緑と赤のしあわせしみる、乙姫様手植えのマルちゃんの木

あおきとしよ

(全)緑と赤の幸せしみる、乙姫様手植えのマルちゃんの木

 宇良島の若い漁師、太郎は、たくましい体に優しい心を持ち、仕事にも熱心ですので島の誰にでも好かれていました。


 来年は、島の習慣としてお嫁さんを迎えられる年になるので、まだ見ぬ花嫁に、太郎は胸をときめかしていました。


 しかし、数か月前から宇良島の漁師たちを不安にさせることが起こっていました。


 海岸に命絶え絶えの魚が打ち上げられたり、万年生きるといわれるうみ亀たちさえ、半死状のありさまで砂浜でぐったりしているのです。


 原因は地球の温暖化、海洋の温度が年ごとに上がっていることにあったのです。


 太郎は、半死半生のかめ達に、海岸に近い岩山から流れ出る冷たい清水を運んできて体を冷やし、飲み水として与え、体力を回復させてから海にもどしていたのです。



 そんなある夜、一匹の大きな亀が太郎の夢枕に立ちました。

「太郎さん、多くの亀たちを助けて頂いたことに、海底を司る(つかさどる)乙姫様が、お会いしてお礼を申し上げたいと申しております。

 明朝、太陽が岩山に首を出す時刻に、何時も亀をお放しになる海辺でお待ちします」


 太郎は太陽が昇る前に海辺に行き、亀の来るのを待ちました。


 太郎を背中に乗せた大亀は海中を百キロとも思われるスピードでまさに飛ぶように進みます。


 

 海の底の海草の森の中を通るとき、太郎は忘れ物をしたのを思い出しました。


 太郎の家の庭には、納豆一粒ほどの大きさの、緑の実をつける木と赤い実をつける木が一本ずつ植えられています。


 太郎は、その木を「マルちゃんの木」と呼んでいます。円満健康な食生活を願って太郎の父親がつけたのだそうです。緑の実がついた時には、「緑のたぬき」を、赤い実がついた日には「赤いきつね」を昼食などに摂(と)るようにしているのです。


 これは単に空腹を満たすというだけではなく、習慣づけることで、生活のリズムを創ることができる、というのがマルちゃんの木を植えた父親の教えでした。


 太郎が物心ついた時には立派なマルちゃんの木が庭に植わっていましたから、二十年前には太郎一家はすでに赤と緑の実で生活のリズムを作っていたのです。


「マルちゃんの木」は宇良島の人たちに、西国からきた麺類の神様がお与えになったものだと父親から聞いていました。


 

 母親は太郎が仕事で遠出をするときには必ず、マルちゃんの木から取った、赤の実と緑の実を持たせてくれるのです。父親の代から習慣になっている、”その時間” がきたら、忘れずに緑のたぬきか赤のきつねをお腹に収めます。次の仕事の活力にするためです。


 所が今日の亀の招待は、朝も早く、「海底の亀の所に行く」などと言ったら母親を心配させるだけだから黙って出てきたのです。そのため緑と赤の実を持ってくるのを失念していました。


【どうせ、今晩か明日には帰るのだから】


 太郎は気楽に考えて、海中の変わりゆく美しさに気を取られていました。


 太郎は乙姫様が住むという美しい城に到着しました。


 太郎の乗る亀の周りは色とりどりの美しい魚と人魚たちに囲まれているではありませんか。

 

 そして正面にはー-、


 四重の階層を持つ絢爛(けんらん)豪華(ごうか)な竜宮城!


 乙姫様は玉座から降りられて太郎を出迎えました。

 竜宮城の主が示された最高の敬意だったのです。


 乙姫様に身近で拝謁を賜った太郎は、その美しさに気を失うほどの衝撃と、愛の刃(やいば)を心深く受けてしまったのです。


 乙姫様も、初めて目にした地上に生きる鍛え上げられた男の素晴らしさに惹かれたご様子でした。


 龍宮城では、好きになった者同士は、宣言ひとつで結婚してもよいという決まりがあります。少しでも多くの子孫を残すことが海に生きる者たちの繁栄につながるからです。


 乙姫様は太郎にお会いした三日後に結婚式を挙げる宣言をなさいました。


 竜宮城は喜びに沸き立ち、それからの三日三晩は城をあげての祝賀の宴が続きました。


宴も終わりに近づいた三日目の夜、太郎はご馳走を食べ終わった後、なんとなく寂しそうな顔をしています。

見咎めた乙姫様が、ご心配なさり、「どうかなさいましたか」とお聞きなさいました。


 太郎は、宇良島にいた時には、マルちゃんの木が生活のリズムを創っていたのですが、竜宮城には、なんでもありますが、マルちゃんの木がありません。


「緑の実」と「赤い実」は、それぞれ、「緑のたぬきそば」と「赤いきつねうどん」を頂く時を知らせてくれる“合図”なのです。


 日々、それらを口にすることにより、太郎一家は生活のリズムを得ていたのです。


「竜宮城に来て、マルちゃんの木に出会うことがなくなりましたので、心寂しさを感じていたのです。乙姫様にご気づかい頂き申し訳ございません。大丈夫でございますからご心配なく」


 お聞きになった乙姫様は、

「太郎さまの心配事は私の心配事です」とおっしゃり、直ちに宇良島から、マルちゃんの木の種を持って来るようにお命じになりました。


 その日のうちに木の種は竜宮城に届きました。


 乙姫様は、「わたしが植えれば三日で実がつきます」とおっしゃって、ご自分で、マルちゃんの木の種を竜宮城のご自分のお部屋の前の庭に埋められました。


 三日目に赤い実が実りました。

 次の日、緑の実が実っていました。


 乙姫様はご自分で実をお取になり、両の手で揉まれますと、赤い実は「きつねうどん」に、緑の実は「たぬきそば」に変わっていました。



 こうして太郎は海の底にある竜宮城でも、宇良島にいた時に口にしていた赤いきつねうどんと緑のたぬきそばを好きな時に口にすることが出来るようになりました。


 

 太郎が竜宮城に来て三年の歳月が経とうとしていました。 ある日、乙姫様は「赤いきつね」と「緑のたぬき」を幸せそうに口にする太郎、その時の太郎の瞳の中に乙姫様は郷愁の思いが生まれているのを見たのです。


 「なにか、ご心配事がおありですか?」

 乙姫様は太郎にお尋ねになりました。


「姫をはじめ、皆様のお心遣いにあまえて長い月日を過ごしてしまいました。ふと、竜宮歴に目を止めましたら三年近くお世話になっていたようでございます。宇良島に残してきた母親が、さぞ心配していると思いまして・・・」


  乙姫様のお顔も寂しげでした。

 「三日三晩でよろしければ、宇良島へ行かれてお母様とお目にかかってこられてはいかがでしょう。・・・必ずお戻りになるとお約束して下さいませ」


  太郎の三日三晩で必ず帰りますとのひとことをお聞きになり、乙姫様は、

「お帰りをお待ちしております」

 そして竜宮城の守り神、姫のおじい様でもあられる竜王のお姿が彫られている手箱をお渡しになりました。

「この手箱はお母様にお目にかかるまでは絶対に開けてはなりません」

 太郎は「必ず、お言葉を守ります」といって、手箱を受け取りました。


  太郎は亀の案内で、宇良島に帰ってきました。


 「いつでもわたしを呼んでいただければ直ちにお側に参ります」

  亀はそう言って姿を消しました。


 浜に残された太郎は、宇良島のあまりの変わりように、亀が間違った場所に連れてきたのではないかと思いました。


 うらぶれた寒村の面影は消え、高いビルが立ち並び、人々は簡単な羽を取り付けて空中を飛んで行き来しています。


 太郎がかろうじて「帰ってきた」と感じたのは、海の彼方、海中に半ば沈んで見える岩石に覆われた山並みを目にした時です。四季によって面影を変える山並みは、太郎が少年時代に日夜目にしていたそのものです。

 

 しかし、何で海の中に? 

 

一人の中年の男が寄ってきました。

 太郎に話しかけました。


「見慣なれない人だけど、誰だね?」

「太郎だよ。宇良島の太郎といえば、島で知らない者はいないよ。あなたは、この島には最近来たんですね」

「冗談じゃない、俺はこの島には三十年もいるんだ。第一なんだい、ウラシマとは? 冗談は休み休み言え。宇良島は地球温暖化で海に半分沈んで、岩山しか残ってないよ。ほら、海の方を見てみろ。今じゃ、岩島と言われている」


 その男は太郎の姿を上から下まで見回して、

「ああそうか、君は、いま街の博物館でやっている歴史展に出ている見世物人形じゃないか。そういえば、宇良島太郎とかいう島を出た切り行方不明になった漁師とかいう人形が飾ってあったな。外を出歩くなんて、いま、休憩時間なのかい?」

「あなたは気が違っているんだ」

ばかばかしくなって太郎は、その男から離れました。


 しかし、見るもの聞くもの、それは太郎の記憶をまったく超えたものでした。

一人でこの街にいる自信がなくなった太郎は、ふと、背中に背負う手箱を思い出しました。


 なんでもいい、このおかしな世界から抜け出したかったのです。


 手箱は、赤と緑のひもを解くと簡単に開きました。


 中には、緑の実と赤い実が入っていました。それに触れようとすると、いつあらわれたのか、脇に立っている一人の老婆が、

「早く、緑のたぬきか、赤いきつねを食べさせてください」と、懇願するのです。

「おや、あ、あなたはどなたです?」


 その時です。空高く、空中を泳いでいた亀が、急降下してくると、太郎の耳元に、

「さあ、早く竜宮城に戻りましょう」

「このお婆さんはどうするのです」

「もちろん、お連れします。・・・このかたは、竜宮城の乙姫様です。」

「えっ、この方が?」

「竜宮城の赤いきつねを召し上がれば、元の乙姫様に戻ります。勿論、太郎さん、あなたも緑のたぬきを召し上がって頂ききます」

「私のおふくろは?」

「先ほど、天国の入り口で千年近くうろうろされているお年寄りを既に竜宮城へお連れ致しました」


  そして、亀が差し出した鏡には、千年の年をとった見るもあわれな老人が映っていました。


 亀は続けて言いました。

「御心配には及びません。お城には、赤と緑の実が皆様をお待ちです。千年の年が元に戻ります」


           (終わり)




 













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緑と赤のしあわせしみる、乙姫様手植えのマルちゃんの木 あおきとしよ @toshiyo

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