思い出

九戸政景

思い出

「……ふぅ、これで何とか片付いたな」


 段ボール箱などが散らばっていた今朝とは打って変わって綺麗になった玄関を見て俺は額の汗を軽く拭いながら満足感を覚える。

 元々持ってきた荷物自体は少なかったが、それでも色々な物が置かれていて散らかっていた場所が綺麗になるのはやっぱり良い。散らかったままじゃ動きづらいし、何より見映えが悪いからな。


「それに……綺麗に住んだ方が亡くなった祖父ちゃんも喜ぶだろうしな」


 この家の元々の持ち主であり先日亡くなった祖父ちゃんの顔を思い浮かべながらポツリと呟く。祖父ちゃんは少し前に病気にかかり、祖母ちゃんを若くして亡くしていた事で自分が亡くなった際にこの家には他に誰もいなかった。

 そして、祖父ちゃんの葬式の際にこの家をどうするかという話題が親戚達の中で上がった時に俺が継ぐと手を上げて住んでいたアパートを引き払って昨日ここに引っ越してきたのだ。


「……ここに住むのも中学生の頃振りか。祖父ちゃんに苦労をかけたくないと思って、高校は寮のあるところを選んでここを出ていったけど、恩返しをする前に亡くなるなんてな……」


 小学生の頃に両親を事故で亡くした俺は祖父ちゃんに引き取られ、中学校の卒業までここに祖父ちゃんと二人で住んでいた。

 祖父ちゃんは顔つきが厳つかった上にあまり喋らない人で、端から見たら怖い人という印象だったかもしれないが、実は結構世話好きでいつも面白い話をしてくれていたため、俺はそんな祖父ちゃんとの生活は好きだった。

 けれど、俺が中学生になった頃、俺を引き取った事で祖父ちゃんが本来しなくてもいい苦労をしているのでは無いかと考えるようになっていた。祖父ちゃんに直接訊いたわけではないし、たとえ訊いたとしてもそんな事は無いと答えたと思う。

 だけど俺は、その苦労を無くすために高校からは奨学金を貰いながら通おうと勝手に決め、受験の前日になって俺の考えを祖父ちゃんに話した。

 祖父ちゃんは俺の話を黙って聞いた後、いつものように淡々とした調子で「そうか」と言うだけで止めようとはしなかったが、今思えばあの時の祖父ちゃんの目は少し寂しそうな感じだったような気がする。もしかしたら、話さなかっただけで祖父ちゃんも俺との生活を少なくとも楽しいと思っていたのかもしれない。


「……今気づいても仕方ないんだけどな。さて、そろそろ昼時だし、何か作って食うか……」


 そう言いながら台所へ向かおうとしたその時、ふとここに持ってきた荷物の中に入れ、保存食などを入れている棚にしまったを思い出した。


「……そうだ、せっかくだしあれを食べるか。昨日の夜と今朝はコンビニの物で済ませてたし、俺にとって祖父ちゃんとの思い出の食べ物だしな」


 それを食べる事を決めた後、俺はそのまま台所へ向かい、件の棚の前に立つ。そして、ゆっくり棚を開けた後、俺はそれらを取り出した。


「……向こうでもこの『赤いきつね』と『緑のたぬき』は俺の生活の支えになってくれたよな。お手軽に食べられるのもあるけど、少し寂しいと思った時でもこれを食べたら祖父ちゃんの事を思い出せたから寂しくなくなったし」


 この二つのカップ麺は、祖父ちゃんが元々何かあった時の非常食として備えていた物だったようだが、祖父ちゃんは俺の受験勉強の時の夜食や雨の日や冬に帰ってきて寒かったり小腹が空いてたりする時によく出してくれていた。

 その際、自分の分も用意していて、それを指摘すると少し腹が空いたからついでに俺の分も用意しただけと言っていたが、それは俺が一人で食うのを申し訳なく思わせないための嘘だとわかっていたため、その言い訳を聞くたびにクスリと笑い、俺は祖父ちゃんとテーブルを挟んで向かい合わせに座りながら何も話さずに一緒に食べたものだった。

 そんな事もあって、このカップ麺達は俺にとって高校での寮生活の時やその後の大学生時代や最近までのサラリーマンとしての生活での心の支えになっていたのだ。


「……祖父ちゃん、俺がその時に食べたい方を選べるようにいつもどっちも準備して、どっちが残っても自分が食べようと思ってた方が残って助かったなんて言ってたな。本当にそうだった時もあるのかもしれないけど、大体は俺に遠慮させないための嘘だったんだろうな」


 カップ麺達を机の上に置いた後、俺は笛吹ケトルに水を入れてコンロの火にかける。そして湯が沸くのを待ちながらカップ麺の外側のフィルムを外し、蓋を開けてから中にある小袋を取り出してその中身をそれぞれ中に入れる。

 そして数分後、笛吹ケトルがピーっという音と湯気を上げ始めた後、俺は火を消してから笛吹ケトルを持ち上げ、湯をゆっくりとカップ麺に注いでから出来上がるのを静かに待ち始めた。


「……そういえば、祖父ちゃんと一緒に待ってた時は、勉強の事とか学校の事とか色々話したっけ。普段はあまり喋らないけど、そういう時だけは勉強の進み具合はどうだとか学校は楽しいかとか訊いてきて、それに対して俺が答えるっていうのがいつの間にか定番になってたなぁ。

 まあ、祖父ちゃんはいつも俺の事ばかり訊いてきて、自分からは自分の事を話しはしなかったけど、訊きさえすればちゃんと答えてはくれたし、一応祖父ちゃんとはしっかりとした関係は築けてたのかもしれないな」


 その時の祖父ちゃんの姿を思いだし、懐かしさと同時に淋しさを感じている内に出来上がりの時間になっていた。けど、俺はすぐには蓋を開けず、割り箸と一緒におぼんに載せたそれらを居間の机まで持っていき、赤いきつねと一膳の割り箸だけを静かに置いてから緑のたぬきを持ったままで今度は仏壇のある和室へと向かった。

 和室に着いてみると、そこには豪華な仏壇があり、中には父さんと母さんの遺影で挟むような形で祖父ちゃんの遺影が置かれていた。


「……祖父ちゃん、出来たから置いておくよ。特に自分なりのアレンジはしてないからいつも通りの味だと思うけど、向こうで父さん達と分けながら食べてくれ」


 そう言いながら蓋を開けた緑のたぬきと割り箸を遺影の前に置いた後、俺は仏壇の前で正座をし、手を合わせて軽く拝んだ。そして、拝み終えてゆっくりと立った後、俺はそのまま居間へと戻り、机の前に座ってから赤いきつねの蓋を開け、静かに手を合わせた。


「……いただきます」


 食べる前の挨拶をしっかりと口にし、割り箸を割ってから俺は箸で軽くうどんをほぐし、少量のうどんを掴んだ後にそれをゆっくりと口に運ぶ。


「……うん、いつもと同じで安心する味だ」


 仏壇の前で祖父ちゃんにも言ったように何もアレンジはしてないからいつも通りの味なのは当然なのだが、ホカホカと湯気を立てる汁もそれを吸った揚げもいつもと同じで安心する味で、その事が何故だか嬉しく思えた。

 そして、そうして食べ続けていたその時、胸の奥から段々込み上げて来る物があり、俺の目からは次第に涙がポロポロと溢れ始めた。


「……祖父ちゃん、ごめん……俺、祖父ちゃんに迷惑かけたくなくてここを出て、いつか恩返しでも出来たらと思ってたのに……!」


 涙と一緒に後悔が込み上げる。別にここを離れなくても祖父ちゃんに対して恩返しは出来ただろうし、もしかしたら祖父ちゃんは俺がここに残っていたら助かる事があったかもしれない。

 けれど、俺はそれも考えずに自分勝手な考えでここを出た。祖父ちゃんに確認くらいすれば良かったのにそれすらもせず。


「……ごめん、祖父ちゃん……本当にごめん。何も返せず最期すらも看取ってあげられなくて、本当に……ごめん……!」


 俺は祖父ちゃんへの謝罪と後悔を口にしながら食べ続けた。そして数分後、食べ終えて手を合わせていた時、仏壇の前に緑のたぬきを置きっぱなしにしていた事を思い出した。


「……そろそろ回収するか。それにしても、二つ食べたら夕飯までは何も食べなくてもよさそうな気がしてくるな」


 苦笑いを浮かべながら立ち上がった後、俺はおぼんを持って和室へと向かった。そして、和室に入って仏壇の前に立ったその時、俺は少し違和感を覚えた。


「……少し量が減ってる……?」


 カップの中の汁の量が少し減っていたのだ。もちろん、放っておいた間に麺が汁を吸ったのだろうが、俺には祖父ちゃん達が分けあって減ったように感じられ、俺の目頭が熱くなったような気がした。


「……お粗末様。祖父ちゃん、最期には立ち会えなかったけど、これからはこの家を大切にしながらしっかりと世話をさせてもらうよ。生前には何も返せなかったけど、これからゆっくりと返してく。だから、何も心配せずに安らかに眠ってくれ」


 祖父ちゃんの遺影に向かって言ったその時、外から差し込んでいた日差しが遺影に反射して一瞬目が眩んだ。

 けれどその瞬間、普段から中々笑わなかったために仏頂面の写真を使わざるを得なかった祖父ちゃんの遺影が小さく微笑んだように見え、俺はそれに対して安心感を覚えながらクスリと笑った。

 そして、おぼんに緑のたぬきを乗せてから、この家での思い出をこれからはどんな風に作っていこうかと考えながら祖父ちゃん達の遺影に見守られつつ和室を後にした。

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思い出 九戸政景 @2012712

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