第37話 ばーい
シキさんは、オビレをつれてどこかへいってしまった。去り際に「ばーい」と、だけいって、ささやかな高さの舞台から降りるかのように、やる気なくでも、ふしぎとかろやかさもある感じで手をあげてせた。それにラナさんと一緒に、手をあげて返した。
壊れた壁のまえでふたりだけになる。まだ夕方だった、陽は沈んでいない。それでも、まもなく今日は終わる。
「ずっとキミについて考えてたんだ」
無意識のうちにそういっていた。そして、とめられない。
「キミはこの壁のなかで生きてるんだよね」
ラナさんは、少しだけ間をあけた。それから「うん、そうだよ。とっくに知ってるはずだろうに」とやって、苦笑した。
「あのさ、もうすぐ今日が終わるワケでね」さらに、しゃべる。でも、なにもあたまのなかでまとめられてないまましゃべるので、めちゃくちゃだった。「おれは、明日には学校に行くし」
「うん、勉強して、脳をほど好く仕上げるんだぞ、サカナくん」
「でも、学校にはキミがいない。つまり、学校では会えない人ってことになる」
「おっと」ラナさんは乾いた感じで、おどけてみせた。「キミがしかけたこの会話は、どんな着地点を目指しているんだい」
「キケンなところを攻めようとしている。この際だし、思い切って。その、たぶん、自分のなかに………なんだろ、勇気の在庫があるから」
「勇気に在庫、とな」
「わかんないけど」自分でいっておいて、すぐ無責任にかわす。いまからだのなかにある感覚を、うまく言葉にまで落とし込めてない証拠だった。
でも、恥ずかしくはなかった。
というより、いまは恥ずかしさなんで、どうでもよかった。
「この壁は、キミを閉じ込めてる壁なのかな」
予感だけでモノをいっていた。
「それはある」ラナさんは肩をすくめる。「正解を出したね、サカナくん。あるよ。それはあるよ」
「これは、あてはずれだったらゴメンよ」
「なによ、ホケンた感じでなにを言うきさね、サカナくん」
「学校に行きたいって、思ったりする」
「うん、行ってみたいよ」
笑顔でうなずく。迷いも計算もできない、すぐにだった。
「学校てのは、なかなかムズかしいところだっていう話には聞いてる。でも、一度ぐらいわね」
「まあ、この世界に先に生まれた人たちが勝手につくった仕組みだけどね、学校って」
べつに、嫌いでもないのに、なぜかそんな言い方をしていた。
「なーんにも知らないって、のもツラんもんよ」ラナさんは様子を変えなかった。おそらく、まったくこっちに負担をかけないようにしている。「わたしはきたえてるから、なんとかやってけてるけど。でも、たまにはね、ワザとへこたれてみたりする。本気でへこたれたるまえに、小さい爆発で、大きい爆発を防いでる」
「おれに出来ることはあると思うんだ」
「おっと、言い切ったね」ラナさんは、また苦笑した。「無責任にも、言い切りましたね、ひひ」
「キミの親は、ここに帰ってくるんだろ」
「そうだね、そろそろ、その時が近づいている。ねえ、サカナくん、キミはもうここを離れた方がいい。巻き込まれるよ」
「だいじょうぶださ」
なにがだいじょうぶなのか、やっぱり自分でもわからない。ぜんぜん、的外れな受け答えをしている自覚はあった。
「今日みたいなの、この町ではよくあることなんだ」
「ここ、そんな町なんだね」
「ある日、こんな壁に囲まれた小さな町が出来てるような町だ」壁のなかを見回してみせた。「生きてるだけで、だんだん運命に打たれ強くなれる町だよ」
「どういう意味だね」
「じつは、がんばって、正気を保ってるんだ。でも、これは、あきらめてるとはちがうんだ。正気を保とうとしているんだ」
「それはキミの戦いとかなの」
聞き返した感じだったけど、ちょっと自問自答みたいになっている。だから、あえて、なにも答えずにおいた。なんだって、答えようとすればできるけど、やらずにおく。
「ごめん」すると、ラナさんがちいさく謝った。「いまのは、わたしの趣味に走った発言だった」
「いいえ、おかまいなく」
「おや、これはどーも」
あたまをさげ合う演技を持ち寄る。ふたりして緊張していた。
その間に陽が沈んでゆく。その光景にあわせるようにラナさんが「キミと戯言ってると、たのしいよ」と、小さくこぼした。
はっきりと聞こえないことを狙ったように、でも、妙に研ぎ澄まされた身体だった、聞き逃さないように。じつに、うまくつぶやく。
「ラナさん」
「はいよ」
「おれも、ここでキミの親の帰りを待つ」
「一緒の船にのって沈んでくれる覚悟のプレゼント、ありがとう、センキュー」
ラナさんは微笑みながらそういった。
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