私の生きる道 私は、これでいいのだろうか
一本杉省吾
第1話 三十路の女
終電の時間、JR常磐線(金町)駅のホームに、電車が入ってくる。
<金町、金町…>そんな駅内アナウンスが、一人の女性の耳に届いていた。
シュぅー!
電車のドアが閉まる音。三十一になったばかりの女性の姿が、(金町)駅のホームに姿を見せる。
ガっタン・ゴトゥン・ガッタン…!
最終電車がホームを後にする。終電が行ってしまっても、しばらく、その場に立ち止まり、行ってしまう電車を見つめていた。土曜日の深夜。時計の短針が、零時を回っているから、もう日曜日になるか。車両から降りた人は、ホームにはもういない。
「フぅー、行きますか。」
そんな言葉を口にすると、改札に向かって、歩き出した。
葛飾区東水元。この女性の住んでいる街。葛飾といえば、柴又、矢切りの渡しで有名。地図でいえば、柴又の上の方に位置する(金町)駅を、さらに上の方に位置する東水元。柴又ほど有名ではないが、下町という言葉が、とても似合う町。
女性は、改札を抜け、金町の商店街を歩いていた。時間が時間だけに、店など開いていない。自動販売機の耳触りの音だけが、耳に聞こえてくる。
女性の服装から見て、仕事帰りではないようだ。何か、沈んでいる雰囲気が身体を覆っていた。
「何、やってんだろ、私。」
三十一歳になったばかり、そんな言葉を発して立ち止まる。
「なんで、こうなったんだろ。」
続け様に、そんな言葉を口にする。女性の数時間前の姿を見てみたい。三十一歳になったばかりの女性が、こんな時間に寂しい商店街を、歩いている理由が分かると思う。
八月の最後の週末。未幸は、幼馴染の旧姓水元。現在千野祐子の新居に向かっていた。処は、東京都武蔵野、吉祥寺。祐子は、結婚をして三年。新居であるマンションを購入して、最近、吉祥寺に引っ越してきた。
未幸は、最近仕事が忙しかったという事もあり、引っ越しの手伝いが出来なかった。ちょっとした新居祝いを兼ねてのお食事会を開こうと、吉祥寺まで足を運んでいた。
“ピッポン・ピンポン”
十階建て3LDKのマンション、一室のチャイムが鳴っている。ドアの向こうから、ドタバタする足音。
“ガキャ!ガタン”
玄関で出迎えてくれたのは、美人顔の幼馴染の祐子。
「未幸、久しぶり、元気にしてた。」
手料理を作る気満々に、大量の食材の買い出しで、両手が塞がっている未幸に、勢い良く抱きつく祐子。
「祐子、うれしいけど危ないから、とにかく入れて…」
「あっ、ごめん。うれしくて、未幸、入って、入って!」
祐子は、未幸がぶら下げていた一つの買い物袋を持ち、部屋に向かい入れる。新築の十階建てのマンション。未幸の住む下町の家とは違い、真新しさを感じる。
「いい所だね。駅からも近いし…」
「うん、私達も気に入っているの。」
リビング、テーブルの椅子に、買い出し袋をドサッと置くと、早速臨戦態勢に入る。
「あれ、拓真君はどうしたの。」
腕まくりをしながら、そんな言葉を口にする。祐子の夫、琢磨の姿が見えない。何も言葉を返そうとしない祐子は、真新しいシステムキッチンに立ち、黙々と玉葱の皮を剥いていた。
「どうしたの、祐子。」
未幸は、再度、そんな言葉を掛ける。長い付き合いである。何があったのか、それなりに想像はつく。
「あぁ、うん、夕方まで帰ってこない。パチンコでも行ってるんじゃない。」
未幸と祐子は、小中高と同じ学校に通っていた。腐れ縁というのだろうか。気づけば、いつも隣にいた。<才色兼備>そんな言葉が似合う祐子。未幸の方は中の下。どこにもいるような女の子。ちなみに、祐子の夫拓真は、高校時代に付き合っていた彼氏。高校卒業がきっかけに、自然消滅してしまったのであるが、五年前の再会を機に、結婚をする事になる。
ここで、高校時代の話をしておかないと、この三人の関係が分からないと思う。高校二年の出来事。
夏休み前の学校。テスト休みの誰もいなくなった教室。未幸と拓真は、学級委員として学校に来ていた。
「拓真君、もうちょっとで終わるから…」
「そうか。それが、終わったら帰っていいだな。」
拓真は、名前だけの学級委員。仕事は、ほぼ未幸がやっていた。拓真の隣で、黙々と書きものをしている未幸。何か、緊張しているような趣。
「よし、ご苦労様。これで、終わりました。」
未幸は、そんな言葉を口にすると、腕を思い切り天井に向かって伸ばしていた。
「未幸、いつも悪いな。お前にまかせっきりで…」
教室の隅で、何もしていなかった拓真に、そんな言葉を掛けられる。少しずつ、未幸に近寄ってくると、前の椅子に後ろ向きで座って見せる。
「…」
「いつも、お前が段取ってくれるから、甘てしまっているな、俺。」
続け様に、優しい言葉を掛けてくれる拓真に、頭がパニクりながらも冷静を装う。
「でも、拓真君、無理やりやらされたようなものだし、仕方がないよ。」
一年で、前期と後期。二回に分けられた学級委員の仕事。男子生徒が、誰もやりたがらなかったので、先生が無理やり拓真に決められた。
「でも、お前に頼りきりで、ホント感謝しているよ。」
「ありがとう。そんな事を言ってもらえると、うれしい。」
未幸は、思わず本音の部分が言葉になってしまう。密かに、拓真に想いを寄せていた未幸。<初恋>というには重いかもしれないが、異性を、こんなに愛おしく感じたのは初めてである。異性に憧れる事はあったが、想い焦がれる感情になったのは、目の前に居る拓真が初めてであった。
「未幸、ちょっと、話しをしてもいいか。」
拓真の口から、そんな言葉が発せられた瞬間、未幸の胸の鼓動が高まり、顔が紅色に染まっていく。目の前に居る拓真の顔をまともに見られない。
「真面目な話なんだけど…」
心臓が口から出てきそうなぐらい、ドキドキしていた。淡い期待。<告白>という言葉が、頭に浮かんでくる。
『お前、祐子と仲いいよな。彼氏とかいるんかな…』
そんな拓真の言葉に、淡い期待があっという間に、ぶっ飛んでしまう。頭の中が真っ白になり、その後の拓真の言葉は覚えていない。拓真は、熱く何かを語っていた。そして、<祐子との間を取り持ってくれないか>という言葉に、『いいよ。』と答えていた。
未幸の目の前で、激しく飛び跳ね、ガッツボーズを決め、喜んでいる拓真の姿を見ていると、なんでか、喜んでいる自分もいた。
あっという間に終わった自分の恋。ライバルが祐子であるなら、仕方がないと思う自分がいる。幼い頃から、全ての事において敵わない祐子。だからといって、祐子の事が嫌いになれない。祐子とは、不思議な関係であった。
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