トンネル前に集合!
柴田 恭太朗
第1話 つむじ風少女あやめ
トンネルが『売り』に出されたので、私はすぐさま買い付けた。
正確にいえば、東京近郊の廃道にある小さな
私は、とある民間企業の研究職。菌類の研究をおこなっている。研究というと、お堅く聞こえるかもしれないが、簡単にいえば成長が早くておいしいとか、栄養がたっぷりあるとか、消費者が買ってみたくなる高付加価値をもったキノコを作りだすことだ。
会社で研究を続けるうち、いつの頃からか私は自分の実験農場を作りたいと思いはじめた。なぜなら、わが社の経営方針は『先頭グループの最後尾』であるからだ。先頭を走るには体力がいるけれど、他の会社を風よけとし、背後を走ればスタミナが温存できる。しかもトップ集団にいれば、企業イメージもよくなるし、いつかは先頭を狙える。そういうわけだ。実にケチくさい負け犬根性ではないか。
トンネルを手に入れた私は、すぐさま研究職を辞し、マッシュルーム栽培に乗り出した。チャンスは逃がさず勝ちに行く。それが熱狂的な格闘技マニアでもある私の性分だからだ。
借りたトンネルは山の中腹にある。かつては県外へ抜ける主要道として、頻繫に利用されたそうだ。だが、幅が狭く高さも低い、対面通行にも苦労するような前時代的なものである。山の麓に幅の広い新道と快適なトンネルが建設されてからというもの、ついに誰も通ることのない、うら寂れた旧道となった。利用されない道路は廃道となる。当然の成り行きといえよう。
そんな山道の小さなトンネルは奥行きも短かった。両端をふさぎ、入口にドアを取り付けるだけで、温湿度管理に都合がよく、手ごろなサイズのマッシュルーム栽培工場となる。
ここ数日は折からの寒波で、入口につららがぶら下がるほどの冷え込みとなった。それでもトンネル内部は簡易暖房で十八度をキープできている。ソーラーパネルを取り付け、最小限の電力をまかなっているが、それは主に照明用途。暖房の主熱源は、
マッシュルームの品種改良は軽作業とはいえ培地の管理が煩雑になるので、人手がほしい。そこで農業エージェントに連絡を取り、バイトを募集した。そろそろ、バイトがやってくる時刻だ。
コン、ココン。入口ドアでリズミカルなノックの音がする。
ドアを開けると、そこには制服を着た女子高校生が立っていた。ミニのフレアスカートと、すらりと伸びた足に紺のハイソックス。そばにスタンドを立てた自転車が置いてある。ここまでの登り坂を自転車で急いで来たのだろうか、彼女は色白の頬を紅く染め、息をはずませていた。
(おや? なにか違う)
エージェントからあらかじめ聞かされていた人物とは、どうも様子が違う。不思議に思ったのは私だけではないようで、彼女もとまどったようにキョトンとしていた。
「バイトの人?」、私はいぶかりつつ尋ねた。
「はい。『北条あやめ』といいいます。遅れてすみません!」、ペコリと頭を下げる高校生。
「寒いから、中へ入って」
この子がバイトなのだろうか? 不審に思いながらも、私は彼女をトンネルの中へ招じ入れた。
北条あやめと名乗った高校生は、薄暗く堆肥のにおいがするトンネルの内部を見回し、鼻をひくつかせて不安そうな顔をする。
「バイト募集サイトを見て来たんですけど……ここコンビニじゃないですよね?」
「違うけど……ああ、なるほどわかった、」
私は合点がいって笑いながら説明した。彼女はウチではなく、新道沿いにオープンしたばかりの『コンビニ』へ行きたかったのだ。
「ここはね、キノコの栽培施設ですよ、コンビニは別の道の方。途中の分岐路で道を間違ったんだね」
「なんだぁ、ビックリしたぁ」
あやめは笑って、冬だというのに汗で額にはりついた前髪を手の甲でぬぐった。笑顔がまぶしい。よく見るとブライス人形のように大きな瞳と少し下がりぎみのハの字眉が印象的な、可愛いらしい子である。
「変だなぁ、別れ道で案内板を見て来たのになぁ。すみません、お水もらえませんか? 急いで自転車飛ばして来たから、ノドがからっからで」
「お茶でよければ、これを」
私は自分のポットを差し出した。このトンネルには水道を引いていなかった。
「ムリムリムリ、知らないオジサンのポットから出て来た謎の液体を飲むなんて絶対ムリ」
瞳の大きな美少女は苦笑いを浮かべ、手を小刻みに振った。
「謎の液体じゃないけどね、緑茶だけどね。イヤなら、その湧き水を飲むか入口のつららでも齧ったら?」
ムッとした私は、トンネルのドアを指さした。
「つららですか!? おばあちゃんが言ってたヤツだ! それいただきまーす!」
あやめはドアを開けると、黒髪ショートヘアを冷たい風になびかせながら、つららを取りにトンネルから出ていった。なんとも天真爛漫な子だな、私はあきれて苦笑した。
「子どもの頃からつららに憧れてたの。はい、これオジサンの分ね」
あやめが片手に持ったつららをガリガリと
「まだオジサンじゃないんだけど。三十二歳だし」
ぼやきつつ、私もつららを齧ってみた。無味。しいて言えばミネラルウォーター味。透明度が高く、気泡がひとつも入っていない綺麗な氷だった。
「立派なオジサンだよ。あたしの倍は生きてるもん」
慣れてきたのか、あやめはつららを齧りながらタメ口をきく。
「へぇ、十六?」
「ううん、十七。あ、頭イタタ……」、答えながら彼女は顔をしかめ、額を押さえた。
「アイスクリーム頭痛だな」
「なにそれ?」
「そういう用語があるんだよ。『アイスクリーム頭痛』が正式な病名」
最近の医師はカルテにそう書かなくなったそうだが、いまだにれっきとした医学用語である。
「オジサン、
あやめは頭痛に眉をしかめながら憎まれ口をたたく。
「私は
自分から名乗ってやった。いいかげんオジサン連呼は勘弁してほしいからだ。
「そか。広瀬さん、ありがとう。じゃあ、あたしコンビニのバイト面接に行くから」
あやめはニッコリ微笑むと、つららで濡れた両手をパンパンとはたき、ドアを開けて出て行った。私は思った、まるでつむじ風のような少女だ、と。
あやめが外に出てから間を置かず、トンネルの外でバイクが停まる音がした。今度こそバイトが到着したのだろう。期待をもって私が見つめていると、入口のドアが開いた。
入って来たのは、またもや例の女子高校生、つむじ風少女のあやめだった。先ほどと違っていたのは、背後にフルフェイスのヘルメットを被った男を引き連れていることだ。男はあやめの喉元に、大型のサバイバルナイフを突き付けていた。
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