第八話

 中学校受験をする。同じ学校に通えない。


 そう言われて、頭の中が真っ白になった。予想もしていなかった発言に、先ほどまでの覚悟は跡形もなく消し飛ばされた。


「お父さんに言われて、四年生の頃から決めていたの。将来の為にも中学校からいい学校に通った方がいいって。私も反対する理由はなかったし…」


 祐奈ちゃんは顔を伏せたまま続ける。


 考えてみれば、思い当たる節は幾つもあった。

 祐奈ちゃんは塾に通っていて学校ではやらない様な勉強もしていた。

 ご両親は立派な人らしいし、お金にも困っていないはずだ。

 最近学校で頻繁に呼び出されていたのも、進学先についてだろう。

 そして「中学校」「中学生」という言葉に反応していたのは、受験への不安からだろうか。


 気づけたタイミングは幾らでもあったはずだ。

 しかし、その可能性を欠片も考えていなかった。


 祐奈ちゃんは、私が転校して来てからずっと当たり前の様に私の側にいた。

 昔はたまたま、最近は「友達」として常に行動を共にして来た。


 そして祐奈ちゃんはあの女のことを知って尚、私を友達と呼んでくれる。

 私が道を間違えそうになったら止めてくれると言ってくれた。

 祐奈ちゃんが私を見限ることはないのだと安心していた。


 だから、私と祐奈ちゃんは中学生になっても一緒だと勝手に思い込んでいた。

 離れ離れになる可能性なんて、微塵も考えていなかった。


 思考が纏まらない。それでも、言葉を紡がなくてはならない。

 私を信じて悩みを打ち明けてくれた祐奈ちゃんに、動揺を悟られてはならない。


「…すごい!この中学校、有名な所だよね!?」

「え、ええ。この辺りだと一番の進学校だってお父さんが言ってたわ…」

「だよね!そっか、だから塾に通ってたんだ!」


 会話をしながら頭を回転させる。


 どうすればいい。私はどうすればいい。

 いや、決まっている。

 私がするべきことは、祐奈ちゃんの背中を押して受験に協力することだ。


 祐奈ちゃんは「反対する理由がなかった」と言った。この受験は祐奈ちゃんの意思に反したものではないはずだ。

 そうであれば、祐奈ちゃんの力になるためには協力する以外の選択肢はない。

 祐奈ちゃんの為ならなんだったすると、そう誓ったのだから。


 私の悲しみや寂しさなんて一片の価値さえ存在しないものは、無視しなくてはいけない。

 そんなものが祐奈ちゃんの足を引っ張るなんてことは絶対にあってはならない。


「塾は、元々通っていたのよ。ただ、受験するって決まってからはその勉強が中心だけど…」

「あ、そうだったんだ。そっかぁ、受験かぁ。祐奈ちゃんなら絶対に合格できるよ!」

「…ええ、ありがとう」


 心が軋む音がする。離れたくないって、一人は嫌だって悲鳴をあげている。

 だけど無視をする。聞こえないふりをする。


 誰よりも優しい祐奈ちゃんは、私の気持ちに気が付いたらきっと気にしてくれるのだろう。

 残された一年と少しの時間、これまで以上に私に構ってくれるだろう。


 だけど、そんなことで彼女の時間を奪うことは許されない。それで少しでも彼女の合格率が下がってしまったら、万が一のことがあったら私は私を許すことができない。


 負の感情を、心の奥底に沈める。

 祐奈ちゃんの力になりたいという想いは本心だ。

 だから、それだけを伝えれば良いのだ。

 消えてしまった決意の炎を再び焚きつける。


 ――大丈夫、私は「友達」の力になれる。ならなくちゃいけない。


 自分に言い聞かせ、会話に意識を集中させる。

 祐奈ちゃんはまだ俯いたままで、辛うじて見える瞳からも不安の感情が読み取れるだけだ。

 祐奈ちゃんの力になるためには、もう少しだけ踏み込まなくてはならない。


「受験勉強って、やっぱり難しいの?この間も学校じゃやらないような勉強してたし」

「勉強自体は、そこまで難しくないわ。塾の先生も、このままなら合格できるって言っているし…」

「…本当?それだと、もしかして合格出来るかどうかでは悩んでないの?」

「ええ、そこは悩んでないわ。合格出来るようになるまで勉強するだけだし、悩んでも無駄だもの」


 予想は外れていた。受験の不安と言えばと考え踏み込んでみたが、全く見当はずれだったようだ。

 でも、だったら何が不安だったのだろうか。思いついた可能性をとりあえず話してみる。


「悩みって、やりたい部活がなかったとか?」

「部活動はやるなら入ってから決めるし、別に入らなくてもいいと思ってるわ」

「…そうなの?」


 いよいよ何について悩んでいるのか分からなくなってしまった。


「…ごめん。ここまで話してくれたのに、祐奈ちゃんがなんで悩んでいるのか、まだ分かってない。でも、なんでもするって言ったのは嘘じゃない。」

「…」

「悩みのタネが受験なら、確かに私なんかじゃ頼りないかもしれない。でも、出来ることならなんでもするから。…お願い、私に協力させて」

「…うん。あのね…」


 祐奈ちゃんも、もう誤魔化す気はないようだ。

 言葉を探すように何度か口を開いては閉じてと繰り返す。

 しばらく待っていると、祐奈ちゃんは大きく息を吸い込みこちらを見据えた。


 瞳に不安の色を残しながらも、強い決心が伝わる顔つきに変わった。


「ねえ、優香。私、隣の市の中学校を受験するの」

「うん」

「それでね、優香に一つ、お願いしたいことがあるの」

「うん、何でも言って。絶対に力になってみせる」

「優香――


 ――私と、一緒の中学校を受験して、一緒の中学校に通ってくれませんか」





 


 一緒の中学校を受験して、一緒の中学校に通ってくれませんか


 そう言われて、再び頭の中が真っ白になった。予想もしていなかった発言に、先ほどまでの決意は跡形もなく消し飛んだ。


 今度は表情を取り繕うことさえ出来なかった。

 そんな私を見つめながら、祐奈ちゃんは続ける。


「受験勉強が難しいのか聞いてきたけど、本当に難しくはないわ。少なくとも、優香なら問題ない」

「部活動も、あの中学校ならいろいろあるわ。運動部もメジャーなものは揃っているはずだし、文化部は他の中学校に無いようなものまであるわ」

「…それに、私も優香も、周りとあまり上手く行ってないじゃない。受験してしまえば、小学校での優香を知っている人も、優香の母親について知っている人も私以外いないわ。だから、これまでと違う環境で――」


 そこまで言って、祐奈ちゃんは再び口を閉じた。表情も花が萎れるように暗くなっていく。


「…ごめんなさい、本当に馬鹿なこと言ったわ。全部忘れて」

「っ待って!そんな顔しないで!」


 祐奈ちゃんが引っ込みそうになるのを見て、慌てて手を取る。

 馬鹿は私だ。祐奈ちゃんが私を信じて話してくれたのに、いつまでも間抜けな顔を晒しているなんて。


「…うん、正直すごく驚いてる。理由、聞いてもいい?」

「…本当は、こんなお願いするつもりなんてなかったの。でも、優香も受験に合格出来るくらい勉強ができるって知って、それで…」

「ううん、そうじゃなくて、なんで私にも受験して欲しいって思ったの?」


 そうだ、そこが引っかかったのだ。このお願いはまるで――


「…なんでって、たった一人の友達とぐらい、もっと一緒にいたかったってだけよ…」


 ――祐奈ちゃんも、私と離れたくないと言っているようではないか。


「…本当にごめんなさい、こんなどうしようもない我儘言って。分かってるわ、お金がかかることも、優香だけで決められるようなことじゃないことも、とんでもない負担になることも。やっぱり、忘れてちょうだい。こんな話聞かなかったことに――」

「ごめん、祐奈ちゃん!ちょっと用事思い出した!」

「――え!?優香!?」


 荷物を纏め、祐奈ちゃんの部屋を出る。やばい、祐奈ちゃんに表情を見られるわけには行かない。


「ごめん、また来週!話の続きは月曜日に!お邪魔しました!」

「ちょっと、優香!」


 私の顔は、思い詰めた顔で相談してきた祐奈ちゃんに見せられない程に喜びに染まっていた。


 祐奈ちゃんも、私と別れることを悲しがっていた。

 私の気持ちは、一方通行ではない。

 一緒にいたいのは、私だけではない。


 一度沈めた思いが浮かび上がってきた途端、体は走り出していた。

 今の私になら、なんだって出来る気がした。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 走って家に帰り、必要なものを持ってもう一度外に出る。

 祐奈ちゃんに「用事を思い出した」と言ったが、「用事ができた」というのが本当のところだ。

 それに、これは「友達」の信頼に応えるために必要なことなのだ。


 きっと祐奈ちゃんは、あの状況で私が何を言っても聞く耳を持たなかっただろう。


 祐奈ちゃんは自分のお願いを「どうしようもない我儘」と言っていたが、客観的に見てそれは間違っているとは言えない。

 塾に受験料に学費に、きっと途方も無いお金と労力がかかることなのだろう。

 寂しがった子どもから出た戯論、叶いようもない幼い願望、そう一笑に伏されてもおかしくはない内容だ。

 それを分かっていたから祐奈ちゃんは相談できなかったし、お願いしてすぐに撤回しようとしたのだ。


 それでも、私は絶対にその願いを実現する。

 祐奈ちゃんに、「友達」にお願いされた。理由なんてそれだけで十分だ。

 しかも私の願いも、「祐奈ちゃんと離れたく無い」という願いも叶うのだ。もう悩む理由なんて存在しない。


 私は、私の持っている全てモノを使って、「友達」の願いを叶える。


 家から出て数分走り、目当てのものを見つける。

 扉を開け、硬貨を入れて手元の紙片に書かれた番号を間違えないように入力する。


 今日までに幾度となくやろうとして、躊躇して、遠慮して、やめてきた。

 それでも今、私の指は一切戸惑うことなく動いている。


 今、私が頼るべきは、私が頼れる存在は、一人しかいない。



「…もしもし――――――」

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アイビーの蔓に囚われて ジーノ @gi-no516

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