臆病者の一日

 東秀学園高校とうしゅうがくえんこうこう。愛知県にある国内でも一二を争う超名門の私立学校で、自由な校風、少々変わっているが人気の高い学校行事、実力の高い部活動等非常に魅力的な要素が多く、毎年入学倍率が全国の中でも飛びぬけて高いことで有名でもある。


 そんな人気の本校だが、今列挙したものとは一線を画す魅力的制度が存在する。

 それが特待生制度だ。 


 この学校の特待生制度は主に三つの制度が設けられている。学費全額免除、リモート授業での単位取得権、校内の特別分室の使用権、この三つだ。要は特待生の学生は無償でこの学校に通うことができ、学校に登校して授業を受ける必要が無く、校内にある一般生徒が使えない部屋を使えるということ。ただし、リターンが大きい分、特待生制度での入学は狭門。総学年数約千三百人居る中、各学年三名しか特待生は認められない。更に成績が落ちれば特待生の権利は剥奪されてしまう。


 そういう面もあり、特待生の中でリモート授業を受けている生徒は殆どいない。元々魅力ある行事や部活のある学校の為、学費免除と分室使用権さえあれば良い生徒が大半だ。


 ただそれは、大半であって全員が全員ではない。

 勿論リモート授業を受けている者もいる。 


「…………」

『おーい』

「…………」

『……よし』


 バゴン!!!!!!

 スチール製の机を思いっきり叩く音が鳴り響く。


「フガッ」


 突如轟音が鳴り響いたことで、俺は間抜けな声を上げて微睡みから抜けた。


『おはよう、満月くん。いい夢は見られたかい?』

「……おかげさまで、ハネムーンは中止になりましたよ」

『しばくぞクソガキ』

「はい、すんませんした」

『ったく、偶には真面目に授業を受けたらどうだ?』

「ははは、嫌っす」

『OK、次の登校日楽しみにしとけコラ』

「すんません、冗談っす」


 そんなやり取りをするのは、俺とリモート授業の担当教師である武者むしゃ先生こと雨宮陽介あめみやようすけ先生だ。乱暴な口調と性格をしているが、教え方が丁寧で勉強以外でも色んな相談に真摯に対応してくれる義理堅さをもっている。反面、風貌が落ち武者のようなだらしなさから武者先生の愛称で親しまれている。本校では人気の高い先生だ。


 いつもは口調が乱暴なだけで温厚で優しい先生なのだが、最近三年程付き合っていた彼女にフラれて気が立っているようで、先ほどのような結婚に結びつくような言葉は暫し厳禁である。


『じゃあ、気を取り直して……この問題での導関数 f '(x)は?』

「-cosx/sin²x」

『正解。いつも通り腹立つくらい頭良いな』

「元天才なもんで」

『間違っちゃいないのが尚腹立つな……』


 スラスラと問題を解く俺に対して、ケッと先生が悪態をつく構図はこの一年ですっかり馴染んでいた。生徒が優秀なことは良いことなのだろうが、どんな応用問題でも簡単に解いてしまうのは武者先生からしたら気に入らないようだ。だからと言って、生徒に対してこの態度をとるのはいかがなものか。この人でなければ嫌われ教師確定だろう。

 


 さて、話を戻してこの学校での特待生についてだが、現在本校には特待生が各学年に三人ずつ、合計九人存在する訳だが、その内リモート授業を受けているのはたった一人だけ。


 それが俺こと、弥生満月やよいみつきだ。週に三回ほど、部屋の隅の勉強机に腰をかけ、こうやってPCの画面に映る先生と睨めっこをして進級の為の単位を稼いでいる。と言っても、高校三年までの範囲は既に自習済みで、この授業も単位取得の為の形だけのものだ。リモート授業だけで単位を取れるこの特待生制度は俺にとって色んな意味で都合が良く、不登校ながら高校二年へ無事進級出来ている。テストの順位も順調にキープ中だ。


(で、だからなんだって話だけど……)


 授業が始まってそろそろ八十分が経過する所で、用意して貰った問題を解き終わり回答をチャットで送付する。武者先生は相変わらず面白くなさそうにチャットで送った回答を採点し始めると、大きなため息を吐きながら口を開いた。


『で、やっぱり学校には通うつもりない訳?』

「なんですか藪から棒に」

『いや、まぁいつもの質問よ。成績は非の打ち所がない訳だけどさ、ずっと家にいて退屈じゃないの……って流石にこれは不躾な質問だったな。すまん』

「……別に良いですよ、慣れてますし」


 部屋にはスピーカーから出る武者先生の声と俺の声だけが響いている。家には誰もいないから、そんなに大きな声でもないのに、静寂の中こだまする音は妙に響く。凪いだ水面に石を投げこんで出来た波紋の様にじわじわと広がっていく音。



―――――いらないよな、あいつ

 


(……なっさけね)


 何故だか勝手に頭の回転が活発になって、思い出さなくてもいいことを勝手に想起してしまった。


 傍から見れば、不登校でも確りと勉強もしていい成績を取っている優等生に俺は見えるのかもしれない。でもそれは"ガワ"だけだ。心境は常に荒み、何もかもから逃げたいけど、それすら出来ない臆病者だからこういう形に収まっているというだけ。自分が何をすれば良いのか分からないから、用意してもらった椅子に何も考えずに座っているだけなのだ。指定された学校の登校日ですら、恐怖で足が竦んでしょうがない。特待生の特権を盾にリモート授業で単位を取って満足している俺なんかより、どんな高校でも確り学校に通っている人間の方がよっぽど立派だ。


『ま、人にはそれぞれのペースがあるからな。取り敢えず、登校日だけでも学校に確り来れてるだけ御の字ってもんか』

「俺今、慰められてます?」

『ばーか、誰がブラックジョークいうやつ慰めっかよ。これからも登校日は確り来いよって言ってんだ』


 この先生は本当に心根の優しい人だ。心の機微に敏感で、捻くれてるけど相手を思いやって言葉を紡いでくれる。俺が肩の力を抜ける数少ない一人だ。


 そんな話をしている間に採点は終わったようで、今日の授業も終わりの時間だった。


『これ今週の課題な。終わったらまた投げといてくれ』

「了解っす」

『そんじゃ、来週の登校日でな』

「……おっす」


 少し気重になって暗い反応をしてしまったせいか、武者先生はいたたまれない表情でガリガリと頭を掻いてボイスチャットを切った。一人、ボイスチャットに取り残されたインカメラに映る自分の顔が大きくディスプレイに表示されれば、そこには真っ暗な部屋にディスプレイの光を浴びるもっと暗い顔をした自分の顔があった。


「ははっ、ひでぇ顔……」


 そう呟いてボイスチャットを切ってPCを閉じた。現在は昼の15時頃。たそがれるにはまだ早い時間な上、PCを閉じたことで唯一の光源の無くなった部屋は自分の心を映すように真っ暗闇だ。カーテンの閉じた部屋では夕焼けを見ることもままならない。この部屋は、自分の心を映す鏡のようだ。


「……腹減った」


 どれだけ自己嫌悪を抱こうが、どれだけ罪悪感を覚えようが、勝手に腹は減る。朝に母が用意してくれていた食事がまだ摂れていないことを思い出し、部屋を出る。


 この時いつも眦に涙が浮かぶのは、自分勝手な自分に対してなのだろう。


 この時自分でも思いもしなかったが、その答え合わせは今から約一か月半後に行われることになるのだった。

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