最終話 勝利の女神あやめ

「なぜ通れない!」「なんだ君は!」

 ヘルメット男と私は同時に叫んだ。トンネルの中で、立ちすくむ三人。遠くからパトカーのサイレンが響いてきた。


 なるほど、そういうことか。このヘルメット男はパトカーに追われているのだ。そこで警察のウラをかいて県外に逃れようと、この廃道へやってきたのだろう。今年から通行不可になったことも知らずに……。最新情報にアップデートされていない土地勘ほど役に立たないものはない。


「あいにくトンネルは通れないよ、出口を塞いでしまったから」

 私はつとめて冷静に話した。余裕をよそおって、手にしたつららをひと噛みする。

「お、お前が手に持っているものは何だ!」、男はナイフで私のつららを示した。

「何って、つららだけど。いる?」、私はつららを差し出す。

「オッサンが齧ったのはいらん! 新しいのを寄こせ」

「外にいくらでもあるよ……」

 私は地味に傷つきながらトンネルの外を指さした。今日はなんというかその……初対面の人間からムダに傷つけられることの多い日だ。


 ヘルメット男は、あやめをナイフで脅しながら外へ出ると、すぐにつららを手にして戻って来た。彼は警察に追われる緊張からか、あるいはアドレナリンの放出がそうさせているのか、喉が渇いているようだ。ヘルメットのシールドを上げて、つららをガジガジと音を立てながらいる。


「逃げた方がいいんじゃないの?」

 私は近づいてくるパトカーのサイレンの方へあごをしゃくった。

「余計なお世話だ! いまごろ県外への道は封鎖されてるだろう。だから、ここに立てこもってぅぁわイタタタ……」

 ヘルメット男は手を頭に当てようとしたが、あやめを押さえている手とナイフを持った手が自由にならず、ジタバタともがく。廃道措置を知らなかったことといい、ナイフの扱いといい、完全にシロウトだ。そもそも、自分から袋のネズミになってどうしようというのだろうか。


「ねぇねぇ、それ知ってる? アイスクリーム頭痛っていうんだよ」

 あやめはナイフを突きつけられたまま、たったいま覚えたばかりの知識を披露する。あきれたことに彼女には怯えた様子が見られない。この状況を楽しんでいるようにさえ思えた。

「ど、どうしたら治るんだぁぅゎぅイタタ」、情けない声をあげるナイフ男。

「いま治してあげるからさ、ちょっとあたしの手を放してみてよ」、あやめが子猫をあやすような優しい声で、かんで含めるように男へ話しかける。


 男が彼女を掴んだ手の力をわずかに緩めた瞬間、あやめは男の方へ向き直り、ひざを曲げスッと体を沈めた。彼女は両ひざを抱えるようにかがんだ姿勢から、後方へ倒れ込みつつ、ピンと伸ばした片手を後方地面に突く。脚のバネを使って軽々と体を跳ね上げると、そのまま軽やかにバク転して男から離れた。まるで忍者の身のこなしだ。私は、目の前で行われた予期せぬアクロバットに呆然とした。ナイフ男も同様に思考停止したようでピクリとも身動きしない。


 ナイフの脅威から解放されたあやめは上半身を低くかまえ、両手を左右に振りながら踊るように、じりじりと男との間合いを詰めていった。格闘技マニアの私は、この特徴的な動きステップを知っている。ブラジルの武術『カポエイラ』だ。


「だましたな!」、我に返ったヘルメット男が叫び、ナイフを振り回す。

 あやめは、めちゃくちゃに大振りされるナイフを動きを読み、隙をみると間髪入れず、男の腹を蹴った。前方押し蹴りベンサォン。靴底の全面を押しつけるように蹴りだしたキックは、容赦なく男の胃の腑にめり込む。

「ぐはっ」

 蹴りをもろに受けた男が、お辞儀をするように半身を折って腹を押さえた。彼の前のめりに突き出されたあごを、あやめが繰り出したすばやい前蹴りポンテイラがピンポイントで襲う。彼女の革靴のつま先が鋭くカウンター気味に入り、ヘルメットごと頭部を蹴り上げられたナイフ男は脳震とうを起こし、あえなく気絶した。手からサバイバルナイフが落ち、蹴られた勢いで男の体は入口ドアまで滑っていく。あやめの細い体のどこにそんなパワーが秘められていたのだろうか。私は悟った、すべては鍛えられた彼女の体幹がもたらす威力だ。


「すご……」

 私は称賛を口にしたかったが、驚きと興奮のあまり完全に語彙を失っていた。

「困ったな、やっちゃいましたね」、あやめはテヘヘと笑いながら、照れ隠しに前髪をいじる。

「今のカポエイラだよね」

「さっすが知の巨人。なんでも知ってるんだ。カポエイラは、体幹がきたえられてスタイル造りに効くから。でも内緒にしてね」

 あやめはキャラキャラと笑って誤魔化したが、格闘技マニアの私にはわかる。彼女は相当な『つかい手』だ。武術の心得があるものは素手であっても、武器を持っているものとして扱われるのではなかっただろうか。あやめの場合、正当防衛であっても、過剰防衛か否かの判断で面倒なことになるかもしれない。


 トンネルの外からドアを叩く音がする。パトカーのサイレンが間近で鳴っていた。

「すみません警察です、山際やまぎわ署のものです。ドアを開けてもらえますか」

 私は地面に伸びているヘルメット男をまたいで、ドアを開けた。夕闇せまるトンネル前の路上に、赤色灯を点滅させたパトカーが停まっている。警察車両を背にして、二人の警察官が立っていた。

「こちらに男が逃げてきませんでしたか、そこのバイクに乗ったヤツです」

 警官がイイねをするように親指を立て、その指を使って肩越しに背後のオートバイを指す。その間も鋭い視線を私から外さない、すべての男性を犯人と疑っているかのようだ。

「ああそれなら、」

 私は足元のヘルメット男を示し、あやめをかばって小さなウソをついた。

「この人です。水で足をすべらせて脳震とう起こしてますが」


 二人の警官は色めき立ってヘルメット男の両脇にかがみこみ、手早く拘束した。

「その人、何したんですか?」、私は興味本位で訊いてみる。

「取り調べ前なので確定ではありませんが、コンビニ強盗の容疑者です、」

 警官の一人が顔をあげて答え、そこでトンネルの中にいたあやめの姿に気づいた。

「あちらのお嬢さんは?」

「道に迷った高校生です。コンビニでバイトしたいそうで」、私は答える。

「なるほど。そりゃ迷うでしょうね……」

 警官の説明によると、分岐路にニセもののコンビニ案内板を立てた者がいるのだそうだ。犯人はコンビニ反対派の商店主だとか。なんとも迷惑な話である。


 警官たちは意識を取り戻し抵抗する容疑者を、苦労しながらパトカーに乗せた。その様子を見守っていた私の目の端に、細身の男性の姿が映った。パトカーから離れた道路の上に自転車を止め、立ちすくんでいる。エージェントから聞いていた風体とも一致する。彼が本来予定していたバイト君に違いない。


「あのー、もしかしてグエンさんですか?」、私は男に声をかけた。

 私の声にグエンはビクッと体を震わせ、自転車を反転させると猛烈な勢いで逃げて行った。

「バイトさん、行っちゃったね」、いつの間にか隣にあやめが立っていた。

「うーん、おそらく彼は不法滞在者だな。それで警官を見て逃げだしたんだ」

 もう怪しいエージェントには頼まない。自力で探せばいいのだろうけど、一体どうやって? あやめに頼めるなら理想的ではあるが……。


「あ~あ。あたし、結局コンビニバイトの面接をすっぽかしちゃった」

 あやめが腕時計を見、ついで夕暮れの空を見上げて嘆いた。

「ならさ、うちでバイトしてみる?」、私は先ほどからの考えを提案してみた。

「えぇー?」、不満そうな声を出すあやめ。

「そんなにイヤかな」

 予想していた反応とはいえ、やはり傷つく。今日はこれで何度めの傷心だろう?

「だってさ『いらっしゃませェ』って、よそ行きの声で言ってみたいじゃん」

「うちではできないね」

「ピッピッピッて、軽やかにレジ打ちしたいじゃん」

「レジないからね」

「バイトの先輩とお付き合いしてラブラブしたいじゃん」

「先輩いないもんね」

「休憩時間にスイーツ買って食べたりしたいじゃん」

「キノコなら食べ放題」


 あやめは私の顔をまじまじと見つめた。

「広瀬さんってバカ?」

「バ、バカ?」、天然気味のあやめから、そう指摘されるとは思わなかった。

「そこは食べ放題って言うところでしょ」

「そうかぁ?」

 ダメだ。このつむじかぜ少女の思考回路にはついていけない。


「いいよ。ここでバイトしても」、あやめが言葉を噛みしめるようにうなずき、大きな瞳をきらめかせた。

「なんで?」

 とてもありがたいけど、意味がわからない。あやめがその理由を説明した。彼女のおばあさんが、昔、つららをアイスがわりに食べたことを、幼いあやめに繰り返し語って聞かせたそうだ。その幼時体験から、つららに対する強い思い入れがあるのだとか。刷り込みというものは、なかなか侮れないものである。


「ただし一週間だけね、お試しで。もしつまらなかったら、すぐやめるし、面白かったら続けるかも」


 次の日から、あやめは私の実験農場でバイトを始めた。天真爛漫な美少女が研究を手伝ってくれる。それだけでも人生は楽しい。さらに嬉しいことには、ときおり彼女からカポエイラの手ほどきを受けられることだ。格闘技マニアとしては最高の仕事環境といえよう。

 この勢いで新種のマッシュルーム開発でも勝てる。私はそんな予感がした。


 おしまい

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トンネル前に集合! 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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