灰の街

コルヴス

1章 家出と引きこもり

1 遭難

 

 地球最後の戦争が終わった。

 所々大きく抜け落ちたアスファルト。なぎ倒された電柱、瓦礫の山、広がる黒い空。残った民家の基礎がかつてそこに人間がいたことをほのめかしているが、今は生者の気配はない。

 荒野の一角に人間が山のように積まれていた。暗い顔で歩いてきた青年は、最後の骸を肩から引きずり下ろし積み上げる。そして汚れた両手を叩き、額に浮かんだ汗を拭ってからすっかり色の消え失せた街を見渡した。

ああ、なにもかもが消えてしまった、と乾いた笑いとともに崩れ落ちる。そして二度と動くことはなかった。

 人山を肌寒い秋の風が撫でた。そこがかつて栄えていた都市――東京の夜とは思えない静けさが辺りを包み込む。

 真夜中になった頃だろうか、山の頂から突如黒い筋が立ち上った。ろうそくの煙のようにゆらゆらと揺れたそれはやがて大きくなり、生草を燃やしたときのように黒く上がる。それは暗闇よりも黒く、炎も出さずに燃えていた。

 翌朝残っていたのは骸がまとっていた布だけだった。青年は知っていたのだ。


亡骸は灰が勝手に燃やしてくれると。

 ――四百年後


 三月半ばのこと。暦の上では春だがまだ雪が降っていた。

 ここは東京から徒歩一日ほど進んだ名も無き土地。かつて伊豆と呼ばれていた冬の原生林だ。東京の外は随分前に放棄され誰もいないはずだが、足場の悪いその森をフラフラと進むものがあった。

 西へ、白く染まった山道を歩くその人物は体格からして女性のようだが、顔は灰色のフードと真っ赤なマフラーに遮られ、深緑の目だけが覗いていた。


     *

「やっと日が出てきた……」

 私、一葉かずはは不審者のような格好でひたすら西へ進んでいた。長く続いた夜闇と寒さに凍えた手足には感覚がなく、頭もぼんやりしているが気合いで寝ないように必死で前へ進んだ。

 八時頃になって、やっと顔を覗かせた太陽の光が雪に反射し、下から突き刺す銀に目を細める。朝日が当たり背中が僅かに暖かくなったので背筋を伸ばすと、刺すような冷たい風がフードを掴んで取り払ってしまった。耳と頭がキーンと痛み、たまらずフードを被り直した。

 真っ白な雪景色は歩けど歩けど代わり映えしない。辺りが明るくなって「こんなに白かったんだ」と驚きもするが、それは一瞬だけで、あとは進んでいるのかすら分からないほど同じ白の繰り返しだった。

 枝の上に積もった雪を見ながら、何でこんな寒い思いをしているのだろう、と家を出てきたことを後悔した。

 理由は勿論自分が一番よく分かっている。私は家出をしたのだ。寒くて冷たくて仕方なくても、それでも戻るよりはマシに思えるほど。

「あ、思い出すだけで吐き気してきた」

 思考を他に回そうと独り言をつぶやく。口を開けた途端に「煩い」とでも言いたげに木々がどかどか雪を落とした。

「……さっきまでは何も反応しなかったじゃない!」

 苛々してさっきより大きな声で吐き捨てる。今度はなんの返答もよこさなかった。よく知った反応、無視である。

 マフラーを首まで押し下げると世界が大きく開けるが、ここでも至る所から睨みつけてられているようだった。

 家族は捨てて、友人には捨てられた。思考回路を持たないはずの木にすら嫌われているのだから、私の居場所はどこにもないのだろう。仕方の無いことだ、全て私が悪いのだから。

 空を仰ぐ。考え無しに飛び出してきたことを後悔した。

 死ぬつもりでいたのではなく、生きる環境を変えたかっただけだ。しかし計画を立て地図を見て歩いているわけではない。冷えた頭があまりに無謀なことだったと過去の自分を笑った。

 体力が限界を迎えている。

 ここで止まったら二度と動けないだろう。動けなくなったら雪の下の死体になる。嫌なことから逃げて挫折したみっともない人で終わるのは嫌だ。世界がどれだけ生きにくい場所だとしても、死にたくない。負けたくない。


 太陽が真上に来た頃、やっと坂を登り切って開けた場所に出た。三六〇度どこをみても飽きるほど真っ白だが、疲れ切った身体で見るその霞んだ銀世界は一生忘れられないだろう。

「あれは……」

 霧の下に小さな村が見えた。屋根や壁が剥がれ落ちているのが遠くからでも分かるほどに荒廃しているが、人がいた証拠だ。あそこまで行けば風裏になるだろうし少しくらい眠ってもいいだろう。

 ゴールだ。ゴールが見えた。ああやっと休める。もう頑張らなくてもいい。あのとき諦めずに進んで良かった!

「あははっ」

 また背後の木の上から重いものが落ちる音がした。

 振り向いた後のことはよく覚えていない。ただ、それは見飽きた白ではなく宝石のような金色を纏った人間で、私は泣きながら手を伸ばしていた。

「お願い……私、家――」

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