おいちぃ

古川卓也

おいちぃ

 雪山で遭難したわけではなく、釜トンネルの車両通行止め規制に遭ったわけでもない。迂回して道に迷ったわけでもない。1983年当時にはカーナビもなければGPSとてまともに無い時代で、携帯電話はなおさら無い時代だった。ケータイが無ければ生きてゆけないらしい令和の時代から遡及して懐古するならば、まさに現代人は不愍におもえてならない。別にさして必要もないと思う高齢者もかなりいるだろう。手慣れてないというよりも、ケータイの無かった時代で堂々と体を張って生きていた人達だからである。面と向かってケンカもし、口論もする。相手の顔や素振り、体格、性格などから瞬時に判断して対処するからである。現在のような、まわりくどい、なりすまし詐欺メールや巧妙な対面詐欺、非対面の詐欺電話であれ、いろんなあの手この手を使って詐欺をする者は大昔からおり、ひっかかる者はいつの時代にもいるものである。

 さて、石橋を叩いて渡るような、こざかしい現代の話ではなく、1983年の奇怪なある出来事の話をしよう。私が運転する車の後部席には5歳の坊やが乗っていて、元カノから無理やり押し込まれて乗せざるを得なかった事情の子供だったわけだけれども、とっくに別れていた元カノから「旦那に借金があったの。おそろしい額なんだけど、子供もいるし、怖くなってあなたに電話しちゃった。いけないって、わかってはいるのよ。でもね」と、別れて5年目に泣きついて来たのだった。話を聞けば、ずいぶん都合のいい女だったが、「子供はあなたの子なんだから、何とかならないかしら」と言った時、私はカチンとなって「ざけんな。よく言うぜ」と切り返して彼女を睨み返したのだった。

「オレがどれだけ苦しんでたか、判らなかったのか? 突然、別れてほしいって言ったのは、キミの方だぞ。新しい彼氏が出来たから、別れたいって。しかも相手がヤンキーでカッコいいとか何とかで、ただ外見だけで、二枚目だったら、誰でもいいのかよ。同棲相手のオレがいてさ、いきなりそいつと付き合うか? とっかえひっかえ、すんじゃねえ。何なんだよ。確かにオレは二枚目じゃねえし、齢もひとまわり離れてるし、貯金もあまりねえしよ、これっちゅう取柄もねえしなあ。まあ、平凡なネクタイしたサラリーマンってとこか。でもよ、キミとは恋愛感情を持っていたし、キミにはオレの人生すべてを捧げようって決めてたよ。なのによ、また、いきなり現われて、この始末かよ。子供はヤンキーの子だったじゃねえか。あの時、自分でハッキリそう言ったよな」と私は、過去を振り返りながら語気を強めて言うと、

「違うの。本当は違うのよ。あなたの会社に行って、赤ん坊を抱いてもらいたくて行ったの、憶えてるでしょ? 計算してみて、別れてから半年で今の旦那の子供が産まれるわけないでしょ。今の旦那の子供じゃないのよ。成人式の年のことだから、わたしもまだ幼稚でバカだったのね。でも、これでも、子供だけは一生懸命育てて来たつもりよ。わたしのお腹の中から産まれて来てくれたんだもの。父親は誰だっていいって思ってたのは、浅はかだったわ。当時のわたしは子供だけが欲しかったのね。本当にバカ娘だったわ」と元カノは言い訳を続けた。

「今は旦那の娘もいるんだけど、二人」と元カノ。

「なに、娘が二人? ガソリンスタンドで働いてて、息子と合わせて三人、よくやってるよな。で、キミも今は働いてるのか?」と私が訊くと、

「最初の頃とか、出産の頃とかは無理だったけど、下の娘が産まれて翌年に旦那の借金を知ったのよ。何か様子が変だったから、娘の衣類さえケチるから、おかしいと思って問い詰めたら、気を失いそうな金額で、子供たちと無理心中か夜逃げしか考えられなかったわ。だって旦那の金銭感覚、普通じゃないもの」と元カノは言った。

「どれくらいの借金なんだ?」と私が訊くと、

「こわくて、言えない」と抜殻のような顔が、色白以上に真っ青にも見えた。そこからは沈黙したままだった。1時間以上も黙り込んでいたが、「おくは、いたいの」と言ったので、

「なに、奥歯が痛いのか?」と私が訊くと、

「ううん、歯じゃない」と元カノ。

「歯じゃなかったら、何が奥なんだ。どの奥なんだよ? まさか、億単位の借金じゃねえよな」と私が言うと、元カノは項を垂れて「うん」と小さな声で頷いたのだった。

「そうか。よくそんなに借金が出来たなあ。担保は旦那の親の土地と屋敷か? 不良息子がそんな放蕩できるのは、親の家柄しかねえからなあ」と私は言いながら、

「そりゃあ、さっさと別れて、親子心中か、また、いい男みつけて再婚でもしろい」と私は冷たく突き放した。

「わたし、そろそろ家に戻らなくちゃいけない」と元カノは言いながら、自分の車に戻った。私はやれやれと思いながら、車のエンジンをかけた。すると、車の左後ろのドアが不意に開いて、「この子だけお願い」と元カノは神頼みでもするかのように、「夏雄、あなたの本当のパパよ」と言うや、男の子を後部座席に無理やり乗せていた。

「おいおい」と私は慌てて運転席を出ると、元カノの腕を捕まえた。

「おい。いい加減にしろよ。子供を何と思ってるんだ。荷物じゃねえぞ」と怒りながら、逃げようとする元カノを思い切り叱りつけた。元カノは大粒の涙を浮かべて、

「だって、これから三人で親子心中するんだもん。あの子だけ、お願い。あなたの本当の子供なんだから。助けてやって」と元カノは私の足にしがみついて懇願してきた。



 夏雄と名付けられていた男の子と信州旅行に出掛けることになった私は、釜トンネルのゲートが開けられていた上高地にひたすら向かっていた。元カノから託された夏雄は保育園も幼稚園も通っていなかったので、不愍に思った。一つ違いずつの妹たちと離ればなれになってしまったが、さほど淋しくもなかったようだった。勝手気儘な親の元に生まれて来たばっかりに、自分の人生が翻弄されているとは露知らず、見ず知らずの私を本当のパパだと言いくるめられて、「ねえ、おじちゃん。おじちゃんはボクのパパなの?」と言われては全く世話ない。

「ボク、まだパパって呼んだ人、いないんだ」と言うので、

「ママと一緒に暮らしてた男の人がパパなんだから、その人をパパって呼んでただろう?」と私は説明した。

「呼んでたかなあ。ママがいっつもユウジって呼んでたから、パパじゃなくて、ボクもユウジって呼んでた。妹たちはパパって呼んでたけど」と夏雄は言った。

「おいおい、ウソだろ。じゃ、何か、ニセモノのパパでも、夏雄はオレのこと、パパと呼ぶのか?」と私が訊くと、

「ママが、そう言えって」と夏雄。

「いいか、そのユウジおじちゃんが本当のパパで、オレはニセモノ。本当のパパでもないし、何の証拠も無いんだよ。オレは田舎のちっぽけな町の電気屋さん」

「いいよ。ちっぽけなでんきやさんで。ねえ、あのキレイな川は、何ていう川?」

「あ~ん。あれか、やっと梓川まで来たようだな」

「あずさがわ。ママが言ってた、さんずの川じやないんだ」と夏雄が言うので、

「おーい。何だよ、それ。三途の川なんぞ渡るもんじゃねえ」と私は言った。

「わたりたーい」と夏雄が大きな声で言うので、

「バカ言うんじゃない。三途の川なんかこの日本には無い。死んだ時に渡る川のことなんだよ。ママはいったい何教えてたんだ」と私はムキになって言った。まだ5歳の子供に三途の川なんて言葉は全く要らない。少し軽率なところがある元カノが本当に親子心中でもしてしまったらどうしよう、と私はふと不安がよぎった。

「なあ、夏雄ちゃん。ユウジパパはキミのこと、何て呼んでたの? なっちゃんとか、それとも」と私が訊くと、夏雄は平坦な物言いで「コーラ」と答えた。

「コーラ? コカ・コーラのコーラかい?」と確かめると、

「ボクの背中、カメのコーラみたいなんだって」と夏雄は笑いながら言った。

 亀の甲羅? 背中が亀の甲羅とはどういう意味なのか、私は唖然となって解釈しかねた。しかし、だんだん夏雄の猫背が気にかかり、ハッとなった。それにしても、わが子の背中が亀の甲羅に似ているからといって、コーラと愛称するなんて、実にけしからんと思い腹立たしくなった。やはり元カノの言うように、ユウジの本当の子供ではないのかもしれない。確かに別れて半年で出産しているのはおかしい。正確に計算すれば半年と半月くらいで出産しており、未熟児でもなかったのも確かだった。自分の本当の子でないにしても、小さな子供をそんなふうに揶揄して呼ぶなんて、冷たい感情を浴びせられて来たのかと思うと、夏雄がますます不愍に思えた。



 七月の上高地は本当に涼しくて気持ちよかった。大きいバスターミナルの駐車場に自分の車も停めて、そこから私と夏雄は一緒に奥の林道を歩くことにした。天気は雲一つない青空で、梓川の水は川底の石がすべて見えるくらい透明だった。わりと深い川で、少し蛇行した浅い所では流れる水の音が清らかに聞えた。上流の遥か向こう側に聳える峻険な穂高連峰には、残雪らしきものがわずかに見えた。北アルプスの雪融け水が清冽なのも無理ないはずである。

「夏雄ちゃん、お腹空いてないか? どうだ、あの店の中に入ってみようか」と私は自分の空腹から夏雄に言ってみた。店まで近付くと、中に入っていった。やや混雑していた。

「カレーライスでも食べる?」と私が訊くと、夏雄は店内をキョロキョロして、

「おじちゃん。あれ食べたい」と言いながら、私の手を引っ張った。食事メニューとは反対側の外に近い作り立てコーナーの串刺しを指差しながら、「あれ食べたい」と促した。上高地名物の草だんごと書いてあった。草餅風の小さな団子が5個ほど串に刺してある。特製のタレを付けるとさらに美味しいとある。

「すみません。それ4本ほど頂けますか」と私が注文すると、草だんご4本に少しタレを塗ってから経木に包んでくれた。お金を支払うと私たちは再び店の外に出た。

「おっ。そこに座って食べよっか」と私は、赤い野点傘で日除けになっている緋毛氈茶席を見つけて、夏雄と一緒に草だんごを食べることにした。川の風が涼しさも運んでくれていた。

「おいちぃ」と野球帽を被った夏雄は、口のまわりにタレを付けたまま言ったので、

「おっ、そうか。おいちぃか、どれどれ」と私も串に刺さった草だんごの一つを咥え抜いてから、齧りつき、もぐもぐと食べてみた。

「ほう。なかなか旨い団子でござるよな」と言いながら、この柚子味噌風味の珍味なる出会いにあらためて感心した。これも信州名物なのだろうか、目立たない場所でこのようなものがあろうとは、夏雄がまたどうしてこれを目ざとく見つけたのか不思議だった。

「うまいだんごでござるよな」と夏雄も真似て言った。

「はははっ。うまいでござるか」と私が笑うと、

「ござるござる」と夏雄も団子を頬張りながら笑い転げた。

「よし。お茶を持って来るから、待ってろ。オレの団子、盗られないように見張ってろよ」と私は店内に戻ってお茶を探した。相変わらず夏の上高地は避暑を求めて人が多かった。



 河童橋からの眺めはいつ来ても相変わらず最高のロケーションだった。大学生の時や社会人になってからも何度か足を運んで来た上高地だったが、今回の旅は特別な旅となっていた。夏雄と元カノの話を聞いていたら、夏雄は生まれてこの方、自分の町からまだ一歩も出たことがないようだったので、実子か養子か施設に預けるか今後の手続きはさておいて、とりあえず素晴らしい景色を夏雄に見せたかったのである。

「どうだ、この景色、すごいだろう」と私は夏雄の手を握ったまま、河童橋の上から穂高連峰のロケーションを夏雄に見せてやった。吊り橋の手摺の下から絶景を恐る恐る覗き込んでいる夏雄は、梓川の水の流れが気になるようで、5メートルくらいの高さは恐怖だったかもしれない。

「なっちぃ。橋渡るの、やめよっか?」と私は夏雄が怯えているのを見て訊いた。

「……ボク、行かない」と夏雄は正直に答えた。

「おじちゃんが悪かったな。遠くばっか見てて。よし、もどろもどろ」と私は夏雄の手をしっかり握ったまま橋の袂まで引き返した。夏雄が今にも泣き出しそうで、さっきまで草だんごを食べて大笑いしてた場所まで戻ることにした。

 赤い茶席の端っこにちょこんと座った夏雄はしょぼくれて、しばらくうつむいていたが、目の前の山や川に眼を遣ると、ここが今まで見たこともない風景であることが判ってきたのか、

「とてもキレイだね、おじちゃん」と夏雄は私にしゃべった。

「ああ、夏雄ちゃんに、日本一キレイな風景が見せたかったからなあ」と私は言った。

「すごいとこ、来ちゃった」と夏雄に笑顔が戻って来た。

「日本には、まだまだいっぱいキレイな場所があるんだよ」と私は今にも饒舌になりそうだったが、長話しはやめた。

「ふ~ん」と夏雄は帽子のツバを上げて眼を爛々と光らせた。

「さっきねえ、夏雄ちゃんのこと、なっちぃって呼んじゃったんだけど、おいちぃ、と夏雄をくっつけたら、なっちぃってなっちゃった。キミのこと、なっちぃって呼んでいいかな?」と私は夏雄に訊いてみた。すると、

「いいよ。なっちぃ、おいちぃ、なんでもいいよ、パパ」と夏雄は、投げやりのようにも思えたが答えた。あっけらかんとした夏雄の顔がとても逞しくおもえた。そして、私はどうしてもパパなのかと妙な気持ちをいつまでも引きずっていたが、夏雄の姿を見ているうちに、元カノの顔も目に浮かんで来た。

 旦那は要らないけど、子供は欲しい、と言ってた元カノの言葉を思い出して、夏雄のことが無性にいたたまれなくなってしまった。ごく普通に健やかに育っている5歳の夏雄を、夫の恐ろしい額の借金で私に手放し託すなんて、想像もしないような借金地獄に苛まれている元カノのちょっとした軽率さから、おそらく旦那とも離婚して、残された娘二人とどうやって生きてゆくのか案じもしたが、容易に元の鞘に戻らないのが男と女の関係である。

「なっちぃ。お昼ごはん食べたら、あとで、そこら辺の川原で遊ぼっか?」と私は言った。

「うん。あそびたーい」と夏雄はすっかり元気な声で明るく返事をしてくれた。



 橋下の広い美しい乾いた川原に座って、私は夏雄に河童の伝説を話した。

「昔々、梓川というたいそう美しい川があってな、つまり、この川なんだけど、河童の親子が5人住んでいたんだ」と私が話し始めると、

「かっぱって、なーに?」と夏雄が聞いた。

「河童ってねえ、頭に皿があって、皿じやねえか。つまり、頭のてっぺんが大きな禿げ頭になってるんだ」と私が説明し始めると、夏雄はゲラゲラと笑った。

「嘴はアヒルみたいに、とんがってるし」と私は両拳を丸めて口の前にくっつけて見せた。

「まあ、アヒルよりもでっかいくちばしだな」

「ボク、アヒル見たことないけど、絵本で知ってる」

「頭は大ハゲ、嘴は大きくて長いやつ、尖った手足にはヒレがあるんだ。正面から見たらカエルの腹みたいに白くて、いや、蛙というより、ありゃタヌキの腹だな」と私は説明した。

「タヌキも絵本で見たことあるよ」と夏雄。

「まあ、タヌキの腹みたいなもんだけど、タヌキは陸でしか生きられないだろ。河童はな、この目の前の川の中に住んでるんだよ。すいすいと泳いで、川魚を食べてるんだ。水生動物なんだけど、つまり水の中で生きる生き物でね、時々、川が薄暗くなると、ひょっこり水面から禿げ頭の顔を出すんだよ。先に禿げ頭だな、そして、ゆっくりと顔を出し、ギョロっとした眼で周囲を見渡すんだ。不気味な、こわーい目ん玉で、ギョロだな。ギョロギョロじゃねえぞ。ギョロが一回。頭を撫で撫でしてやったら、ぬるぬるだよねえ。おまけに臭いのなんのって、食べた生魚の匂いかもな。なっちぃ、河童をいちど見てみないか?」

「やんだ、気持ち悪いもん」と夏雄。

「じゃあ、河童の話はこれくらいにしておくか」と私はアイスクリームが食べたくなって、

「アイスクリーム食べに行こっか?」と私は夏雄を誘った。

「いい。ねえ、カッパは見たくないけど、水からおめめ出したら、次はどうなるの?」と夏雄が訊くので、

「まわりに誰もいないのが判ったら、水の中からゆっくりと立ち上がって、川岸までゆっくりと歩いて来るんだよ」と私は河童の話を続けた。

「パパの顔、こわい」と夏雄が言うので、ふと私の顔が知らぬ間にぬるぬるとした河童の顔になっているのに気がついて、いきなりふやけた表情で作り笑いを浮かべた。すると、

「それ、カッパだよ。カッパの顔、やだ」と夏雄が言うので、私もちょっと調子に乗り過ぎたと思い、元の表情に戻した。

「それからどうなるの?」と夏雄が訊くので、

「それからどうなるのかって、まわりが暗くなるとね、夜陰に紛れて人間みたいに歩き出すんだ」と私は話を続けた。

「やいんって、なーに?」と夏雄が訊くので、

「キャイーンじゃないぞ。ヤイーンだ。ヤイーンじゃないな、ヤイン。あたりが暗くなるのを利用して、小さな人間の子供を探し始めるんだよ」

「どうして?」

「自分よりも弱そうな子供を捕まえて、川の中に引きずり込んじゃう。恐ろしい怪物だよねえ。今は昼間だから現れないけど、夕方になったら出て来るかもしれないから、なっちぃも薄暗くなる前におうちに帰らないとな」と私は河童の伝説を語り終えた。

「どうして川の中に連れてゆこうとするの、どうして?」

「それはね、大人よりも子供のほうが美味しいからさ」

「えっ。子供食べちゃうの? カッパって、人を食べちゃうんだ」と夏雄は目を丸くして言った。

「人間の子供を食べるのは朝飯前なんだよ。屁の河童って、よく言うだろ? なっちぃには、まだ分かんないよね。朝飯前とか」

「朝ごはんの前でしょ」

「朝飯前というのは、とても簡単、という意味なんだ。簡単っていうのは、ちょろいもんだ、って分かるかな? ちょろいぜ、って言わないか」と私は説明に苦慮した。

「ユウジが言ってたよ。ちょろい、ちょろいって」

「まあ、そんな感じかな。だから、屁の河童なのさ」

「へのかっぱは、ちょろいってこと?」

「まあ、そういうことになるかなあ」

「どうして、ちょろいカッパさんは、へのかっぱでボクを食べちゃうの?」

「ああ…、5歳の子に説明が下手だったかも。なっちぃ、屁の河童のことは忘れてくれ。これはおじちゃんの作り話なんだから、聞き流してくれ。でも、その吊り橋の名前は、河童橋って言うんだ。名前があれば存在もするんだけど、河童よりさ、暑くて仕方ないからアイス食べに行こ、なっちぃ。おいちぃ夏雄さま」と私は促した。

 すると、夏雄はすっと立って「へーのかっぱ、へのかっぱ」と歌うかのように、梓川の川面を振り返りながら、すたすたと川土手の方に歩き始めた。



 あれから30年が経ち、当時の元カノと彼女の娘二人がどうなったのか、私には消息は判らない。生きてゆく道が異なれば、価値観も物事の優先順位も異なる。時間は残酷であり、訣別は前に戻すことのできない岐路であり、選択である。一度選択すれば後戻りのできない道を進んでゆくしかない。あの上高地での夏雄との思い出は、梓川の水の流れのように大正池へと続き、信州の山岳を縫うように、やがて信濃川水系を経て日本海へと注ぐことになる。私は託された夏雄を守るために安月給のサラリーマンを辞めて、柿山一級建築士事務所に見習いで入社し、資格を得るために死に物狂いで勉強をした。雑巾がけから、あらゆる雑用まで積極的に何でもした。建築士になるための勉強は会社でさまざまなことを学び、帰宅後にも時間があるかぎり勉強をした。

 私の血筋は代々から大工なので、父や祖父の大工職人としての姿も見て来ており、肉体労働は自分には向かないのをよく知っているのだ。ならば設計士になろうと決断したのである。自分の二級建築士事務所を持つのに13年かかり、小さな設計事務所ではあるが、今も世話になっている柿山一級建築士事務所からは仕事の依頼をよく受ける。いつかは自分も一級建築士事務所を持ちたいとは思っているのだ。

 夏雄は私が出社するときに私の両親が棲む実家に預けて、会社からの帰りに実家に立ち寄り、一緒に帰宅していた。小学生から高校生まで同じサイクルだった。大学へは行かせてやりたかったが、本人の強い意志で、高校を卒業すると同時に新しく立ち上げたばかりの私の二級建築士事務所を手伝うことになった。親子二人で建築設計事務所を始めることになったとき、私は思わず涙が出てしまったのを今でもよく憶えている。

「父さん、鍋倉さんのリフォームだけど、僕が直接見て来ます。築60年だと、床の間の化粧柱と框は微妙ですよね。一応撮影してみて、強度も測っておきます。それでまた父さんに判断してもらいます。いいよね?」と夏雄が言うので、

「ああ」と私は応えた。

「新ちゃん、準備して」と、今年で35歳になる夏雄は、後輩の新田に声をかけた。

「はい。わかりました」と若い新田も応えた。

「夏雄。ついでに柿山先生のとこ寄って来てよ。なんかねえ、桃山離宮の別館で、内陣の寸法が違うらしいんだ。図面もらって来てくれる?」と私は夏雄に言った。細かい受注から欄間や建具の宮大工がする物件まで、和建築中心の仕事は多忙をきわめている。

 この頃、これでよかったのだと、私はつくづく思うようになっていた。しがない大工のせがれとして生まれ、晩年まで二級建築士の事務所を細々と営み、今では一級建築士への夢をひそかに夏雄に託している。私の女房を素直に「母さん」と呼んでくれる夏雄には、なるだけ早く結婚もしてもらいたい。若い二人の女性事務員とは気が合わないようだから、職場結婚は無理かもしれない。まあ、恋愛なんて、こっそりと誰からも知られずに成就してゆくものなので、自然に任せるしかない。もう立派な大人になっている夏雄だった。建築士の卵となる後輩たちが、夏雄にはすでに3人もいるから大したもんだと思っている私は、やっぱり親バカなのだろう。(完)

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おいちぃ 古川卓也 @furukawa-ele

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