五、いましめ

 それから、どれだけの時が流れただろうか。

 海辺の小さな村では、相変わらず「へびかみさま」が祀られている。しかしそれは海が荒れないように願うものへと変わり、どれだけの嵐に襲われても、生贄を捧げることはなくなった。

 なずなから後、その村の娘は誰一人として犠牲になっていない。

 いつの頃からか、村では春になると「へびかみさま」の祭りが開かれるようになった。

 桜の頃、その年で八つになる娘を「花嫁」として村の中から選び、桃色の着物を着せて大幣で囲う。踊りを捧げ、酒を振る舞い、提灯の明かりの中で宴は続く。月が天井へ昇る頃、祭りは御開きになる。

 だがそこに、桃色の着物の娘が残されることはなかった。

『花嫁役をつとめた娘は、へびかみさまの寵愛を受け幸せになる』

 誰が言いはじめたのかは知らないが、それは村人たちの間では当たり前に信じられていた。

 我が子を幸せに。我が娘を幸せに。

 そうして村では、娘の花嫁役を望む親が毎年何人も手をあげた。


 人知れず少女の遺骨が埋められた山の野には、一本の大きな桜の木が育っていた。樹齢は三百年とも、四百年とも言い伝えられる、立派な山桜。

 あるとき、それの前に佇む男の姿があった。

 長く伸ばした髪は濃紺色、肌は蒼白。年の頃は二十あたりだろうか。金色の瞳が、愛おしむように花を見上げていた。

「大きくなったな。見違えたぞ、なずな」

 幹に触れたその手は、少女にしたと同じ優しさで木肌を撫でる。

 風の仕業か、木の意志でか、ざわりと音を立てた枝から花びらが舞った。

「向こうで共に暮らそうか。……千年、万年」

 村で一番古いと言われた山桜は、ある日忽然と、掘り返された形跡もなく姿を消した。


   *


「人間を飼ったと思ったら、今度は植物か? 貴様の物好きにも困ったものだね」

 ひび割れた岩の大地に置かれた樹木を見上げ、金色の髪の魔物は溜息を吐いた。

 それから向けられるあからさまな呆れにも構うことなく、蛇は幹のくぼみにヒトの身体をあずけ、木肌を撫でる。

「呆気なく散る花が美しかったんだ。腰掛けに良いと思わないか?」

「それならせめて切り株だろうに。日すら差さない涸れ地に植物だなんて、置いてもすぐに枯れてしまうよ」

「これだけ大きければ、朽ちて崩れきるにも時間がかかるさ」

 この地に日の光はなく、水も流れない。いくら小細工をしたところで、そちら側のものがまともに生きていられる環境ではなかった。現に白い花は既に力無く頭を垂らし、次々と花弁を落としている。

「呆れた奴だね。この次は何をやらかすか……考えただけでも恐ろしいよ」

 蛇の怪物は、何でも「面白い」と言って興味を示す変わり者だった。それがために人間を傍に置くなどという血迷った行いをして、危うく父の怒りを買うところだったというのに、この様子ではあまり学習もしていないようだ。

「貴様は人間に近付きすぎた」

 木がどうした由来で彼に気に入られたのかを知る金髪の魔物は、それを見上げ、溜息混じりに呟いた。

 幹を撫でる蛇の手に呼応するように、風のない地で小枝が揺れる。

「ああ、だからこの木に誓った。これは俺への戒めだ」

 舞い散る白い花を眺め、彼は静かに息を吐いた。


「……もう二度と、人間くいものの心には触れない」

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わすれなぐさ 村崎いなだ @inatoki

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