誰かに似ているお客さん

「今日はレイシアちゃん遅いなぁ……」


 祝勝会から翌日。

 今日はレイシアちゃんがこの店にやって来るのが遅かった。


 今となっては毎日のように『異世界喫茶』にやって来るレイシアちゃんだが、今日は一向に姿を見せていない。

 学園がある日なのは分かっているが、外はもう日が沈み初めオレンジ色の景色を見せている。


「……もしかして、何かあったんじゃないだろうか?」


 別にレイシアちゃんはこのお店の従業員でもなんでもない。

 あくまでもお客さんなのだから、来ない日ぐらいはいくらでもあるだろう。


 だがしかし、ここ最近は毎日やって来ていたのだ。

 ふと来なくなってしまえば、心配もしてしまうものだ。


「この時間にもなれば、流石にもうお客さんも来ないだろうし……」


 一日数組程度しか来ないが、それでも客足が伸び始めた。

 これもレイシアちゃんのおかげ。こうやって「もうこの時間なら来ないだろう」なんて考えることも、前まではなかった。


「……レイシアちゃん、か」


 カップを拭きながら、ふと彼女のことを考えてしまう。

 というより、さっきからレイシアちゃんのことしか考えていない。


 何か用事があって遅れているだけ。

 来ないと決まっているわけでもなくて、来なくても別に問題はないはずのお客さんなのに……僕は、レイシアちゃんのことだけで頭がいっぱいだ。


 これも、最近現れた謎の病のせいだろうか?

 レイシアちゃんの顔を見ると、ふとした瞬間に胸が高まってしまうこの病。


「今度、魔女さんにちょうどいい薬でも作ってもらおう……」


 このままだとレイシアちゃんとの関係にヒビが入ってしまいそうだからね。

 よそよそしい態度を取られたままだと、レイシアちゃんが気にしちゃうかもしれないから。


「その前に、これが病気なのかも相談しなくちゃ」


 そう思ったその瞬間、チリンとドアベルの音が店内に響き渡った。


「あ、いらっしゃいレイシアちゃ───」


 他のお客さん……という可能性よりも、真っ先に「ようやく来た!」と思ってしまう。

 しかし、そう思って出かかった言葉は途中で飲み込まれた。


 というのも───


「あら、まだこのお店は営業しているのかしら〜?」


 姿を見せたのは、レイシアちゃんじゃなかったからだ。

 でも、別のお客さんであればそのまま「いらっしゃいませ」という言葉で訂正しただろう。


 だけどそうならなかった理由は、単純に現れた人が色々とおかしかったからだ。


 肩口まで切り揃えたミスリルのようなサラりとした銀髪。

 透き通ったライトグリーンの双眸と、おっとりとした表情。

 それに合わさるようなグラマスな体型が、大人びた雰囲気を醸し出していた。


 その容姿や顔立ちは、僕の知る人とそっくりで───


(レイシアちゃんが大人になった……ッ!?)


 まるで、レイシアちゃんが大人になったような感じの人だ。

 全てが似ていて、それが大人びてしまっている。


(何があったの!? 今日という日に、レイシアちゃんの身には何があっちゃったっていうのさ!?)


 姿を見せないと思ったら、いきなり大人になっちゃってからまぁまぁ!

「綺麗だなぁ」って思うよりも「何事!?」という驚愕が勝って、頭はパニックだ。


(お、落ち着け……ここは異世界なんだ。もしかしたら、急激に大人になる魔法だってあるかもしれないじゃないか)


 現実的に考えるな。転生した場所はフィクションを体現した異世界だ。

 僕の常識の物差しで図ろうとしたって、追いつけるわけがない。


 アニメでも姿を変えるような幻惑魔法の類いだってあったじゃないか。

 恐らく、レイシアちゃんはその類いの魔法を使っているんだろう。


(きっと、レイシアちゃんは大人になりたかったんだろうね……こうして魔法を使ってまで、大人になりたかった深い理由があるんだ)


 常連のお客さんの悩みにも気が付かないなんて、僕はマスター失格だ。

 確かに、レイシアちゃんの胸部及び尻部の成長はグラマスとは少し遠い育ち盛りだ。

 女性はそういう部分にコンプレックスが生まれる人もいるという。


(気づいてあげられなかった分、この瞬間こそは気づかない振りをして見守ってあげよう)


「あ、あの〜? 聞いていますか〜?」

「聞いてるよ、さぁさぁ座って」

「……あら? 聞いてはいたけど、本当気さくに話しかけてくるのね〜」


 敬語を使うなって言ったのはレイシアちゃんの方なのに。

 口調も変わっているけど……なるほど、そういう設定なんだね。


「……どうしてかしら〜? なんか生温かい目を向けられているわ」

「僕は、君の全てを受け入れるよ」

告白プロポーズのような言葉に聞こえるはずなのに、なんでしょうね……この「子供の見栄を温かく見守る親」的な空気のせいで、全然告白プロポーズに聞こえないわ〜」


 恐らく、大方その空気が正しいからだろう。

 というより、そもそも告白プロポーズをした覚えはない。


「じゃあ、今日は何を飲もうか? 安心して、今日はお兄さんの奢りだ」

「私、一回り以上は大人なはずなんだけど〜?」

「はいはい、ごめんねお姉ちゃん」

「姉扱いをしてほしいってわけじゃ……いえ、それはそれで嬉しいかもしれないわね〜」


 ほほう、この設定の時のレイシアちゃんは姉扱いをしてほしいのか。

 ならば、マスターとしてお客さんの過ごしやすい空気を作るためにも───


「お姉ちゃん、今日も可愛いねっ!」

「やだ〜、照れるわ〜♥」

「…………」

「嬉しかったからもう一回言ってくれないかしら〜?」

「…………」


 なんだろう、このやりづらい空気は?

 いつもなら、こんなことを言えば「ふぇっ!?」みたいな反応を見せるのに、今は本当に嬉しそうにされてしまっている。


 それも、なんか大人っぽい雰囲気を醸し出しながら。

 ……ちょっと、ツッコミ不在は何かと辛い。


(……本当に、どうしちゃったんだろう?)


 本格的に役にハマっているような感じがしてきて、少し不安になる。

 大人になりたいという気持ちは分かるけど、引き返せないような場所まで行かなくても、元のレイシアちゃんのままでゆっくりと成長していった方がいいと思ってしまう。


 僕は腕を組んでしばらく葛藤する。

 初めはレイシアちゃんの『大人になりたいという願望』を尊重してあげればいいと思っていたけど、それはそれで間違っているようなという思いもあった。


 そして───


「レイシアちゃん……何か、悩みでもあるの?」

「あら? レイシアちゃん……?」

「悩みがあったら、僕は聞くよ?」


 僕は、後者を選ぶことにした。


「大人になりたいっていう気持ちはよく分かる。僕も大人になりたいって思う時もあるから。でも無理をして口調を変えたり、姿を変える魔法なんか使ってまで大人にならなくてもいいと思うんだ!」

「…………」

「今のレイシアちゃんのまま、ゆっくりと成長していけばいい。僕は今のレイシアちゃんよりも、いつものレイシアちゃんの方が好きだから。どうして大人になりたいのかっていうのは分からないけど、君のいいところを失ってまで大人になろうとしなくてもいいんじゃないかな!?」


 僕は真剣にレイシアちゃんに訴える。

 僕の言っていることが正しいかどうかは分からないけど、少なくとも間違っているような気がするから。


 しかし、レイシアちゃんは何故か呆けた顔をしていた。

 何か間違っていたのか、という微妙な空気が流れ始めた。

 そして───


「ふふふふ……あらあらあらー」


 レイシアちゃんは耐え切れず、唐突に笑い始めた。

 僕の想いは届かず、大人びた口調を残したままで。


(くっそぅ……僕じゃレイシアちゃんを元に戻すことはできないというのか!)


 僕は思わず床に膝をついてしまう。

 己の不甲斐なさを嘆きながら。


 そんな時、レイシアちゃんが僕の姿を見てもう一度笑った。


「ふふっ、そう言えば名乗っていなかったわね〜」


 カウンター座っていたレイシアちゃんが立ち上がる。

 そして───


「私の名前はイリヤ・アスタルテ───どうも、レイシアちゃんの母です♪」



 ……。

 …………。

 ………………え?

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