1-1-4「ハグレ者達の交渉」

「……分かった。でも、僕はあなたのご主人様じゃない。信用も、最初は無理だと思う」


 内心を隠しても、その”内心”に入り込んでいる実態にはいつかそれは伝わってしまうだろう。隠しても意味がないので正直に吐露すると、「それと」と続ける。


「あなたの次の名前、ラションがいいと思う。ずっと”あなた”って呼ぶの、なんか変な気がするから」


 暫く訪れていなかった沈黙が流れる。

 実体は呼吸を強く漏らし、驚きと気恥ずかしさの混じった笑みが零れた。


「それは、それは。……ラション。ラションね。うんうん、いいじゃないか! 中々センスがあるね! これは古語に由来する? それともただのランダムな発音の羅列? どうであったとしても、中々、こう、かっこいいじゃない」


 疑似的でありながら新たな自分を得たラションは浮足立っていた。永住権と仮の名前を得ることが出来たのだ。

 先ほどの難なく生死を言い放った助言役との顔が乖離していて、それは彼――彼女かもしれない――のことを異端な考えが導入されていると思わないことはできなかった。


「一つ答えてほしい」


 感情の乏しい異質な声が放たれた。


 記憶の整理が終わっても、原因が突き止められない不明慮なあの声。太陽のようなナスタ―シャムを所望した”声”。そして、己の記憶の欠落。

 あの時、自分を助けた覚えのない不可解な音について尋ねる。


「ご主人様が思うように、本当に記憶が欠損してしまっている可能性もあるし、何らかの方法で施錠されているのかもしれない。今のところ、原因を断定することは出来ないかな。一番はご主人様を知っている人に会いに行くのが一番だよ」


「そう。どこかには居るのかな」 


 不明慮な記憶を解消することは出来なかった。考え込むそれに対し、思考を邪魔するようにラションは声を発する。


「ご主人様はもっと社会に適応できるように、心を汚したほうがいい」


「何を」


 分かっていないのか。

 そう言いたげに殊更眉を下げて視線を別の方向に泳がせた彼に懐疑的な目を向ける。観念したかのように笑みを受かべて言葉を紡ぐ。


「だってご主人様、もう既にボクに影響されてる。最初よりずうっと口数が多くなった。口調も移っちゃったね。感情に波を持たせることは未学習っぽいけど。それなのにすぐボクの波長に馴染んだ。無垢だ。すごく無垢だね」


 その発言には心地の良い笑いを含んでいるとは決して思えなかった。

 何かを思い出しているのか、無知を嘲笑しているのか、それとも呆れてしまったのか。


「思っていたより話が進んじゃった。歴史の授業は向こうでやってくれるかな」


 体の内側から働きかけを受けている。外側で活動している五感が意識体にも働きかけてくるようになり、この空間の終わりを悟る。


 ぐらりと頭が揺れる。耐え難い不快感に椅子から崩れ落ちた。

 内側と外側の音が混じりあい、視界が暗転する。複数の誰かが何かを言っている。


「いってらっしゃい、ご主人様」


 ふいに、意識の崖から突き落とされた。


 情報に激突する。

 目を瞑った後、それに訪れたのは暗闇だった。



 やかましい音が脳内に響き渡る。


――記憶の同期に失敗しました。メモリの破損を確認。命令が達成されています。待機状態に移行しました。


――要請が受理されました。



 突然、明るい光が網膜を襲った。受け止めきれない混濁した情報が、受容できずにあっけなく右から左へ流れていく。

 再起動が完了し、またこの世界へ戻ってきたようだ。月も斜陽も、まだこの辺りを牛耳ってはいない。


 空には忖度のない恒星が活動時間を告げている。


 薄目をゆっくりと開くと、そこは屋内だった。そして、また別の場所。


 物が散らばったコンクリート製の一室。ちょうど天井を見る状態で目覚めたそれの視界に、規則的に動くシーリングファンが少々自意識過剰に飛び込んでくる。


「お、覚醒した」


 音の方向へ目線を向けると、そこには見知らぬ誰かがいた。


 こちらに注意を向け、今にも椅子から立ち上がろうとしている。灰色の瞳と灰色の髪色、すぐに伸び切りそうな前髪がその人物の忙しさを物語っていた。


 真っ黒なYシャツを灰色や黒や青や赤に汚した人物が、横たわるそれに歩いて近づき、横になっている台に手をつく。


「改めて、ようこそシキさん。私はターシャ。あなたのリーダーがお待ちですよ」


 それは、――シキは、見知らぬ者、見知らぬ場所の始まりに頭を悩ませていた。




一章一節 行方不明



 

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オートマタはカスケードの夢を見るか? 山吹 @Ivy_yamabuki

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