レッドカーペット
シャロン
第1話
「頼む! カップ麺送って!! 大至急!!!」
俳優をやっている井原さんから、夫の隆志にメールが届いたのは、もう20年も前のこと。
井原さんはなんと、エドワード・ズウィック監督の映画『ラスト サムライ』に出演するため、ニュージーランドのロケに参加していた。名前もセリフもない役とのことだけれど、主演はあのトム・クルーズだし、日本人では渡辺謙や真田広之、小雪らが出演している、期待の大作だ。
「俺のダチがハリウッド映画に出ることになったんや!」
その半年前に隆志から聞いた時には、
「あんたにそんな友だちおったん?!」
思わず声がひっくり返った。隆志とは、6年前に合コンで知り合って、2年前に結婚した。年齢は3つ上の34歳だけど、単純で精神年齢が幼いので、話していると、私がお姉さんのような気分になってくる。
聞けば井原さんは、高校時代のバスケット部の同級生で、イケメンでよくモテたらしい。卒業後は上京し、都内の大学に通っている時にスカウトされ、モデルを経て役者になったのだという。小さな事務所で頑張っていて、オーデションを受けまくるも、これまでは大きな仕事に恵まれなかった。たまに2時間サスペンスドラマなどに出ていたけれど、名前を聞いても誰も知らず、写真を見せれば「何かで観たことあるかも」と言われる程度の存在だったそうだ。
「そんな人が、いきなりハリウッド・デビューなん?」
「事務所にオーデションの話が来たんやて。ビデオ審査で受かった時には、マネージャーと抱き合って大喜びしたそうや。一般公募のエキストラも、日本から300人も参加するらしいで」
「すごいやん! その映画、絶対観に行こな!」
などと盛り上がっていたのだ。
その後の井原さんと隆志とのメールのやり取りによると、長期ロケというのにニュージーランドの食事が合わずに、日本人俳優やスタッフはみんなイライラしているとのこと。
「食材が新鮮で、ボリュームは十分なんやけど、肉は羊がメインやし、大味でレパートリーが少ないから飽きんねんて。カップラーメンぐらいやったらスーパーにもあるから、それでしのいでたそうやけど、そのうち胃ぃがもたれてきて、芝居に集中でけへんようになって来たって……」
「ニュージーランドって、和食のお店、ないん?」
「戦闘シーン撮ってるっちゅう話やから、だいぶ僻地なんちゃう? たまに街の日本食のレストランに行っても、日本人が作ってないから、寿司にアボカドやチーズが入ってたり、ラーメンにサラダが乗ってたりで、変な料理が出てくるんやって。出汁の味が恋しゅうてしゃあないらしい」
「ああ、そやからカップ麺なんや」
「うん。『赤いきつね』と『緑のたぬき』を送ってくれって、銘柄まで指定してあったわ」
一ヶ月半に及ぶニュージーランドのロケを終えた井原さんが、私たちの住む堺市のマンションを、わざわざ訪ねてくれることになった。まだ撮影は残っているけれど、久しぶりの帰国で、2週間の休暇を与えられたそうだ。
初めて生で会う井原さんは、背が高くて、しっかり腹筋が割れていそうな体育会系イケメンで、いい匂いがした。やはりスクリーンに出る人が野に放たれると、明らかにオーラが違う。これだけ華があっても、画面の中では目立たないのだから、もし主役級の俳優がこの部屋にいたら、眩しくて目が開けていられないのではないかと思う。
「きみらが送ってくれた段ボール箱が届いた時、あんまりでかいんで、みんなが集まって来てしもて。開封して赤と緑のラベルが見えた途端、拍手喝采や。『うわーっ!』てなって、一気に半分くらいなくなってしもたわ」
「ほな、足らんかったんちゃう?」
「いや、最初っからみんなに配る気でおったし、そんなんかまへんねん。『赤いきつね』の出汁を一口すすった瞬間、生き返った気がしたで! しかも送ってくれたやつ、関西版やったやろ。懐かしい味やったわ。事務所に頼んでもよかってんけど、そしたら関東版が届いてしまう、思てな。ほんっま、隆志に頼んで良かったわ。ありがとうな!」
井原さんは隆志をハグして、ほっぺにキスをした。
「おまえ! ここはハリウッドちゃうぞ!」
隆志は力一杯押し返そうとしたけれど、168cmの隆志と182cmの井原さん
では、ガタイが違いすぎて振りほどけない。
「ほら、智絵里が誤解するって!」
ハッと私に気づいた井原さんは、
「ごめんごめん。俺ら、そんな仲やないから安心してな」
慌てて隆志を解放した。
「ほんで、俺が持ってるカップ麺が『疲れた胃に効いて、リラックスできて元気になる』っちゅう噂が広まって、みんなにねだられるようになったんや」
「もしかして、渡辺謙さんや真田広之さんも食べたんですか?」
私は興味津々に尋ねた。
「もちろん! トムも食べたで」
「トムって……トム・クルーズ?!」
私と隆志は同時に声をあげた。井原さんはおもむろに、ジャケットの胸ポケットから1枚の写真を出して見せてくれた。トム・クルーズと並んで、満面の笑顔でピースしている井原さんの写真だった。
「ほんまや……」
私たちは食い入るように写真を見つめた。
「トムってめっちゃフレンドリーで好奇心旺盛やねん。俺らがみんな、美味しそうにカップ麺食べてたら、トムが近づいて来て『ソレ、クダサイ』ってねだられてん」
「うそ! トムって、日本語しゃべれるんですか?」
私が目を丸くした。
「挨拶程度やけどな」
「で?」
隆志が促した。
「最初はそばよりうどんかなって思て『赤いきつね』あげたら、めっちゃ気に入ったみたいで、『エドにも食べさせたい』って」
「エドって?」
「エドワード・ズウィック監督に決まってるやん!」
「ほんで?!」
「トムと一緒に『赤いきつね』持って、監督のキャンピングカーに行ったんや。もう心臓バクバクやったわ。監督に、『ディス イズ ベリー フェイマス ジャパニーズ インスタント ヌードル』って、思いっきり日本語英語で渡したら、トムが横から『日本人がみんな、夢中になって食べてるソウルフードだから、エドもこれを食べれば日本人の心がわかると思うよ。とにかくうまいから食べてみて』って英語で援護射撃してくれたんや」
「トム、ええこと言うなぁ」
私たちは嬉しくなってうなずいた。
「ほしたら監督が『Yes』って言いはったから、キャンピングカーに備え付けのポットを借りて、カップ麺をセットしてん。出来上がるまでの5分間は、俺の人生で一番長い5分間やったんちゃうかな……」
「ほんで?」
私たちが身を乗り出すと、井原さんも顔を寄せて来て、二人の目を交互に見つめた。
「そしたらな、……奇跡が起きてん」
「おまえなぁ、ここにきてもったいぶんなや!」
隆志が声を荒げた。
「一番ええとこやねんから、ちょっとぐらいもったいぶらせてえや。……もちろんエドも『赤いきつね』がえらい気に入って、俺の名前聞かはったんや。ほんで『何の役だった?』って聞くから、『最初の戦闘シーンで逃げていく、士官の役です』って言うたら、『ファンタスティックなジャパニーズ・ヌードルのお礼に、もう一つ役をあげるよ』って、クライマックスの戦闘シーンで、敵対する政府軍の、セリフ付きの役がもらえてん!」
「凄いやん!!」
「これもほんっま、きみらのおかげや。ありがとうな!」
井原さんは、二人の首に両腕を回して抱きしめてくれた。
「そんなに喜んでくれて、俺らも嬉しいで。ほんで、セリフもうまいこと言えたん?」
「バッチリや。一言号令かけるだけやねんけど、めっちゃええ役でな。俺たぶん、どアップでスクリーンに映ると思う。もちろん本番の前には緊張せんよう『緑のたぬき』食べて、精神統一してから挑んだで」
「そこは『赤いきつね』ちゃうんかい?」
隆志が突っ込んだ。
「それがやな、うどんの方が人気で、先になくなってしもたんや。……そやけどなんやな、出汁の味って、日本人のDNAに組み込まれてるなって、ほんま思たわ」
映画『ラスト サムライ』は世界的に大ヒットした。アクション映画なのに切なさ満載で、映像も美しく、私と隆志は映画館で、人目もはばからず号泣した。井原さんの演技も最高で、端役ながらとても印象に残る、いい役どころだった。
アカデミー賞の表彰式当日。私たちは食い入るようにテレビの画面に見入っていた。
『ラスト サムライ』は4部門でノミネートされ、中でも渡辺謙の助演男優賞ノミネートが、日本では大きな話題だった。
「あっ!」
レッドカーペットを歩く監督とメインキャストの中に、なんと緑のタキシード姿の井原さんがいた! 補色効果で誰よりも目立っている。
中継しているアナウンサーが「彼は……えーっとですね」と、慌てて井原さんの名前を調べているのがわかった。
「なんで?!」
「カップ麺でここまで来る?」
「恐るべし、やね」
やっと井原さんの名前を放送したアナウンサーが、「まるでクリスマス・カラーですね」と、赤いカーペットに緑のスーツの取り合わせをそう表現した。
けれど真実は、井原さんと私たちだけが知っている。井原さんは、『赤いきつね』と『緑のたぬき』に、敬意を表したに違いなかった。
終わり
※これは事実に基づいたフィクションです
レッドカーペット シャロン @ariyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます