「も~ういいよ」

阿々田幸汰

「も~ういいよ」

仕事で取引のある食品会社に、Yさんという男性の方がいて

これは、そのYさんが大学時代に付き合っていた女性が実際に

体験した話です。


彼女、仮に、Nさんとしておきましょう。

Nさんがまだ子供の頃、小学生になったばかりくらいでしょうか。

当時、仲の良かった、A子ちゃん、それと他の、二、三人の友達と一緒に近所にあった大きな公園へ遊びにいったそうです。。

そこは子供たちが遊べる遊具も、もちろんあるんですが、遊歩道があって手入れの行き届いた緑の林が周囲を囲んでいるような、ちょっとした森林公園みたいなところだったそうです。林の奥には野鯉とか雷魚が釣れるような大きな池があって、まだ幼かったNさんたちは子供だけでそこに遊びにいっちゃいけないよといつも親たちから言われていたんですが、その日はたまたまA子ちゃんのおじさんが、A子ちゃんの家に遊びにきていたそうで、そのおじさんが、俺がついていってあげるよと言ってくれたこともあって、みんなで公園へと遊びにいったわけです。

ひとしきりブランコや滑り台なんかで遊んだあと、誰から言い出したのか、かくれんぼをしようということになった。やろう!やろう!ということになった、Nさんたちなんですが、A子ちゃんのおじさんから、危ないから林に入っても遊歩道からはあまり離れないこと、池の前には金網のフェンスがあるんで、そこから奥へは行かないことを約束させられた。

「うん!わかった!」ということで、かくれんぼがはじまった。最初はじゃんけんで負けた、A子ちゃんが鬼になり、次に他の子、そしてその次は、Nさんが鬼になったわけです。

Nさんをブランコの柱のとこに残して、みんな「わ~っ!」て感じで思い思いに散っていった。背中越しにみんなが走っていくのを、Nさんは柱に当てた手で眼隠しをして聞いていた。足音が遠ざり、夏だったんもので、聞こえてくるのは蝉が鳴く声だけになり、やがて、Nさんは大声で言った。

「も~ういい~か~い?」

そしたら遠くで「ま~だだよ~」と答える、みんなの声がする。

「も~ういい~か~い?」

「ま~だだよ~」

何度か繰り返すうちに「ま~だだよ~」と答えるのが、A子ちゃんの声だけになった。もう小一時間もそうやって遊んでるんで、Nさんは、A子ちゃんがけっこう遠くに離れているのがわかったそうです。

「も~ういい~か~い?」

「ま~だだよ~」

Nさんが言うと、A子ちゃんが答える。それをまた二、三回繰り返したでしょうか。

「も~ういい~か~い?」

「ま~だ・・・」

突然、A子ちゃんの声がそこで途切れた。「あれ?」と、Nさんは思ったんですが、もうずいぶんと同じ姿勢で待ってたんで、待ちくたびれたのもあって、Nさんはみんなを探しはじめたわけです。一人、二人と見つけて、そのうち残っているのは、A子ちゃんだけになった。でも、そこから、A子ちゃんの姿がどこにも見つからないわけです。三十分、一時間と探すうちにさすがに怖くなってきて、みんなで手分けして探すことにした。友達の一人がエアコンをかけて車で昼寝していたおじさんも呼んできて、探し回ったけれど、どこにも見つからないわけです。

「A子ちゃ~ん!」

「A子ちゃ~ん!」みんなで名前を大声で呼ぶけれど、返事はまったくない。結局、警察にも来てもらって、辺り一帯を大捜索することになったそうです。

残念な話なんですが、このA子ちゃん、その日の深夜、池の中から遺体で見つかったそうです。下着が別のところから発見されたこともあって、警察が調べた結果、変質者が、A子ちゃんをレイプして、池に遺体を捨てたのだろうということになった。犯人は捕まらなかったそうです。

Nさんは後悔したそうです。あの日、公園に遊びにいかなければ、かくれんぼなんてしなければよかったと。そしたら、A子ちゃんが殺されることもなかったんじゃないかとそれからずっと考えたそうなんですね。


やがて、Nさんは高校生になり、部活で生物部に入ったそうです。二年生の夏休み、部活の一環で、あのA子ちゃんの事件があった公園に昆虫採取に行くことになった。Nさんは正直、気が進まなかったんですが、生物部の部長をやっていた男の子が当時付き合っていた彼氏だったということもあり、自分だけ行かないとは言いにくかった。それで仕方なく、その日、公園にでかけていったんです。

部員は10人くらいいたらしんですが、公園で、二、三人ずつのグループに分かれて、昆虫採取をすることになった。あの日と同じように夏、時刻はまだ早朝だったそうです。夜が明けてやっと明るくなってきた林の中に、Nさんは部長の彼氏ともうひとり、部長と同級生の女の先輩と三人で虫あみを持って入っていきました。

しばらく歩いていると、蝉の声にまぎれて遠くから「も~ういい~か~い?」という声が聞こえたそうです。Nさんは思わず足を止める。正直、その声からすぐに昔の事件には結びつかなかったそうです。こんな早朝になんで子供がかくれんほなんてしてるんだろう?と思った。

「どうしたの?」急に立ち止まったNさんを彼氏が振り返る。

「も~ういい~か~い?」また聞こえた。今度は少し声が近づいている。

「子供の声・・・」と、Nさんが言うと、他の二人はなにも聞こえないという。

そしてまた「も~ういい~か~い?」と声がした。

そのとき、ようやく、Nさんは事件の記憶とその声が結びついたそうです。背筋に冷たいものが走って、全身に鳥肌がザ~っと立った。

「大丈夫? 顔が真っ青だよ?」上級生の女子が心配そうに、Nさんの顔を覗きこむ。

「も~ういい~か~い?」

「も~ういい~か~い?」

足音はなくて、声だけがどんどんと近づいてくる。Nさんは悲鳴を上げて、とうとう走り出してしまった。A子ちゃんに感じていた罪悪感からか、A子ちゃんが自分を怨んで、幽霊になってでてきたんだと、Nさんは思ったそうです。

「ごめんね、ごめんね」泣きながら、Nさんは走った。

「も~ういい~か~い?」

声はずっと、Nさんのあとを追いかけてくる。

とにかく林の中を走って走って、やがて、A子ちゃんの遺体が見つかったあの池を囲った金網のフェンスが見えてきた。フェンスの向こうで、ずぶ濡れのA子ちゃんが待っているような気がした。これ以上、池には近づきたくない。Nさんはとっさに足を止めると、林の中にあった大きな木の後ろに隠れたそうです。

「も~ういい~か~い?」

しゃがみこむ、Nさんの耳にだんだんと子供の声が近づいてくる。

「ごめんね、ごめんね」手を合わせて、Nさんは泣きじゃくる。

やがて声が、Nさんの少し手前まで近づいたところで、ふっと止まった。

蝉の鳴く声だけが林の中に響き渡る。

どのくらい時間が立ったのか、ザっ、ザっと足音が聞こえてきた。Nさんは息をのむ。草を踏み分けて足音は、ザっ、ザっと、どんどんNさんのほうへと近づいてくる。

その足音を聞きながら、もう、Nさんは言葉もなくただ両手を合わせて震えていたそうです。

足音が止まった。ふっと、Nさんは背後に気配を感じる。誰かが後ろにいる。

震えながら、ゆっくりと、Nさんは振り向いたそうです。

「も~ういいよ」囁くような声がした。

Nさんの後ろで、A子ちゃんのおじさんがしゃがみこんで笑っていたそうです。A子ちゃんのおじさんの手には、おじさんのズボンの革ベルトが握られていて、そのベルトをゆっくりと、Nさんに近づけてきました。

Nさんはそのまま気を失ってしまいました。


彼氏や生物部の生徒たちが見つけて、Nさんは無事家に戻れたそうです。

Nさんには怪我はもちろんなんの異常もなく、見つかったときに周囲には誰もいませんでした。

その日、体験したことを、Nさんは誰にも話せなかったそうです。まず誰にも信じてもらえないだろうと思ったし、あのときみた、A子ちゃんのおじさんはあの頃のまま、まったく年をとっておらずあの日と同じ服装で、そんなことはありえないと思ったからです。

その後、人づてにそれとなく、Nさんが調べたところ、A子ちゃんのおじさんは事件の三年くらいあとにどこかのダムに身を投げて自殺していたそうです。自殺した日は不思議なことに、A子ちゃんの命日で、家族は、A子ちゃんの死に責任を感じて思いつめてしまったのが自殺の原因だろうと話していたそうです。

その後、Nさんはいろいろ考えたすえに、こう結論づけました。

A子ちゃんを殺した犯人は、おじさんだったのではないか。昆虫採取の朝、公園で、Nさんは、A子ちゃんが殺されたときのことを追体験したのではないか。あのとき聞こえた「も~ういい~か~い?」は、他の誰でもなく幼い日の自分の声なのではないか。あれは、A子ちゃんの魂のようなものが、事件の真相を、Nさんに教えるために見せたものではないかと。

もちろん、真相はもう誰にもわからないのですが。

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「も~ういいよ」 阿々田幸汰 @aadakouta

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