第2話 どうしたらいいのだ、私
「祐子、拓真と喧嘩でもしたの。」
祐子の様子を見て、そんな言葉を口にする。間違いなく<喧嘩>と認識する。
「ううん、別に…」
未幸は、高校二年のあの日から、祐子と拓真の間に居る事が役回りになっていた。拓真だけではない。祐子の数少ない男性遍歴の中、必ず未幸の姿があった。なぜかというと、祐子と付き合う男性は、必ず未幸の前を通り過ぎていたからである。
「祐子、原因は何なの。話してごらん。」
祐子の言葉など聞いていないのか、そんな言葉を発していた。
「未幸、聞いてくれる。」
システムキッチンにいた祐子は、泣きながら、未幸に抱きついてくる。そんな祐子を椅子に座らせて、隣に座る未幸。
『あのね。最近、拓真の態度が、よそよそしいというか、私を構ってくれないの。私が一生懸命作る手料理にも、無言で食べているだけ、新婚、付き合っている時は、おいしいって言ってくれたのよ。ずっと、食べていたいって、言ってくれたのよ。最近なんて、お帰りって言っても無言のまま、私の前を通り過ぎるだけよ。どう思う…』
そんな祐子の愚痴が続いていく。未幸は、聞き手に徹する。話しに相づちをうって、慰めている。これがいつものパターンであった。
「わかったから、もう泣きやみ。拓真には私から言ってあげるから…元気を出そう。久しぶりに会ったんだから、それには、おいしい夕飯を作ろう。私、作る気で来たんだから…」
そんな言葉を口にして、祐子の気を逸らせる。気が滅入っている時は、違う事にするに限る。立ち上がり、食材をシステムキッチンの上に、“ドサッ!”と置いた未幸は、今度こそ、本気の戦闘態勢に入る。
「祐子は、何を作るつもりだったの。」
腕まくりをしながら、キッチンの中に入る。
「うぅーと、牛肉のたたきを作って、サラダにして、シーフードのフライに、後はパスタかな。」
祐子も、そんな前向きになる未幸を見ていたら、涙を拭っていた。そんな言葉を口にしながら、仲良く二人はキッチンに並んでいた。
「そうか、私は、何を作ろうか。」
腕組みをして、頭をフル回転させる。買ってきた食材と睨めっこしながら、調理するものが考えている。
「私も、洋にしようと思っていたんだけど、祐子が洋なら、私は、和で行きますか。」
未幸が頭の中に浮かんだお品書きは、こうである。(肉じゃが・出し巻き玉子・魚の煮つけ)
祐子が三品作るのであったら、三品に合わせるのが妥当であろう。未幸は、才色兼備の祐子に、唯一、勝るもの勝てるもの。優っている事といえば、料理であった。祐子の手料理もうまいのではあるが、未幸には敵わない。最近、忙しくてお昼は、コンビニ弁当。夕食は外食ばかりであった未幸は燃えていた。
いきなり、鍋に水を張り、火にかける。一枚ものの昆布を二つに折り、その鍋の中に入れる。昆布出しを作る合間に、ジャガイモ、ニンジン、玉葱の皮を剥き、肉じゃがの下拵えを終わらせる。沸騰した鍋を確認すると火を止め、昆布を取り出しキッチンの隅の方で冷ましておく。フライパンで、先に牛肉を軽く炒め、別の皿に盛っておく。そのまま、フライパンを使い、肉じゃかの下拵えしたものを炒めだす。
「祐子、蒸し器ある。」
ニ層になった鍋の事。祐子も、未幸の手早さに思わず慌ててしまう。蒸し器の中蓋を取り、炒めたものをそのまま入れる。後は、冷ましておいた昆布出しを、お玉二杯分ぐらい別の器に入れて別にして、残りの昆布出しを蒸し器の鍋の中に入れた。別に炒めておいた牛肉と糸コンを入れて、醤油味醂、砂糖で味付けをしていた。
中蓋をすると、白菜を下にひきつめると、小ぶりのカレイを二匹取り出し、鱗を取り下拵えに入る。あっという間に、隠し包丁を入れ、そのまま白菜をひいた蒸し器の中に入れ、生姜の切れ端をカレイの上に添えて、蓋をして火を弱火にする。この方法を使うと、一つの鍋で二品作れるというわけ。三つあるガスコンロの一つだけを使用している形になる。祐子の料理の邪魔をしなくて済む。この作業を、十五分足らずでやってのける。祐子は、唖然として見ているだけであった。
「よし、後は待つだけと。」
「相変わらず、すごいね。未幸。」
祐子は、そんな言葉しか出てこない。いつもの事ではあるが、未幸の段取りの良さには、感心してしまう。
「まあね、あんたに、勝てるのはこれぐらいだから…」
ここを否定しない。鍋の火加減に目を配りながら、祐子の手伝いをする。二人仲良く並んでいる間に、時間は流れていく。日が傾き、祐子の<お品書き>も完成すると、後は未幸の出し巻き玉子で、今日の夕卓は完成する。冷ましておいた昆布だしに玉子を割り入れる。醤油と味醂を適量入れて合わせる。丁度、長方形の玉子焼き器をコンロの上で温め、合わせた玉子を入れた所に、拓真が帰ってくる。
「…」
「お帰りなさい。」
無言のまま挨拶もなく、二人の前を通り過ぎていく拓真。祐子は、そんな言葉を掛けるが、言葉は返ってこない。
「拓真君、お邪魔しているね。」
出し巻きの玉子を巻きながら、そんな言葉を掛ける未幸。優しい言葉遣いが、不気味でもあった。
「おお、久しぶり、来てたんだ。」
未幸に対しては、言葉を返す拓真に、ちょっとした怒りを感じる。
祐子と拓真の間には、嫌な空気は流れている。
「拓真君、パチンコ出たの。もう一個巻くから、座って待っててよ。」
拓真は、<パチンコ>というキーワードにドキッとする。怒りを感じた未幸はこの場では、表に出そうしない。
素直に、拓真を椅子に座って待っている。素早く、出し巻きを巻き終えた未幸は、祐子にこんな言葉を掛ける。
「祐子。座ろう、後は拓真君に任せよう。料理運ぶで、箸もね。ビール飲むからグラスも…」
「えっ…」
いきなりの未幸の言葉に戸惑う。未幸は、祐子に近寄り手を引いて、キッチンを離れると、拓真の代わりに祐子を座らせ、強引に拓真をキッチンに追いやる。
「拓真君、早く、持ってきてよ。冷めるでしょ。この料理、全部祐子が作ったんだよ。運ぶ事ぐらい出来るでしょ。」
二人の喧嘩の原因というのはここにあった。結婚して、専業主婦となった祐子。三年も経つと、家事をしてくれている主婦の有難みもなくなってくる夫。そんな夫拓真の態度に、腹立たしい思いを抱いていた祐子。仕事にかっこつけて、そんな祐子の事を疎外している拓真との喧嘩。
「拓真君。子供の頃、習わなかった。朝の挨拶、帰りの挨拶、家に帰ったら、なんて言うだっけ…」
キッチンで、どうしていいのか分からないでいる拓真の動きが止まる。
「<ただいま>と違うの。あんたの為に<お帰りなさい>って言ってくれている祐子に対して、無言なの。私の仕事しているから、わかるけどさぁ。つらくて、疲れているのあんただけと、違うんじゃないの。あんたの汚いパンツを洗い、気分良く帰ってきて貰う為に掃除をして、おいしいもの食べてほしいから、料理を作って待っている祐子に対して、無言なの。」
思わず立ち上がり、拓真の方に歩み寄る。今にも、飛びかかりそうな勢い。祐子は、すぐさま立ち上がり、未幸の腕を抱きかかえる。
「あんた、この家のどこに、何があるのかわかってんの。それだけ、祐子にまかせっきりと違うの。家政婦を雇ったら、どのぐらいかかるんだろうね。結婚したら女は家政婦なわけ。」
「未幸、もういいから、やめて…」
未幸は怒涛のように喋る。祐子に対して、拓真の態度に怒りを感じた。高ぶる気持ちを、拓真にぶつける。
「…」
何も言えないでいる拓真。自問自答しているのだろう。高校時代の同級生。我妻の友達である未幸に、罵倒されている。
「拓真、後は私がやるから、座ってて…」
怒りを露わにする未幸を落ち着かせ、椅子に座らせると、キッチンの中に入っていく祐子。
テーブルに座る間、未幸と目を合わせない拓真。それだけ未幸の言動が、胸に突き刺さっていた。未幸と二人で作った料理をテーブルに並べる祐子。とり皿と箸、箸置きを一人一人の前に置き、グラスも用意すると、拓真の隣の席に座った。
「未幸、ありがとうね。代弁してくれて…拓真も未幸も、食べよう、折角、作ったんだから、冷めちゃうわ。」
そんな言葉を口にする祐子は、手を合わせて、箸を持った。すると、<ごめん、祐子>、隣にいる拓真が頭を下げてきた。祐子は、そんな拓真の言葉に驚いている。普段は自分から、頭を下げる事のなかった。
「未幸の言うとおりだ。俺が悪かった。言い訳になるかもしれないけど、お前の前では、強い男でいたと思っている。責任のある仕事を任されて、毎日毎日、そのプレッシャーに押し潰れそうになる。当たり前のようにいるお前が空気のように感じていた。お前の前で、愚痴を言えば、崩れ落ちそうな気がして、ごめんな祐子。俺の為に、家庭を守ってくれているお前の事を、考えようともしていなかった。すまない、許してくれ。」
何やら、空気の流れが変わっていく。
「本当に、そう思っている。本当に、そう思ってくれているの。」
「ああ、本当に、ごめん!」
そんな会話をしている二人の前には、未幸がいる。そして、思い返してみる。高校時代も、こんな感じであった。二人が、喧嘩をすると、いつも未幸が間を立っていた。今、未幸の気持ち、とてもアルコールが飲みたい。素直に二人が、仲良くなる事はうれしい。
「よかったじゃん。祐子。でも、拓真、愚痴を言いやってこそ、夫婦なんだよ。結婚していない私が言うのも、何だけど…」
二人に、そんな言葉を掛ける未幸。周りの空気も変わっていく。三人に笑顔が戻り、二人の見つめ合う回数が増えていく。
「ビール、もらうよ。」
見つめ合う二人を見ていても仕方がないので、立ち上がり、冷蔵庫の前でそんな言葉を口にする。
「ああ、おいしい。」
そして、冷蔵庫の前に座りこみ、天井を見ていた。
そんな事が、数時間前にあった。深夜零時を回り、(金町)の商店街を歩いている未幸。その後は、三人で盛り上がり楽しい時間を過ごしていた。祐子に<泊っていきなさいよ。>と誘われたが、自分の家への帰路を選んだ。帰りの電車の中、未幸はこんな事を考えてしまう。
『なんで、私が独り身で、祐子が結婚しているのだろう。性格的にも容姿的にも、祐子が働く女性だろ。いい大学出て、大手の出版社に総合職で入社した。キャリアウーマンは、祐子の方であろう。私なんか、二流の大学で、就職なんてどこでもよかった。同期入社の奴が寿退社をしていき、残った私が、責任のある仕事を任されているだけ…本当は、逆だったのに…』
そんな事を、ずっと考えていた。
<才色兼備>の祐子に、コンプレックスを持っていた。小学校からの幼馴染。自分に持っていないものを祐子は、全て持っている。そんな祐子に対して、嫉妬もすれば妬みもする。しかし、祐子の為に男にタンカも切れる。祐子の為なら、何でもしてあげたくなる。それが、友人親友というものであろう。
『ああ、私は、何なんでしょうね。』
ため息混じりの言葉を呟く。そんな言葉の中に、祐子に対しての憎悪はない。むしろ、自分への問いかけである。未幸にはない、全てのものを持っている祐子に、嫉妬をしても、妬みを抱いていいのだろう。その先にある<憎悪>にはならない。人徳というものなんだろうか。<助けたい><守りたい>。祐子に劣る未幸が、そんな事を思ってしまうほど、祐子には魅力的だったのだろう。
『私は、いつになったら…』
未幸は恋愛をして来なかったわけではない。幾人かの男性と付き合ってきた。未幸が恋をする男性は、祐子の方に振り向いてきたわけだから、未幸に恋をした男性と付き合ってきたという事になる。未幸から、アプローチするのではなく、男性の方から、アプローチしてくる。そんな男性の中に、<結婚>を考えた人もいた。しかし、その一歩が踏み出せない自分がいた。
『フぅー、ヨッコラショ。疲れた。』
家路の途中、公園のベンチに座る未幸。なんとなく、家に帰りたくない。慰めてくれる男性もいない。<追われる恋愛>よりも、<追う恋愛>に魅力を感じているのかもしれない。
『来年、三十二歳。えっ、厄年、やばい…』
外灯の下での一人会話。
『ああ、最悪。』
そんな言葉を発した後、ふと夜空を見上げた。下町といっても、大都会東京。きれいな星空とはいかない。
『今日は、星が、よく見える。』
今の気分が、瞳にそう映し出しているのか。そう思おうとしているのか。とにかく、未幸には、そんな言葉通りに見えている。
<そうか、祐子が拓真と結婚したんだから…これから、私が好きになる人は、祐子に、目が行く事はないんだ。>
そんな言葉が、未幸の頭に浮かんでくる。あくまでも、<追う恋愛>を求めている。
『駄目もとでも、頑張ってみるか。』
今度は、言葉にする。暗い道の先に、一筋の光が見えてきた。
ツル、ツル、ツルルル…
突然、携帯呼び出し音が聞こえてくる。自分の世界に居た未幸が、慌てて携帯を取り出して、相手を確認する。
「もしもし、祐子。どうしたの。」
電話を掛けてきたのは、祐子であった。
「もう、家に着いた。」
「ううん、まだ、公園のところ…で、どうしたの。」
「うん、ありがとって、言いたくてね。未幸、本当に、ありがとうね。いつも、助けてくれて、感謝している。ホント、未幸はすごいよ。昔から、思っていたの未幸には、敵わないって…」
突然の電話に、想像もしない会話に驚き、照れてしまう。うれしい思いも、込み上げてくる。
「何よ。こんな時間に…」
「言いたかったの。ごめんね。」
「別に、いいけど…。」
「ホントに、感謝しています。それだけ、お休み。」
「うん。」
思わぬ祐子からの電話。さっきまで、沈んでいた顔から、少し笑みがこぼれる。ちょっとしたきっかけで、前を向く事が出来た。未幸自身に気づいていなかった。後ろ向きの自分に…。
『来年は厄年だし、私はゆっくりと探そ。焦らず、ゆっくりと…』
そんな言葉を口にすると、立ち上がる。
『さぁ、行きますか。』
こんな言葉を発して、歩き出す。焦っても仕方がない。今の自分の道を確実に進むだけでいい。そんな事を考えながら、家に向かって歩き出した。
了
私の生きる道 私は、これでいいのだろうか 一本杉省吾 @ipponnsugi
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