エイフィアのハグとレイシアちゃんとのハグ

「タクトくん、ただいまー……」


 レイシアちゃんと談笑していると、店の奥の扉が開かれた。

 そこは僕がさっきスコーンを取りに行くために潜った扉で、僕達が住んでいる家とお店を繋いでいるところだ。


「おかえり、エイフィア」


 扉から現れたのは、何故かげっそりとしたエプロン姿のエイフィア。

 冒険者の仕事をしてきたというのに、どうやら今からお店も手伝ってくれるみたいだ。


 そのため「あ、今日はあの子来てるみたいだ」、「マジで!? うっわ、可愛い」と、男性客からそんな声が聞えてきた。

 あまりの可愛さに、彼女はいつかマスコットか看板娘としての立場を確立してしまいそうで恐ろしい。


「あ、レイシアちゃん今日も来てるんだね」

「はい、お邪魔しています」

「そっかぁ」


 エイフィアはカウンターの中に入ってくると僕の横に並ぶ。

 しかし―――


「あの……どうしたのですか? あまりにも元気がなさそうですが」


 あまりにも覇気がないエイフィアを見て心配するレイシアちゃん。

 確かに、今日のエイフィアは持ち前の明るさが微塵も感じられないぐらい元気がない。

 何かあったのだろうか? そんな心配が湧き上がってしま―――


「実はね、朝ご飯がミルク三滴だったんだよ……」


 僕は心配することをやめた。


「な、何も食べていらっしゃらないんですね……」

「自業自得だね。僕は今でも背骨が痛い」

「ただ抱き締めただけなのに……私の力が強いんじゃなくて、タクトくんが軟弱さんなだけだと思うんだよ」

「え? そんなわけないじゃん」


 僕が軟弱? コーヒー豆を抱えて週に一度商業ギルドと『異世界喫茶』を行き来して鍛えている僕が軟弱?

 エイフィアも面白い冗談を言うようになったものだ。

 それとも、自分の怪力を誤魔化す言い訳かい?


「僕は脱いだらバッキバキだよ? 上腕二頭筋にはお餅が乗っていて、腹筋は板チョコのように割れてるんだから」

「どれも弱そう……」

「失敬な」


 僕は筋肉があることを証明するため、袖をまくって力こぶを見せる。

 ほら見ろ、逞しさ全開の力こぶが「か、可愛いです……」腕に浮かんで―――


「待って、誰だよ可愛いって言ったやつ」

「レイシアちゃん」

「レイシアちゃん!?」

「ち、違うんですっ! ただ、一生懸命力こぶを作ろうとしているタクトさんが可愛いなと思っただけで―――」


 どちらにせよ僕の心は傷ついた。


「っていうか、今まで散々抱き着いてきたのに折れなかったじゃん。それって、今回たまたま力を込めすぎたってことじゃないの? 昨日は普通だったし」


 もし僕が軟弱だったら、今までも背骨に多大な影響が出ていたはず。

 つまり、僕が軟弱っていうわけじゃなくて今回たまたまエイフィアが力を込めすぎたっていうことじゃなかろうか。


「ぶぅ~! 私、そんなに力込めてなかったもん! タクトくんが軟弱さんになっちゃったんだよ!」

「凄い話だ」


 一日二日で体質が変化したなら、真っ先に病気を疑うべきだ。


「そうだ、タクトくんっ! 本当に私の力が強いのか、タクトくんが軟弱か試してみようよ!」

「いいでしょう。残念なエイフィアに更なる残念属性を与えるために、その提案に載って差し上げますわっ!」

「タクトくん、口調」


 しまった、あまりの興奮に悪役令嬢属性が。


「しかし、どうやって試されるのですか?」

「私とタクトくんが交互にレイシアちゃんに抱き着く! それで、私が抱き着いてレイシアちゃんの背骨がすんごいことにならなかったらタクトくんが軟弱。逆にすんごいことになったら私の力が強いってことで!」

「なんてことを」


 レイシアちゃんの背骨を実験材料に使わないでほしい。

 人の体をなんだと思っているんだ、この女は?


「あ、あの……流石に私もその実験は少しこわ―――」

「(でも、この実験をするとタクトくんに抱き締めてもらえるよ?)」

「やりましょう、タクトさん」


 何がレイシアちゃんのやる気に火をつけたのか。

 エイフィアがボソボソと呟いた言葉が気になって仕方がない。


「で、でもさ? その流れでいったらエイフィアが抱き着くだけで分かるんだし、僕が抱き着く必要なんて―――」

「念のためってやつだね!」

「それに、レイシアちゃんの背骨が心配で―――」

「いざとなれば身体強化の魔法を使いますので、ご安心ください」


 なんだろう。安心材料がどこにもないまま逃げ道を塞がれたような気がする。


「と、いうわけで~」


 エイフィアはカウンターからレイシアちゃんのいる場所まで回る。

 そして、立ち上がったレイシアちゃんに思い切り抱き着いた。


「んふふ~! レイシアちゃんってすっごくいい香りがする~!」


 抱き着いたエイフィアはすっごくご満悦そうな顔をしている。

 何度もレイシアちゃんに頬ずりをして、感触を堪能しているようだった。

 まさかとは思うが、初めからこれが目的だったのではないだろうか?


「あ、あまり頬ずりはやめていただけると……」


 しかし―――


(ふむ……これはこれは)


 困った表情でエイフィアの頬ずりを受け入れるレイシアちゃん。

 傍から見た光景は、美少女が互いに抱き締め合う百合的な姿。

 微笑ましいもののようで、どこかイケないものを見ているような背徳的気分にさせられる。


 だがどうしてか、いかんせん目が離せない。

 男として、この美少女二人が絡み合う姿だけは目に焼き付けておかないと───


「……タクトくんがいやらしい目で見ているんだよ」

「タクトさん……」


 しまった、美少女二人からどこか侮蔑の篭った瞳を向けられてしまった。


「じゃあ、次はタクトくんね! ……変なことしちゃダメだよ?」

「しないけど!?」


 否定してもエイフィアからジト目が突き刺さる。

 どうやら、先程の「百合……でゅふ」という視線が警戒心を強めてしまったようだ。


「はぁ……」


 自業自得ではあるのだけども、僕は自然と出てしまったため息を隠さずそのままレイシアちゃんの近くへ寄った。


 すると、レイシアちゃんは僕が寄った瞬間に肩を震わせる。


(いや、なんというか……ごめん)


 そんなに嫌がられるほどの視線を向けてしまっていたとは。

 これはかなり反省しなければならないだろう。


「あの、レイシアちゃん……嫌なら全然断ってくれてもいいからね?」

「お断りします」


 僕は女の子の気持ちがよく分からない。


「で、では……お願いします」


 レイシアちゃんが手を広げてくる。

 嫌がっているように見えたはずなのに、かなりやる気だった。

 けど、恥ずかしさを隠しきれない朱色に染った頬が、僕に同じような恥ずかしさを与えてくる。


(よ、よく考えたらエイフィア以外の女の子にハグするのって初めてな気が……)


 そう考えると、余計に恥ずかしくなってきた。

 しかし、このまま放置すれば何故か頑張ろうとしているレイシアちゃんに申し訳ないような気はする。


 据え膳食わぬは男の恥───僕は心の中で覚悟を決めて、手を広げるレイシアをそっと抱き締めた。


 エイフィアよりも小柄なレイシアちゃんの頭は僕の胸に埋まり、彼女の体温が全身に伝わってくる。

 所々に感じる柔らかい感触は「女の子を抱き締めている」という事実を突きつけてくるようだった。


「〜〜〜ッ!」


 レイシアちゃんが言葉にならない声を上げた。

 それは嫌がっているというよりも、どこか嬉しそうな───


(いや、っていうかこれはマズい気が……ッ!)


 エイフィアなら慣れている。

 だけど、今回はレイシアちゃんだ。


 同年代の女の子、それに最近「大事な人」だと思えてきて、よく分からない感情に振り回されている彼女を抱き締めているとなると、また複雑な感情が押し寄せてきてしまう。


「な、なんだか恥ずかしいですね……」


 近くから、レイシアちゃんのおずおずとした声が聞こえてきた。


「でも……凄く、幸せです」

「〜〜〜ッ!?」


 甘い香りに乗った嬉しそうな言葉が、僕に余計な羞恥を与えさせた。

 僕の顔に、熱が一気に上っていく。


「むぅ〜……私とは全然違う反応だし」


 横では、エイフィアが頬を膨らませて不満げなアピールを見せていた。

 ……ただ一つだけ言わせてほしい───


(エイフィアからやろうって言い出したんじゃん……)


 ───結局、僕とエイフィアが抱き締めてもレイシアちゃんの背骨がどうにもならなかったので、どっちが悪いのかが分からずじまいだった。


 ただ、お店の中で堂々とハグをしていたので、お客さんから「イチャつくなら他所でやれ」とか「初々しかったわ〜」などという声をもらってしまった。


 ───今後は、お店でこのようなことは控えようと思い、言い出しっぺの夕食をミルク二滴にした。

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