蓼食う虫も好き好き

@harukuru

第1話

 一般人にとって「出会いの場」というのは限られている。学校、職場がせいぜいである。つまり、自ら進んで、コミュニティに属そうとはせず、大学をも卒業してしまった私にとって、職場というのは人生をかけた大一番なのである。

 

 四月一日、右も左もわからない私に隣の席の年上のイケメン先輩先生が手取り足取り私に仕事を教える。そして次第に仲が深まり、ゆくゆくは……という幻想は桜のごとく舞い散る。「年上」という条件のみクリア。声は小さく、容姿は小汚い。スーツの肩には謎の白い粉が付着している。(チョークの粉であると願いたい。)

 神様、今までいたって真面目に生活し、青春という青春を捧げて採用試験に合格した私に、一体何の恨みがあるのでしょうか。

 初年度の私はお隣の二八歳独身物理教師が担任をする三年四組の副担任として教員人生を歩みだした。


 私は幼少から培った、真面目さと協調性から、仕事も人間関係も卒なくこなし、他の先生方、生徒からの評価も上々である。一方、隣のやつは付き合いの悪さから疎まれ、生徒からも訝しげな眼でいつも見られている。

 「高岡先生は席運ないね」

 と、どの先生から同情され、「綾子、一年の我慢」と自分に言い聞かせる。ところが、割り切って気にしなければ良いものを、なぜだか秋口に、たったひとり鳴いている蝉のごとくやつが気になって気になって仕方がないのである。なぜかやつは昼休みに昼食をとらず、五時間目が始まってから食事をとる。運悪く私は午前中に授業が固まっており、五時間目はだいたい空いている。つまり、やつの食事時間にほぼ居合わせるのである。どこで作業できるの?と三度見するほど書類が積み上がっている机をかき分けてやつは食事をとる。毎日「緑のたぬき」。独身男性ってそんなもんなの?そもそも私は「赤いきつね」派であり、そこから相いれないのであるが、なによりも許せないのが、お湯を注ぎ、茹でる時間をやつは守らないのである。せっかちなのか、腹がへっているのか湯を注ぎ、一分で食べ始める。その結果、てんぷらの「バリバリ、ボリボリ」という咀嚼音が職員室中に響き渡り、イライラが増すのである。


 生徒との関係性を築き上げられた頃、この仕事には別れがくる。三月一日卒業式、はじめて私を先生と呼んでくれた生徒たちが卒業する。感慨深いものである。式が終わった後、クラスでは比較的目立たない丸川君がやってきた。

 「平田先生はいますか?」

 式後数時間探していたがやつに会えないらしい。「何か急用?」と聞くと彼はおもむろに語った。

 「僕、将来自動車を作りたいんですけど、物理がさっぱり出来なくて。そしたら担任の平田先生が毎日プリント作って昼休みに勉強見てくれたんです。そしたら、さっき照会したら、第一志望の石川工業大学に合格していて、どうしても直接感謝を伝えたくて」 

 その夜、私ははじめて「みどりのたぬき」を食べた。ものは試しに、タイマーを一分にセットして。


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