後編

 あの小事件から数十分後。僕たちは、駅の近くのスーパーで酒を買っていた。ホリさんとそのバンドや、ほかの対バン相手のお使いだ。


「うまくいったなぁ、牧! オレ、冷や冷やしちゃった。今日の打ち上げはきっと楽しいだろうな」


 赤瀬くんが籠の中に次から次へと、お酒の缶を入れていく。


「うんうん、そーだねぇ。あのお母さんも、バンドマンに理解ある人で良かったよね」


 僕もお使いのメモを見ながら、あの親子のことを思い返す。

 ――これは詳細を省くけど、結論からいうと、アルファ・ケンタウリの「ヒーローショー」は無事に成功した。少し時間も押してたし、やむなく1〜2曲削って、間に合わせたんだ。それでもお客さんたちは大いに喜んでくれた。


「どれどれ、何を買ったんだい、サックスの名人くん」


森田さんが、お酒の缶を1本手に取った。白地に山吹色の文字で「はちみつレモンサワー」と書いてある。ほかにも、「ノンアルコール」「やさしい甘さ」といったキャッチフレーズが目立つ。


「これは……桃味の酎ハイか。俺が昔惚れた女も好きだったんだよ。だが、ホリさんたちにはきっと足りないぜ?」


 あ、すんません、癖っす! と赤瀬くんは、籠のお酒を1缶1缶、元あったショーケースに戻していく。


「そっか、赤瀬くんって、お酒呑めないんだよね……」

「あっははははは、ジョーダンきついぜ牧ー! オレ、アレだからね、今日は弱いやつしか呑まないってだけだから!」


 食い気味に僕の言葉を遮った。


「ほら牧ちゃーん、オレさ、タバコ吸うじゃん。だから体に余計な負担かけたくないんだよね、それで弱い酒ばっかりわざと選んでんの。だから違うんだよ、呑めないっていうのとはさ」


 相槌をうつ間もないほどに早口でまくしたてる。つらつらと言葉が次々出てくるのに反し、耳とほっぺたは興奮で赤くなっていた。


「そりゃ普段もさぁ、嬉しいとさぁ、ついついこういう酒ばっかり買っちゃうんだよ、でも良くねぇ別に? そのぶん色んな味が楽しめるし、彼女がいても、同じもん呑めるんだからさぁ……」


 森田さんが、赤瀬くんの口元に、手をサッとかざした。辺りを見回し、僕にも目で合図を送る。彼の長い指が、僕たちがいる通路の奥を示していた。

 奥にいたのが誰か気づいた瞬間、僕たちはそろそろとその場を離れた。


「リュウ、買ってほしいおやつはある? 今日は好きなものを選んでいいわよ」

「わぁ、やったぁ! どれにしようかなぁ……」


 別の棚の影に隠れて様子をうかがう。

 あそこにいたのは、さっきライブに来ていたリュウくんだったんだ。お母さんと一緒におやつを選んでた。お母さんが押している買い物カートからは、重そうな一升瓶や野菜の葉っぱが覗いていた。ライブでもないのに、お客さんと鉢合わせるのはちょっと気まずい。


「お母さんは缶コーヒーでも買って、さっきのバンドの人達に持って行こうかな……リュウのことで迷惑かけちゃったし」


いいなぁぼくもわたしたい、と、リュウくんが言った。


「ぼくもねぇ、おかしかって、プレゼントしたいんだ。ケンタウリのおじさんたちのうた、むずかしかったけど、かっこよかったんだもん」

「えっ、マジか! やった!」


 声に気付いてリュウくんがこっちを振り向いた。そして、ぱっと顔を輝かせる。僕の後ろで、赤瀬くんがぎこちない笑みをつくっていた。


「おかーさん! みて! みて! ケンタウリのおじさん!」

「あ、へへへへ、すんません。気ぃつかって離れたのに。オレ、こんな小っちゃい子に好きって言ってもらえたの嬉しくて……」

「いいじゃありませんか。私も、思いがけなくゆっくり音楽が聴けて、嬉しかったんです。それに、歌詞もロマンチックだったわ」


 お母さんはにこにことしている。そんなに喜んでもらえるなんて思わなかった。さっきリュウくんを迎えに来たときは、すごく慌てていたみたいだったもの。

 リュウくんも、あの歌詞がかっこよかった、この音楽が良かった、と興奮気味に話しつづける。それを聞く赤瀬くんも、まるでニヤニヤ笑いが止らない。ひとこと聞くたびに、「めちゃめちゃ褒めるじゃんかぁ、リュウくんさ~……」と満足げだ。


「そうかい、このごろ、色気のある歌詞ができねぇなと思ってたんだが……」


 森田さんもしみじみと喜びを噛みしめている――森田さんは、ギター演奏に加えて、作詞もしている。思い通りの歌詞ではなかったけど、苦労が報われた嬉しさは、何物にも代えがたいだろうな。


「牧、お前、嬉しくねぇの? 反応薄くね?」

「まさか。これでも、胸いっぱいなんだよ――そういえばさ。リュウくんは、僕たちがやった歌で、どれが一番好きだった?」

「うんとねー、うーん……きめらんないけど、あーめーぃ、じーんれーぃす、ってやつ」

「あぁ、最後に歌ったカバーソングね。お母さんも、あれが好きだったわ」


 『アメージング・グレース』。知らない人はいないゴスペルの名曲だ。今日のセットリストには「俺の好きな歌だから」と、気まぐれで入れたらしい。


「あれ、確か訳詞は森田さんのオリジナルだよね。著作権切れてるから良いだろうって」

「あぁ。俺が一から作った歌じゃないのは淋しいが、名曲のわかる子供は良い大人に育つもんだ」


 ……俺たちみたいにね。森田さんがにやっと口角を引き上げた。


「『あめーじん・れーす』って、なに? おじさん、かけっこするの?」

「リュウったら! レースじゃないの。それはね……」

 お母さんがくすりと笑った。


 ……親子とは、もう少しだけ話して別れた。さっき旦那さんから「早くに仕事が終わった」と連絡があり、早めに戻って迎えたいらしい。親子の楽しいやりとりを遠くに聞きながら、僕たちは幸せな気持ちでレジへ向かったのだった。



それから、何年か後のことだ。


「……みたいなこともあったよなぁ、牧。あー、あのときマジに嬉しかった、オレ」


 赤瀬くんがサックスを抱えたまま、ため息混じりに上を向く。やわらかな赤や薄橙色の光が、小さなライブハウスの舞台裏を、あたたかく包んでいた。

 もう、何年も前だのに、彼はほんとにこのときの思い出が大好きだ。今日みたいにライブをやる日は、いつも楽屋で、嬉しい顔で話すんだ。


「あの子、何してるんだろうなぁ。今ならもう小学校くらいだっけ」

「だろうな。小3くらいか? そろそろピアニカ卒業して、縦笛吹き始めるころだ」


 森田さんは長い指先をぴろぴろと動かす。縦笛を吹く真似らしい――そんなのも習ったなぁ。僕も、吹き方はすっかり忘れちゃったけど、あの頃はアニメの曲とか吹いたりしてたな。


「一番楽しい時期だよね。こーやって傘とか定規とか持ってさ、デュクシっ、デュクシっ! とかいって遊んでんだろな」


 僕はドラムスティックを持って、剣で敵を薙ぐ真似をしてみせる。――おいおい、またスティック壊しても知らないぜ、と森田さんがからかう。


「――おーい、アルファ・ケンタウリ! そろそろ出番だぞ」


 ホリさんが僕たちを呼ぶ。いけますよー、と赤瀬くんが返し、僕たちはステージへ向かう。いよいよ順番が近づいてきたんだ。

 ドラムセットの後ろで椅子の位置を整えながら、ふと、あの日の親子の会話を思い出す。


――『あめーじん・れーす』って、なに?


『驚くほど素晴らしい、神様からのプレゼント』ってことよ。あの人たちから、音楽の神様にありがとうって言ってるの。


――かみさま、プレゼントくれたの?


ええ、そうね。あなたがびっくりするくらいの、音楽の才能をもらったんですって。だからちゃんとそれを使えるように、また見守っていてください、ってお願いしているの。


「――よっし! じゃあ張り切って、音楽の神様にお祈りするとしますか!」


 深呼吸をして、赤瀬くんはぴかぴかのサックスを構える。矢でも鉄砲でも持ってこいといった様子だ。


「牧くん、準備はいいかい? 俺はできてる」

「もちろん。たくさん練習したからね」


 僕は、しっかりと客席を見つめた。既に、並んだ椅子はお客さんでいっぱいだ。興奮や期待を孕んだ、心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。

 かしゃーん、とシンバルを叩き、そして僕は叫ぶ。


――どうか、お客さまにも、歌手のみなさんにも!

このライブハウスの全ての人に!

音楽の神様のご加護が、降り注ぎますように!


 森田さんのエレキ・ギターが、重厚感あるサウンドを紡ぎはじめる。僕は、それに合わせてスティックでドラムを撫ぜていく。音楽の神様の気配が、近づいていく。


〈おわり〉

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アメージング・グレース 沙猫対流 @Snas66on6

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