こいとか

@Marmalade_0829

こいとか




おそらく私はこの男に騙されている。

「ごめんな、母さんがいつよくなるかまだわからなくてさ…絶対よくなるから。よくなったらその時こそ籍入れような」

時計の針は0時をとっくに回っていた。

ただカップ麺をすする音だけが狭いダイニングキッチンに響く。

「いやええよ…てか、亡くなっても無いのになんでこんなお通夜みたいなテンションやねん」

夢を見て上京して早3年。スポットライトを浴びる夢を見ていたはずの私はいつの間にか灰色のビルのそびえる街で毎日蟻のように働いてこの男に貢いでいた。

「まあ、それはええねんけど、受けた言うてたあのオーデはどうなったん。結果出たんちゃうん」

「それは、その……ごめん……」

重い沈黙を破る為に発した言葉に対して返ってきたのは先ほどまでより重い沈黙。

「なあ、あんな、そろそろ友達とかにも言われてんねんけどさ、うち騙されてるんちゃうかなって、最近自分でも不安になってきてるねんけど」

ずっと留めていた不安がため息と共に溢れる。

冗談めかして言ったつもりの私のセリフにも彼は俯いて何か返事をする素振りもみせない。

毎日毎日深夜まで働いて帰ってきてご飯を食べて寝て起きる、繰り返すだけの生活を続けても続けてもゴールが見えない状況に私の心は悲鳴を上げ始めていた。

「タツが才能あるんはうちよう知ってるから、本腰入れて頑張って欲しくて正直キツい仕事も頑張って養ってきたし、けど籍入れるてなった途端に母親が病気や言うて、信じたいけど毎月毎月顔も見た事あらへんタツの母親の入院費出してるのうちやのに」

止めたいのに自分の口が止まらない。どうしよう、こんなキツい言い方したくないのに。

「おかしない?ほんでうちが好きやから言うてよう似たの買っとってくれてるキツネさんすらパチモンやしさ。そんなようわからん生活費のケチり方してまで何にお金使てんの?これ地味にストレスなんやけど。濃いねん」

本当はタツに悲しい顔をして欲しくなくて、少しでも笑っていてほしくて、それなのに帰るたび辛気臭い顔をしているタツを見ると余計にイライラして

「なんか言うたら!!!」

思わず声を張り上げると、実際の距離よりも遠く聞こえる「うるせぇぞ!」と言う声と共に壁がドンと鳴いた。

「……ごめん…」

「…ええよ、もう。うちこそ怒鳴ったんはごめんな。あかんわ。疲れてるわ。もう寝るな」

自己嫌悪で潰れそうになりながら薄い煎餅布団にくるまる。

歯磨きしないとなあとか、タツかわいそうだったなとか言いすぎたかなとか、目覚ましかけたっけとか、頭の中でグルグルしたのも一瞬。私は瞬く間に意識を失った。



「おはよう、ユウナ」

次に意識がはっきりした時、フカフカで暖かかった。

「タツ…?」

フカフカで暖かくて、ほんのり焼きたてみたいな良い匂いがする。とっても心地よかった私はもう一度目蓋を閉じ…

「ってあかんあかん!目覚まし!忘れてた!!遅刻!!!」

大慌てで目を覚ますと、そこは狭くて底冷えする1DKではなく、とてもファンシーで、なんというか全体的にピンク色を基調とした不思議空間だった。

「え?」

これは夢か。思うが早いか私は速攻で目を閉じ眠りにつく。

「目を閉じたままでいいから聞いてほしい。俺、本当は地球の人間じゃないんだ。」

いつの間にか側にいたらしいタツは子守唄のような心地良いトーンで語りはじめる

「本当の名前は斉藤達也じゃなくて、サイベルク・オフェリア・フェニックス=タツヤ5世と言って、この星をおさめる血族の末裔の三男なんだ」

「サイベルク…なんて?」

聞き慣れない言葉の羅列に思わずタツの方を向いて聞き返すが、タツは優しく微笑む

「地球の音楽に惚れちゃってさ、星を飛び出してきたんだけどどうも上手くいかなくて…星に帰るか悩んでいた時にユウナが言ってくれたんだ。『素敵なコード進行とメロディ、最高の歌声ですね。メジャーデビューはいつですか?』って」

照れ臭そうに頭頂部をかく癖は私の知っている斉藤達也そのものだった。

「俺、あんなに褒められた事母星でも無くてさ、すごく嬉しかったなあ…それから気がついたらあっという間にユウナは俺にとってかけがえの無い存在になってた。俺、これ以上そんなユウナに負担をかけたくないから星に帰ろうと思うんだ」

「タツ、何言って」

「ユウナのおかげで母君も一命をとりとめてさ、お目覚め一発目から『お前もいい加減帰ってこい!』ってお説教食らっちゃったよ」

目が合ったタツは何か諦めたような、少し遠い目をしていた。

「ねえ、また会えるかな」

「会えるも何も、一緒に住んでんねんから」

だから、そんな顔せんとってや。

何となく言葉に詰まっていると、ピピピピと規則的なアラームの音がどこからか聞こえてくる。

「さよなら、ユウナ」

「ちゃうやろ!またね!また!約束やで!!」

ハッと目を覚ますとそこはいつも通り、煎餅布団に底冷えする1DKだった。



「ユウナ!あんたあてにまた荷物来てるで!」

「おかん!ドア開ける時ノックして言うたやろ!!」

あの後、とりあえず歯をいつもより丁寧に磨いて仕事に行った私は帰ってからその日の内に辞表の準備をした。

「タツ君と結婚せんのやったら帰ってき」と耳にタコができるまで言われていたセリフが有り難く思える日が来るとは夢にも思っていなかったのに。

「ほんでまたカップ麺食うてんの?アホちゃう。晩飯残したらしばくで」

「勉強しとったらお腹空くねんて。しゃーないやん」

大阪に帰ってきてからは好物のキツネさんこと赤いきつねを好んで食べていたのだが、なんだか寂しくなって必死にパチモンのあの味を探した。

そして東西で味に違いがある事を知った私はあの日タツに言ってしまった言葉の鋭さに自身が刺されたような心地になって、いてもたっても居られず通販で東の物を注文し、空いた穴を埋めるように、タツとの思い出の味のこれを食べている。

「これもこれで美味しかったんよなぁ」

どうしてもっと優しくできなかったのか、どうしてタツにそう伝えられなかったのか。

後悔の念で底まで沈んでしまいそうな毎日だが、タツはきっとそれを望んでいない。

大阪に帰ってきた時、両親は「またやりたい事が見つかるまでゆっくりしとったらええよ」と言ってくれたが、私の心は決まっていた。

「ユウナ!もう晩飯できたで!」

「わかった!今行く!」

宇宙飛行士になる、なんて子供みたいな夢。もしタツが聞いたら応援してくれるだろうか。



食後、気分転換に散歩に出ていると大きな犬を見た。

「野良?迷子かな?」

近寄ってみてみると、茶色いその生き物は大きな

「…キツネ?」

北海道でもないのに?

私からおあげの匂いでもするのか、ジッとこちらをみている。キツネがおあげを好きだ、というのは本当だったんだろうか。

「どうしたん?外は危ないで。どっかのペットやったらお家帰りや」

首輪もついていない。狐に首輪をつけるのかは知らないけど。

語りかけると、キツネはその場に何かを置いて走り去っていった。

「言う事わかったんかなあ。ん?」

キツネが置いていったものを凝視する。

見覚えのあるギターピックだ。

その瞬間、私は天地が返ったような目眩がしてその場で腰を抜かしてしまった。

真実を告げたのは良心が痛んだのか悪戯心か。

それとも、これでもまたいつか会えるのか、という確認だったんだろうか。

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