第17話 問題にまつわる彼の言葉

 一夜が明け。

 いつもより少し早い時間に階下へと降り、食堂へ向かう。昨日の朝とは異なり、妹が既に席に座っていた。

「おはよう、凛香」

「おはようございます」

 微かな笑みと共に、挨拶が返ってくる。と、凛香は時計を見て少し首を傾けた。

「今朝から生徒会の仕事があるんだよ」

 先回りして言うと、凛香は小さく頷く。

「だから、まあ、凛香と同じくらいの時間にここを出ないとだな」

「……そうですか」

 そう零す凛香の声音は少し――ほんの少し、嬉しそうだ。凛香が中学に上がってから、通学時間の関係で俺と凛香の家を出るタイミングがずれていたため、朝食の時間もずれることが度々あった。俺は当初かなり寂しさを感じ(だったら早く起きろと言う話なのだが……かなり早い時間に起きないといけなかったのだ。必要に駆られないと起きられないくらいの)、最近はちょっと諦めがついてきていたのだが、この度また凛香との朝食の時間が復活すると思うと嬉しさに起因する笑みを抑えきれない。

 そんなことを考えていると、食堂の奥、調理場の方から隼雄さんが朝食を運んできてくれた。

「ありがとう、隼雄さん」

「ありがとうございます」

 凛香と二人でお礼を言う。隼雄さんは、どういたしまして、と微笑んで、すぐに食堂から出ていった。恐らく庭の手入れをしに行ったのだろう。

 壮大と言っても良いほどに大きい屋敷に対して、執事は隼雄さんたった一人である。その負担は計り知れない。……ちなみにメイドさんはいない。………いない。

「……兄さん?」

 あーいやメイドさんもいて欲しいとか考えてないですほんとです。と弁解しようとしたところで、

「早く食べないと、せっかく隼雄さんが作ってくれた料理が冷めてしまいますよ」

 と続けられる。あぶね、口に出してたら墓穴を掘るどころかそこにダイブしてた可能性もあったな。

「ああ、ごめん。じゃあ……」

「「いただきます」」

 二人で手と声を合わせて、生命と隼雄さんに感謝。流石に庭までは届かないだろうけど……。出がけに声を掛けられるといいな。

 ○

 校門を通過し、校舎へと向かう。最初の仕事ということで、生徒会室で何やらお達しがあるらしい。

 廊下を歩きながら窓の外を眺めると、新緑が満ちる爽やかな景色が見える。

 それらが持つ輝きは目に痛い程だった。

 命が持つ輝きは美しい。けれど俺の目には、それはいつか訪れる終わりに向けて放たれる火花のように見えて――。

「せーのうーえさんっ」

「へあッッ」

 あかん背後をとられた。死ぬ。

 がくぶるがくぶる豆腐のように震えながら振り向くと、そこには天使の微笑みが。

 あ、もう俺死んでるやんけ……。

「恥の多い生涯だった……」

「いやあの、瀬之上さん?」

「……ああ、桜浜さんか」

 俺の背後にいたのは桜浜さんだった。

「驚かせてごめんなさい……考え事でもしてました?」

「ん、まあ、しょうもないことを考えてただけだよ」

 そう、しょうもないことだ。俺は自分に言い聞かせる。

「そうですか……」

 桜浜さんは何やら考えていたようだったが、数秒後にはいつもの美しい微笑みを取り戻す。そして――取り戻したばかりの微笑みをいささか曇らせてしまった。

「……どうした?」

「……瀬之上さんに謝りたいことがあって……」

「ん?」

 謝りたいこと?なんかされたっけ俺。

「昨日、詩織さんに質問されたときに……その、で、デートとか言ってしまって……」

 桜浜さんの透くように白い肌が仄かに赤くなっている。加えて上目遣いで俺を見つめてくる――のは反則じゃないですかね。審判はまだですか。俺が自主退場すればいいんですか。

「ああ、あれね。ちょっと驚いたけど気にしてないよ」

「……本当にごめんなさい。私、詩織さんが絡むと意固地になっちゃうことがよくあって……」

「……ああ」

 事情は大体わかっているという顔をしてみる。こういう時に「何で?」とか訊きだすと、桜浜さんに話したくないことを無理強いさせてしまうかもしれない。そう思っての行動だったのだが、彼女は既に覚悟を決めていたようで、俺の目を見ながら、ゆっくりと話し始める。

「桜浜家は、青宮家を……何と言いましょうか、よく言えばライバルとして見ていて、悪く言えば目の敵にしているんです」

 寂しげな微笑が、表情に一瞬の幻のような翳りをもたらす。

「昔は――出会ったばかりの頃は、仲が良かったんです。……ちょっと傲慢に響くかもしれませんが、私と同じレベルの魔法の能力を持った同年代の子と出会ったのは初めてでしたし……多分、詩織さんもそうだったと思います。すぐに打ち解けて、何度か一緒に遊びました」

「……うん」

「でも……仲良くしていることを、周囲は許してくれませんでした。私の家は、青宮詩織が成し遂げた事をそっくりそのまま私にもさせようと画策していました。……しかも、彼女よりも早い時期に達成させることで、家の優秀さを喧伝しようとしていたんです。

「私は、そうと知らずに家の人達が薦めることを一つずつこなしていきました。魔法技能の検定試験だとか、大会への参加とか、ですね。そして彼らの思惑通り、私は幾つかの検定と大会で、詩織さんが持っていた最年少記録を塗り替えました。

「それを知った青宮家は、このことを宣戦布告だと受け取ったようで――まあそれは、当たり前のことだと思いますが――私と詩織さんを引き離すように仕向けました」

「……そっか」

 俺は考えを巡らせる。両家の権力争いと言うか、覇権争いと言うか――まあ、事に巻き込まれた二人の少女について、考えを巡らせる。この話を聞いて、桜浜さんの為に俺がすべきことは一つであり――同時に、これは彼の問いへの回答になるのだと悟った。

 だから、まずはこう言うべきだ。

「……大丈夫。また、昔みたいに仲良くなれる……必ず」

「そう、だといいんですが……」

 桜浜さんの懸念は尤もだ。どんなに意味のない争いだしても、時間が経てばそこには理が出来てしまう。それを崩すには相応の時間か、もしくは――莫大な規模の衝撃が求められる。

 ……だとしても、大丈夫だと、俺は言い続ける。

「……どうにもならなかったら、俺がどうにかする」

 俺が今示せるのは、言葉に込めた誠意しかないけれど。届けばいいと、そう願いながら、言葉を紡いでいく。

「君は少しずつでも歩み寄っていけばいい。家の事なんか考えないでいい。そんな面倒なことは、頭の隅にも留めなくていい」

 生徒会室が段々と近付いてくる。そこには――そう、彼女が、俺たちを待っているだろう。俺ではなく、俺たちを。

「心の向くままに、行動すればいい。どうしても上手くいかなかったら、俺に頼ってくれ……何とかしてみるから」

 彼の姿を思い出す。俺と彼女を結びつけた、彼の口癖は――。

「……問題なんて、向き合うことが出来たら、あとは解くだけなんだから」

 桜浜さんの瞳が、俺を捉える。捉えて離さなくなる。それにくすぐったさを覚えながらも、俺はただ、「着いたよ」と言って、生徒会室のドアをノックする。

 ドアの向こうから、美しい声が聞こえた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法が響く夜に 古澄典雪 @sumidanoriyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ