第36話 最後に振り返ると

 雨がやむと、空にはうすく夕焼けが現れた。

 陽のひかりにあたって、町の人たちは正気を取り戻したのか、カッパがわりに着ていたゴミ袋をこそこそと脱いでたたんで、ぼそぼぞいいながら、壁のなかの町から去っていった。ふわっとした解散だった。近所に住む、顔なじみのおばあさんは最後に「なんか、むかしの町を思い出したよ」と言い残した。

 むかし町でなにがあったのか。それを定かにしてやる気はなかった。作為的に相手取らずにおいた。

 壁の中から町の人たちがみんないなくなるまで、そう時間がかからなかった。さっきまでの自分から逃げるようにいなくなった。はしゃいだ自身に、いたたまれなくなったのかもしれない。

 ひとびとの撤退した後で、あたらめて壁のなかの町を見る。

 大量の雨がふったところを大人数で入りこんだせいせ、地面は足跡だらけだった。犬っぽい足あともある。誰か、さんぽの途中で参加してたらしい。

 オビレは気を失ったまま、地面に寝かされていた。シキさんがそのそばに立って、見張っている。

 最後に振り返ると、壁の一部が大きく壊れていた。たぶん、大人の象でも通り抜けられるくらい壊れている。

 これが、今日、この町で起こったことである。すべてはコンビニのために。

 心のなかで、そうつぶやいてみたけど、なんの、心のまとめにもならない。

「ラナさん」

 やがて彼女の背中へ、向かい、彼女の名前を呼んだ。

 でもラナさんは反応しなかった。調子にのって奇祭と称して、踏み荒れた町と、確保されたオビレ、そして、壊れた壁を前にして、まんじりともしてない。

 もしかして魂だけが、しゅ、っと肉体から脱出してしまったのか。だとすると、どうしよう、一大事だ。

 やり方は見えてなかったけど、そっと少しだけ近づいて、もう一度「ラナさん」と名前を呼んだ。

 また反応しない。さらに不安になった。

 けど、数秒間をおいて、彼女は振り返った。そこにあるのは平然とした表情だった。まるい大きな目も保たれている。

「ん、どうしたサカナくん」と、やはり、平然とした様子で聞き返された。

 声をかけておきながら、返す言葉に迷って「いや」と、保留するような反応をしてしまう。すると、ラナさんは不思議そうな表情をした後、はんぶんだけ、壊れた壁の方へ顏を向けた。

「壊れた壁」ふと、ラナさんがそういった。さらに「なんだか殴られて、歯が折れた的な壊れ方に見えんよね」と、いった。

 言われて壁を見る。たしかに、壁は折られた歯みたいな感じで壊れていた。

「さっきから考えてたの。もし、あの壁が殴られたんだとして、なら、誰に殴られるのがふさわしい壁だったんだろう、とか」

 言われて、少し考えた。

「死闘でしたなあ」

 そこでそう答えた。

 すると「死闘だったねえ」と、ラナさんもおなじくらいの平熱で応じてきた。

 ふたりして、一部滅びた町を見る。

「ゾンビが来たことにしようと思っている」

 ラナさんが、あえて、い抜き言葉をせずそういったところに作意を感じた。

「いいと思います。ゾンビみたいなものが来たのは事実だもの。ただ、そのゾンビみたいなのをつくりだしたのが、おれたちではありますが」

「けっきょく、一番の恐いのは、人間だもの」

「うん、そのセリフでまとめるのは、まだタイミングが早過ぎです。いいえ、だいたい、これはそのセリフでまとまるものではないと思ってます、おれは」

「サカナくん」

「なんですか、ラナさん」

「壁なんかつくるからさ、問題が起こるだよ。この世界は、人は」

「ラナさん、見た目は通常運行みたいな顏してますけど、じつは、心のなかは、なにかしら、やっかいなゾーンに入ってるんですね。パニックなんですね」

 救い方が難しい。でも、なにか考えてみようとしていたときだった。

 後ろから声がした。 

「自分で歩くか、ひきずられるか」

 振り返ると、シキさんが倒れていたオビレへ告げてるところだった。オビレは目をつぶったまま、動く気配がない。

 かと思うと、突如、目をあけた。それから素早く上着のなかへ手を入れた。でも、シキさんはそこを足で踏んだ。上着から何かを取り出そうとしたところを、阻止したようだった。そして「無駄に失くすだけ」とだけいった。

 すると、オビレは観念したように、上着の内側へ差し込もうとしていた手をゆっくりと取り下げた。

 その、大人のひとが屈する瞬間を間近で見る、なまなましさは、どこか内臓にくるも感じもあった。

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