寝起きのエルフ

 異世界に転生し、チートも無双もプレゼントもなかったごく平凡な少年の朝は早い。


「ふぎゃっ!?」


 日が昇り始め、ようやく朝の陽射しが射し込み始めた頃。

 快眠のさなか、唐突に押し寄せる圧迫感。

 豚よろしい鳴き声が思わず口から零れてしまい、意識が現実へと持っていかれる。

 圧迫感は固いものではなく柔らかいもの。そして、鼻腔には仄かに香る甘い匂い。


 正直に言おう。

 この圧迫感は悪くない。

 悪くないのだが……その、朝から元気になりそうで辛い。


「…………」


 瞳を開ければ程よく沈んでいる二つの丘。

 離れようとしても、背中に回されている腕により即時脱出不可能。

 視線を少し上に上げれば端麗な顔立ちが眼前に迫っており、桜色の唇に目が引き寄せられる。

 尖っている耳はぴょこぴょこ動き、とても気持ちよさそうだ。


「……はぁ」


 僕はモゾモゾと動き出し、抱き締めている少女を起さないようホールドから脱出する。

 脱出してから起き上がると、チラリと寝ている少女を一瞥した。


 艶やかな長い金髪に、エルフの特徴である長い耳。絵に書いたような美しさを誇る顔立ちには目を惹かれずにはいられない。


 ラフな部屋着は胸元がはだけ色っぽく、露出の多い服のおかげで色々な部分から柔肌が露になっている。

 とても気持ちよさそうな寝顔は、僕のため息など知らないかのよう。

 そんな少女―——エイフィアを見て、僕は思った。


「…………」


 なんか腹立つな、と。


 だから僕は近くにあった枕を掴んで、思いっきりエイフィアの顔面に押し付けた。


「ふがっ!?」


 エイフィアからそんな声が聞えてきた。

 しばらく押し付けているとじたばたし始め、ついに僕の手を押しのけて上体を起こした。


「何するのかな!?」


 寝起きだというのに、エイフィアは驚いた表情を浮かべて僕を見る。


「おはよう、エイフィア」

「うん、おはよう……じゃないんだよ!?」


 まったく、朝から騒がしい人だ。

 魔女さんが起きたらどうするつもりなのさ。


「私死ぬよ!? 起こされ方の中で一番やっちゃいけない起こし方だよ!?」

「そんな……死ななかったじゃないか」

「え? 私に恨みでもあるの!?」

「男の苦しさも分からないで、気持ちよく寝やがって……ッ! それが恨みさっ!」

「意味が! 分からないんだよ!」


 いやいやいや。考えてもみなよ。

 朝起きて隣に寝ていた男の息子が元気になったとしよう。

 そうすれば、少なからず気まずい空気になるよね。

 エイフィアのことだ「え? なんでそんなにおっきくなってるの!?」って驚くに違いない。


 僕とエイフィアはこの家で同じ部屋……同じベッドで寝ている。

 それは間取りが少ないっていうのもあるけど、なんか助けた僕の責任で「ちゃんと面倒を見ろ」と魔女さんに言われてこうなっているんだ。


 ―――まぁ、経緯はいいとして、同じベッドで寝ているんだから次の日も同じベッドで寝ることになるのは当たり前。

 発情した男の横ではエイフィアも寝たくないだろう。

 だから僕はたとえ露出が多い服装で、寝ているさなか抱き締められても元気にならないように頑張っている。


 それなのに、僕の苦労も知らないで気持ちよく寝ている人が横にいるんだよ?


「腹が立つよね」

「どうして!?」


 少しは自分の寝相の悪さを自覚してほしいものだ。


「……そろそろ、床で寝ようかな」


 僕とエイフィアの部屋は少し大きめ。日本でいうところの7畳ぐらいだろうか?

 机やテーブル、エイフィアの冒険者道具とか、エイフィアの私服とか、エイフィアが買ってきたぬいぐるみとかが所狭しとあるけど、頑張れば床で寝られるぐらいの広さはあるはずだ。


 息子のためにも、そろそろ雑魚寝を検討しなくてはいけないかもしれない。

 ベッドも普通のシングルベッドだし、密着しなきゃ寝られないもんね。


「ふぇっ? どうして床で寝るの? 床で寝たら疲れがちゃんと取れないよ!」

「誰のせいだと思ってるのかなぁ~?」

「いひゃいいひゃい、ひゃくとくんいひゃい」


 自分のせいだと自覚していないエイフィアの頬を抓る。

 もちもちとした肌を触っていると、ずっとこうしていたいと思ってしまうのが不思議だ。


「すっごい今更聞くけど、エイフィアは嫌じゃないの? 男と同じベッドで寝るって」


 エイフィアがこの家で暮らすようになってからしばらくが経つ。

 初めに「別にタクトくんならいいよ~」と言ってくれたので僕も深く聞かないで今に至るけど———


「タクトくんなら別に」

「何その、無駄に厚い信頼は」


 こちとら、今まで彼女がいなかったから万年の思春期だよ?

 エイフィアみたいな可愛い子が横で寝ていたら襲っちゃうかもしれないんだよ?

 信頼を寄せる根拠がどこにもないような気がするのは僕だけだろうか。


「むふふ~、そーれっ!」

「うわっ!?」


 エイフィアが唐突に僕を抱き締めた。

 今日だけで二度のハグだ―――顔が再び双丘に埋まってしまう。


「タクトくん、こんなことをしても私に変な目を向けないでしょ?」

「そりゃまぁ、もう慣れたし」


 今までどれだけエイフィアの寝相の悪さに付き合わされ、数多のスキンシップを受けたと思っているのか?

 流石の僕でも成長するものなのさ。

 ただ、慣れただけであって興奮していることには変わりないのだが。


「違う違う、普通はこんなことをしたら「手を出したい」っていう目を向けてくるんだよ。タクトくんは恥ずかしがっても、私に何かしようっていう目は向けないんだよ」


 同室の女の子に手を出したら、明日から家庭が崩壊する未来が見えるからね。


「だから、私はタクトくんと一緒に寝ても問題ないのですっ!」

「いやいやいや、まったく理由になっていないような―――こ、こらっ! あんまり力を強めないで! 背骨が……背骨から「ミシミシ」って聞こえちゃいけないような音がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!???」


 ―――このあと、同居人の背骨を破壊しようとしたとして、加害者の少女の朝食を三滴のミルクだけにした。

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