エピローグ

 レイシアちゃんのお父さんとお話をしてから一週間の月日が経った。

 あのあと、結局王家との婚約話はなくなったらしい。


 これも全てレイシアちゃんのお父さんが頑張ってくれたおかげなんだとか。

 王家からの反感があるか!? そうビクビクしていた僕ではあったけど、結局なんのお咎めもなかった。


 少し風当たりが強くなったみたいだけど、レイシアちゃんのお父さんは「子供が気にすることではない」と一蹴。

 ちょっとかっこいい。これが大人ってやつなんだと少し惚れ惚れしました。


 イリヤさんもお店にやって来て「気にしないでいいわよ〜! 風当たりが強いって言っても、第二王子だけだから〜」と言い残して帰っていった。

 ……それは大丈夫なのだろうか? そう思ってしまう。

 多分、緊張感のない顔で言ったイリヤさんだからそう思ってしまうのだろう。


 そして───


「今日もいい天気だなぁ……」


 お店を開けた直後。

 外の喧騒が聞こえ、温かい陽気が窓から差し込んでくる今日この頃。

 レイシアちゃんの一件があったとはいえ、今日も今日とて平和な一日だ。


「ふふっ、そうですね」


 対面に座るレイシアちゃんが上品に笑う。

 もはや開店前からやって来るようになってきたレイシアちゃんは、いつも通りブレンドを注文していた。


 ───あの一件があって以降、レイシアちゃんは毎日このお店に足を運ぶようになった。

 学園がある日は、学園と習い事が終わってから。休日の日は、今日みたいに開店直後からいる。

 それは嬉しい……前に戻れたような気がして、ちょっと懐かしく思えてくる。


 だけど───


「レイシアちゃんの顔を見ると恥ずかしさが込み上げてくるんだよねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 僕は思わず頭を抱えて蹲ってしまった。


「またですか、タクトさん? もうその言葉、ほぼ毎日ですよ?」

「い、いやいやいやっ! だってさ、あの時の話全部聞いちゃってたんだよね!?」

「そうですが?」

「Damn it(ちくしょう)!」


 どうやら、あの日……レイシアちゃんは僕とレイシアちゃんのお父さんとの話をガッツリ聞いていたらしい。

 どうやって聞いていたのかは知らないけど、今は方法なんてどうでもいい。


 問題は、あの小っ恥ずかしいようなセリフを聞かれてしまっていたってことだ。


「思い返すだけで、そこはかとない羞恥心が……ッ!」


 あの時は必死だったけど、今思い返せば「僕が必ず幸せにしてみせる」とかよく言ったよねって思う。

 それに「僕の人生に彩りを───」なんて、本人がいないから言えたセリフなのに、本人がいたらただの痛い奴じゃないか!


 偉そうなこともベラベラ話したし───


「穴があったら入りたい……」

「何を仰ってるんですか……かっこよかったですよ、あの時のタクトさんは」

「〜〜〜ッ!?」


 その言葉に、思わずドキッとしてしまう。

 こんなに可愛い子にそう言われたら、羞恥などどこかに吹っ飛んでしまいそうだ。


「本当に、あの時のタクトさんはかっこよかったです……」

「やめるんだ、それ以上は僕がもたない!」


 吹っ飛ばされるのが羞恥だけだと思わないことだ。

 諸々な感情と理性が吹っ飛ばされる恐れがある。


「どうしてですか……?」

「いいかい、僕は正直に話すけど───今まであまり女の子に「かっこいい」と言われたことがないんだ」

「はぁ……?」


 レイシアちゃんが首を傾げる。

 僕が平静でいられるようにカミングアウトしたけど「何を言っているんですか?」みたいな目を向けられると地味に辛い。


「ごほんっ! ま、まぁ、あの一件はもう蒸し返さないようにしよう」

「タクトさんから切り出した話だったような気がしますが……別に構いません」

「ありがとう」

「あの時は、助けていただきありがとうございます」

「蒸し返さないでって言ったよね!?」


 今しがた「構いません」って言ったばかりなのに、どうして蒸し返すのかなこの子は?


「でも、やっぱりこれだけは言いたくて……」


 レイシアちゃんがカップの縁を指でなぞる。

 その姿は、どこか懐かしむようにも見えた。


「はぁ……お礼ならもう聞いたよ。だからもういいんだって」

「ですが───」

「それに、僕はお礼を言われたいから助けたわけじゃないから」


 自分が助けたいって思ったから、レイシアちゃんのお父さんと話したんだ。

 確かにレイシアちゃんは婚約話がなくなって助けられたかもしれないけど、結局は自分のしたいことをしただけ。

 そこにお礼なんか対価として求めていたわけじゃない。


「僕はこうしてレイシアちゃんがコーヒーを飲みに来てくれるだけで充分なんだよ。それ以上、僕は何も求めない」

「タクトさん……」

「だからもう言わないで。言われちゃったら、僕はまた羞恥で悶えることになっちゃうから」


 僕が無理矢理話を終わらせると、何か言いたげなレイシアちゃんは口を噤んだ。

 お礼を言われるのは嬉しいけど、一週間も経ったんだしそろそろ切り替えてもいい頃だと思うんだよね。


「それよりさ、やっと自分の好きな人と結婚できるようになったんだし、その人の話とかしようよ! いるんでしょ、好きな人!」


 僕がそう言うと、レイシアちゃんはほんのりと頬を赤らめた。


 この様子は……ビンゴだ。

 やっぱり、レイシアちゃんには好きな人がいるんだ!


 いやぁ、お客さんの恋バナ聞くって結構憧れてたんだ。

 ドラマアニメとかでもたまに見るし、それをちゃんと聞いてあげてアドバイスをするマスターはかっこいいって思っちゃう。


 僕は残念ながらめちゃくちゃためになるアドバイスをできるほどの恋愛経験はないけど……いや、そもそも皆無なんだけども! きっと何かしらのアドバイスはできると思うから。


 僕はワクワクした気持ちを抑えつつ、少し恥ずかしそうにするレイシアちゃんの言葉を待った。

 すると、レイシアちゃんはゆっくりと口を開き始める。


「……います」

「おぉ!」

「でも、その人はかなりの鈍感さんで、私の気持ちには気がついていないみたいなんです」


 ふむ……鈍感系の男か。

 そういうのはあくまでアニメや漫画だけのフィクションだと思っていたんだけど、実際に鈍感系の人っているんだね。

 というより……レイシアちゃんみたいな天使に好かれるって、かなり羨ましいぞその男。


「けど、とても優しくて、かっこよくて、頼りになって、貴族である私にも平等に接してくれて、温かさをくれて……何度も私を助けてくれたんです」


 そう語るレイシアちゃんの顔は乙女のようだった。

 赤みが差した顔に笑みを添えて、慈しむように想っている。


 これが恋する乙女か……この顔を見ただけで、その人は本当に好かれているんだなと理解させられてしまう。


「鈍感さんだったら、どんどんアピールしていかなくちゃいけないよね」

「そうなんです。なので、これからはどんどんアピールしていくつもりです」


 レイシアちゃんのアピールか……男だったら、秒でおとされそうな気がする。

 でも、こんなに想われているんだ。きっと相手にもその想いは届くだろう。


 レイシアちゃんは頑張り屋さんだもんね、きっと好かれるまでアピールするに違いない。


「(ですので……)」


 レイシアちゃんがポツリと呟く。

 その声は拾えなかったけど、次の言葉だけはちゃんと聞こえた。


「タクトさん、ここのテーブル……どこかおかしくありませんか?」


 レイシアちゃんそう言うと、自分の目の前の部分を指さした。

 残念ながら僕からはちょうど見えない部分で、僕はカウンターから身を乗り出して確認する。


「えーっと、どれどれ……ん? 何もないけど───」

「はい、そうですね」


 だったらなんで言ったの?

 疑問に思っていると、レイシアちゃんは唐突に僕の顔を両手で挟んだ。

 すると───


「私……頑張りますね」


 チュ、っと。

 不意に口元に柔らかい感触が触れた。


「……え?」


 眼前にはレイシアちゃんの顔。

 瞳は閉じられ、赤らんでいる頬と整った鼻梁が視界を覆う。


 突然のことに真っ白になった脳内。

 呆然としている僕を見て、レイシアちゃんはそのまま顔を離した。

 すると赤みは更に増し、唐突に俯いてしまう。


「(が、頑張りました……で、ですが、これは思った以上に照れますね)」


 その顔を見て、僕は理解する。

 僕は、レイシアちゃんにされたんだということに。


(え、待って待って……いや、どうして!?)


 理解したとしても、僕の頭は完全にパニックだ。

 どうしてレイシアちゃんは僕にキスをしてきたのか?


 ま、まさか───


(レイシアちゃんの好きな人って、僕……ッ!?)


 キスをしてきたってことは、そういう可能性が考えられる。

 確かに、今回の一件ではレイシアちゃんを助けることができた。


 もしかしなくても、それがきっかけで好感度が上がったとか───


(い、いやいやいや! 落ち着け僕! 安易な考えはモテない男の要因だ!)


 そうだよ、こんなに可愛くていい子で誰にだって好かれるような女の子が僕みたいなしょうもない男を好きになるわけないじゃないか。


(そもそも、、キスは異世界の親愛の証かもしれない!)


 キスが好きの現れなのだとしたら、エイフィアだって僕に好意を向けていることになる。

 でも、エイフィアが向けているのは弟感覚の好きだ。


 キスは異世界の親愛の証……そう考えれば、色々と合点がいく。

 フッ……危うく、モテない男の勘違いをするところだったよ。


「何か勘違いをされている気がします……」

「ん?」

「なんでもありません……はぁ、分かっていましたもん」


 レイシアちゃんが小さなため息を吐いて、コーヒーを啜る。

 どうしてレイシアちゃんはため息を吐いたのかはよく分からない。


 けど───


「……今日も美味しいですね」

「ありがとう、レイシアちゃん」


 そう言ってもらえることが嬉しい。

 それだけは確かなはずだ。





 ───異世界に転生してからしばらく。


(やっぱり、コーヒーを美味しいって言ってもらえるのは嬉しいなぁ……)


 前まではこんな時間を味わえるなんて思っていなかった。

 目の前に美味しいって言ってくれるお客さんがいて、まったりも静かな心地よさ。


 それも全部───


「もう一杯、飲む?」

「ふふっ、ではいただきます」


 あの時、君と出会ったから得られたものだ。


 ねぇ、レイシアちゃん知ってる?

 僕、こう見えても君のこと───……だと思ってるんだよ?



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