助けられた者は

(※レイシア視点)


 タクトさんとお父様の話し声が穴から聞こえてきます。

 先程からずっと。激しく脈打つ鼓動を抑えながら、私は聞こえてくる声に耳を傾けていました。


『……確かに、娘の願いを聞けば幸せな姿を見られるだろう。それは親として一番の幸せだ』


 タクトさんの話に、お父様が一理あるような反応を見せます。

 ですが、すぐさま否定が入りました。


『だが、もし娘が望む相手の結婚できなければ? 恋愛というのは、望む結末に全てが纏まるわけではない。想いを告げ、断られたとしよう―――そうなれば、果たして娘は幸せだと言えるか? 王家の一員になった方が、よりよい生活が送れるかもしれん……不確定要素の幸せを、君は俺に許容させるのか?』


 ……お父様の言う通りです。

 私は、この道を選んだところで幸せになれないかもしれません。


 タクトさんはとても魅力的な殿方ですから。

 私以外の女の子にも好かれることはあるでしょうし、私以外の女の子を好きになる可能性もあるでしょう。


 そう考えただけで心が痛みます。

 そして、やはりお父様を動かすことができないという思いも、同時に胸を締め付けてきます。


 タクトさんが言葉を並べてくださったところで、お父様は首を縦に振りませんでした。

 否定の言葉を口にし、冷静にタクトさんと私の感情論を殺そうとしています。


 これが、現実。

 タクトさんが今味わっている苦しさ。


 逃げるな───そう言われましたが、これは覚悟した以上に苦しいものです。

 当事者としてあの場にいないにもかかわらず、これほどまでに苦しくなってしまうとは。


 期待、希望。その全てが打ち砕かれたような感覚。

 これが、助けられる者の義務……なんですね。


『もし、そうなったら……それは彼女の責任です。その道を望んだ、レイシアちゃんの責任だ』


 ですが―――


『僕が彼女を幸せにします』


「ッ!?」


 次に発せられた一言に、私は思わず目を見開いてしまいます。

 沈んでいた心が晴れやかになったような、そんな感覚が胸の内に広がりました。


『この道を選んで不幸になるというのなら、僕が幸せにします。どんな手を使っても、この道を選んで間違いはなかったのだと、心からそう思えるように……僕が幸せにしています』

『その時は、僕の首を刎ねてください』


(どう、して……?)


 嬉しさが込み上げてくる中、私の中で一つ疑問が浮かび上がります。

 タクトさんがそこまでする義理はないというのに、責任を取る必要もまったくないというのに。

 全ては私の我儘で、自分勝手な願望に過ぎないというのに。


 ねぇ、あなたは———



 どうして、そこまでしてくれるんですか?



 同じような疑問がお父様から発せられました。

 そして、その問いに彼は答えます。


『僕の人生を彩ってくれたのは彼女です。世間知らずで、コーヒーが好きだっただけの僕の生活に温かさと楽しさをくれたのはレイシアちゃんなんです。だから……僕は、そんなレイシアちゃんには幸せになってほしい。それを抜きにしても、あんなに心優しく頑張っている人には、心の底から幸せになってほしいと思っています』


(違う……ッ!)


 私の人生を彩ってくれたのも、温かさと楽しさをくれたのもタクトさんです。

 あなたが望むようなものを、私は何もあげられていません。

 全部、私がもらってばかりで―――


「タクト、さん……ッ!」


 だけど、どうしようもなく嬉しくて。

 そう言っていただけたことが嬉しくて。

 私の瞳から、温かい涙がポロポロと零れてしまいます。


「よかったのぉ、タクトはお前さんを大事にしてくれているみたいじゃ」


 タクトさんの言葉が一時の言葉ではないのは聞けば分かりました。

 その場凌ぎで、首を縦に振らせるためのものではないと、言葉の重みから伝わってきます。

 だからこそ嬉しくて、嗚咽に似た何かが私の口から出て行きます。


「はいっ……!」


 その重みが伝わったのか、お父様は小さく息を吐くと言葉を続けました。

 そして———


『俺の娘を幸せにしろ。そうでないと、俺はするだろうからな』


 ついに、その言葉を口にしてくれました。

 聞けるとは思っていなかった、その言葉を。


 貴族としては間違いで、私も諦めていたその言葉は、私の道を肯定してくれるようなものです。


『あとはこっちでなんとかしておく……少年は気にせず、助けることができた事実に満足していればいい』


 タクトさんは———私を助けてくれました。

 お父様を納得させて、これからどうなるかは分かりませんが、あの時言ってくれた言葉をちゃんと守ってくれました。


 普通の人ならできもしないはずなのに。

 そもそも、貴族の話に首を突っ込もうともしないはずなのに。

 自分がお父様に何をされるか分からないはずなのに、正面から堂々と……納得させてしまった。


「あ、あぁ……」

「泣いとるのは結構じゃが、お前さんは先に誰かと話すべきじゃないかのぉ?」


 魔女様がそう口にした瞬間、私は部屋から飛び出しました。

 階段を駆け下り、家の扉を勢いよく開け放って。

 向かうのはタクトさんのところでもなく、あのお店でもなく───


「お、お父様っ!!!」


 私は店の前で馬車に乗り込もうとするお父様に声をかけました。

 荒い息を整えることも、涙で濡れた目元を拭うこともせず、お父様のもとへと立ちます。


「なんだ、聞いていたのかレイシア」


 乗り込もうとするお父様が私の方を一瞥します。

 そして───


「聞いた通りだ。語らんでもいいだろう」

「私は───」

「いい男をな」


 それだけ。たったそれだけの言葉。

 必要とする会話も、経緯もどこにもない、短く話に沿わない言葉でした。


 ですが───



「はいっ!」



 私は泣き腫れた顔ではありましたが、めいいっぱいの笑顔を向けてそう答えました。

 ちゃんと、心からそう思っているから。


「……まったく、帰ったらイリヤにドヤされそうだ」


 お父様はそう愚痴りながらも、口元を綻ばせて馬車に乗り込みます。

 すると馬車はすぐさま動き出し、あっという間に遠くへ行ってしまいました。


 馬車を見送った私は、流していた涙を拭います。


(結局、何も言えませんでした……)


 ありがとうという言葉も、どうしてという言葉も。

 何も言わさないまま、お父様は帰っていってしまいました。


(いいです、帰ったらちゃんと言いますもん)


 私は少しだけ不貞腐れてしまいます。

 せっかく走って来たというのに、それだけの会話だということに。


 ですが、不思議と嫌な気持ちにはなりませんでした。

 それどころか、私の中にはお父様に対する感謝しかありません。


 それと───


「タクトさん……」


 ゆっくり、私はお店に向けて歩き出します。


 この想い、どうしましょうか?

 嬉しくて、ホッとして、ふわふわして、苦しくて、熱くて、高鳴りが抑えきれないこの想い。


 私がここに立っていられるのも、全てタクトさんのおかげ。

 あの時、このお店の入り口へと辿り着かなければ、このような未来にはなりませんでした。


 タクトさんが手を差し伸べてくれて……あなたと過ごしていた時間があったからこそ私はこの気持ちを抱けました。


 そして、再び助けられてしまいました。

 劇的でも、ドラマチックでも、激しい戦闘があったわけでもありません。

 物語のお姫様みたいに、傍で身を削りながら助けられたわけでもありません。


 でも確かに、身を賭けて私を助けてくれました。


(まったくもう……)


 全てが終わったからか、私は思わず笑みを零してしまいます。

 顔が燃えるように熱いです。胸の高鳴りが止まりません。


 決して、これは吟遊詩人が謳ってくれるような話ではないかもしれませんが───


「ありがとう、ございます……タクトさん」


 私は今日、お姫様になったような気分です。


 助けられたお姫様は騎士に恋をして、添い遂げて、一生の幸せを過ごす。

 私は物語のお姫様ではありませんが……幸せに、なれるでしょうか?

 タクトさんと結ばれることは、できますでしょうか?


(ふふっ、でもタクトさんは幸せにしてくれるって言いましたから)


 もちろん、タクトさんはそういった意味で言ってはいないことは分かっています。

 ……鈍感さんですから。本気で幸せにさせることしか考えていないでしょう。


(ここでその言葉を引き合いにしてお付き合いしてもらう……というのは卑怯ですよね)


 私は、好きな人を見つけたのなら自分の力で恋を実らせたいと思っています。

 故に───


「覚悟してくださいね、タクトさん……」



 ───必ず私を好きになってもらいますから。



 そんな決意をすると、私は『異世界喫茶』の扉を開きました。


「え、お客さん!? や、やばいっ……立たなきゃ! い、いらっしゃいませっ!」


 すると、カウンターから慌てたような声が聞こえてきます。

 それを聞いた私は───


「コーヒーを一つ、いただけませんか?」



 そうです、タクトさん。あなたは知っていますか?


 私、実はこう見えてあなたのことを───……だと思っているんですよ?

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