか止まった。国がいくつも消え、人類もその数を産業革命前程まで減らした。
それまでの戦争では、戦いが終わったら復興が始まり、新政権が起こって新しい文化が生まれている。しかし、そのときばかりはそうも行かなかった。人々は生物に悪影響しかないような兵器を乱用し、ボロボロになった星が人間に復讐をするかのように襲いかかった。木は枯れ土も汚染されてしまいあちらこちらで発生する食糧問題、衛生状態の悪化。地上に生物の住める場所はほとんど無くなった。
「うわ……」
サムネイルを見ても平気だったために気軽に資料を再生して、顔が引き攣った。隣の人が呼ばれたと勘違いして首をかしげるので手を振って何でも無い、と伝えると、彼はタブレットを持ち上げ恥ずかしそうに顔を隠してしまった。
世界中で人が死んでいった。人と人との戦争は終わったはずなのに、平和とは程遠い世界に苦しんでどんどん死んでいく。荒野に立っている痩せこけた人々が、次の瞬間バタバタと崩れ落ち動かなくなった。
「次のページをめくってください」
船を漕いでいた前の席の男の子の背中をつつくと、びくりと起き上がり慌ててページを探す。授業は中盤に差し掛かり、半分近くが睡魔という恐ろしい敵と戦っている。残念ながら数人は負けていた。
次のページには今度こそ平和的な写真が並んでいた。今までの流れとは真逆の、目を疑うほど綺麗でおしゃれな建物の写真だ。別世界の話を急に始めた、と言われた方が納得する。
先生は眠たそうなクラスに肩を竦め、聞いてくれるであろう勝者にのみ話し始めた。
人々は荒れ果てた土地と広大な空を捨ててシェルターに引きこもった。そこは戦時も使われていた、それだけで衣食住全てが完結する建造物だ。同じようなものが東京だけにとどまらず世界中に点在していたが、その多くが地下に建設されていた。戦争前の綺麗な地球を再現したかのような施設に移り住み、人類はやっと平和を手に入れたのである。まるで夢のような話だが、それを可能にするほど当時の人間の知恵は卓越していたのだろう。
「皆さんが生活している街がまるごと全部地面に埋まったようなものだと考えてください」
「学校も?」
「はい、学校も家も畑も全てです」
先生は黒板に、あるシェルター内部の映像を映した。教会のようなガラス張りの天井から地上の光が差し込み、ショッピングモールのような三階建てのフロアにはおしゃれな扉が整然と並んでいる。家の玄関のようだ。
一階では明るいホールに人々が集い、楽しそうに語り合っていた。とても地下の施設とは思えない。クラスメイトの数名が「住んでみたい」と歓声を上げるほどだ。
先生はちらほら起き始めた生徒の反応に微笑んで、パンパン、と手を叩く。
「ほら静かに、授業を続けますよ」
「なんと!」とわざとらしくネタバレをする先生はなんだか楽しそうだ。映し出されていたのはここ東京のシェルターだった。人が再び地上に出るまでの二百年間使われたそうで、今は老朽化により封鎖されている。
「シェルターの維持には膨大なエネルギーが必要となります。シェルターは世界中にありましたが、そのほとんどが維持できず廃墟になってしまったようです」
しかし、東京の地下深くに作られた地下施設は本当によくできていて、戦争が終わったあと二百年間、地上に人が住めるようになるまで独自の循環システムのおかげで衣食住不自由なく耐えきった。そう言って自分のことのように胸を張った。
現在、人間は日本の東京周辺にしかいないと言われている。どうも二百年前まで連絡を取り合えていた国との連絡が全て途切れてしまったらしい。それまでの情報から推測すると、東京シェルター以外にいた人類は絶滅したと考えるのが自然だ、と言う。
受けたダメージの大きさからはとてもめでたしめでたしとはなり得ない。しかし、数を大幅に減らしても人類が絶滅から逃れることができたと言う事実は祝福すべき事であった。
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