第35話 科学反応

 ハシゴをつかって壁をのぼり、見張り台の上に立つ。太鼓の音が近づいて来るのも聞こえた。

 雨はやむ気配もなく、勢いが衰える様子もない。このままゆけば大洪水化もありえるのではと思えてくる。雨もふっているし、見通しもよくないため、オビレがどこにいるがわからない

 うっすらと太鼓が音がきこえてくる。すると、シキさんが「あれをきいてると目が覚めてくる」と述べた。

 それはそうとオビレはまだ、この壁のなかの町にいるんだろうか。ここから逃げ出してか、二時間は経っている。そんな考えていると、ラナさんがスマホを取り出して操作しはじめた。傘を片手にして、器用なものだった。

「よし、いるいるいるよー」

「なんだい、どうした」

「やつだよ、サカナくん。この町にはね、ぎょうさん監視カメラが設置してあるの、いつか迫りくるゾンビに備えてね。で、ほら、ヤツめ、ばっちし映ってるよ」

 いって画面を見せてくる。はたして、このスマホは防水加工かな、と、よけいなことを小さく心配しながら画面を見る。すると、どこかの家の軒先の椅子に座り、スマホをいじっているオビレの姿があった。

 まるで、これから巨大な悪戯を仕掛けられる、芸人さんが映っているように見える。なんだかチープ感もあった。

「ここへ、いまからあの祭りがやってくるんだね」

 そういうと、ラナさんは「んだ」とうなずいた。

 そこで「どんな科学反応が起こるのやら」とコメントした。

 するとラナさんが「シキねえさんの言ったとおり、人体実験みたいなものだからね。とつぜん奇祭を与えられた、都会の仕事人の心がどうなるのか」という、聞き手が消化の困る発言をしてきたので、無視してシキさんを見た。

「どうします、続行しますか」

 ここに来て、とりあえず、再確認しておいた。

「どっちでもいい、心の底から」

「じゃあ、続行で。もう止める方が厄介な作業になりそうですし」

 全体的にエネルギーをおさえた会話をしていた。そうしているうちに、太鼓の音が大きくなってくる。スマホの画面のなかではオビレもそれに気づいたらしく、周囲を見回していた。けれど、決してわかるまい。いまから、自身へ、奇祭が迫っていることを。予想すらできまい。もし、出来たら、それはエスパーだった。

 そして、時は刻まれてゆく。太鼓の音はどんどん大きくなって、壁のなかの町へ近づいてくる、雨の勢いも衰えない。

「こんな気持ち、生まれてはじめてだ」と、感想を述べた。「きっと、人生でいらない体験の部類に入るだろうけど」愚弄も添えた。

 でも、なんに対しての愚弄だろうか。そこに、自分の真の姿があるような、ないような。

 余力があるのか、よけいなことを考えている間に、ついに太鼓の音がごく近くまで迫って来てた。スマホのなかのオビレはいよいよ落ち着きがなくなっていた。もし、晴れなら、様子を見に行くため、少しは動いたのかもしれない。ただ、雨だった。どしゃぶりだったせいか、腰が重く、軒先から動こうとはしない。

 その、ものぐさがそれが命取りになるんだろう。

 いよいよ、太鼓の音が町の中まで入って来た。壁に囲われているせいか、雨のなかでもよく響く。

「そろそろだ」と、ラナさんが告げた。「あいつがアレと出会います」

 なぜか敬語だった。彼女も高まっているらしい。

 そして、ついに、オビレの視界のいちまで、町のみんなが数十分で仕上げた奇祭の群れが現れた。

 さあ、では、オビレはどんな反応をするのか。

 オビレはまず、びく、っとした。雨のなかに現れた謎の集団を目にして、びく、っとなった。それから固まっていた。脈絡なく自分の人生に登場してきた謎の祭りに対し、いっしょうけんめいに頭で理解しようとしているのがわかった。

 でも、わかるはずもない。だって、仕掛けたこっちだって、あれがなんなのかわかってない。

 なんでああいうことになったのかも説明できない。再現性はない。もう一度、やれといわれても、たぶん、できない。

 記録の殺し屋であるオビレが、奇祭を行う集団を前にして、つよく戸惑っているのがわかった。なんせ奴らの目的がわからない。仕掛けたこっちも、仕掛けたからといって、具体的なゴールもない。たぶん、人生の無駄遣いだった。

 そして、奇祭をやっている側の町の人たちも、だんだん、わかってきたらしい。我々は、いったい、何をしているんだろうか。その心の声がスマホの画面からも聞こえてくる。

 果たして、わたしたちはこんなことをするために生まれて来たのだろうか。

 ゴールがみえない。とうぜんだった、最初からゴールなんてない。

 オビレの方も戸惑い続けていた。集団で奇祭が攻めて来た。だからといって、何か攻撃されるわけでもない。ただ、近くで、おかしな風体で、雨の中、太鼓を叩いている。

 不幸か否か、雨のせいで、祭りのクオリティの恐るべき低さもすぐにはバレそうになかった。快晴の下であれば、ぽんこつな仕上がりが一瞬でわかる。でも、雨でわからない。

 いま降っている雨は、天の助けにも思えるし、いっぽうで、くだらない作戦に対して、天が怒っているようにも思える。品質の悪いにんげんたちへ、ばつを与えるがごとく。

 そこへシキさんがいう。

「あきてきた」

 はっきりと気を使わず。

「停滞感はあるよね」ラナさんもいう。「はやくも」

 そのときだった。町の人たちのひとりが「かっ」っと、奇声を発した。そして、つぎに「かえれ!」と、シンプルにそう言い放った。とたん、せきを切ったように、みんな叫び出す。「かえれぇ!」「かえれるんだ!」「わー!」と、言い出した。そこへ、太鼓の音も混じる。

 とうぜん、すべては降りしきる雨のなかに行われていた。画面に映るオビレはというと、ひいていた。対処のしかたがまったく思いつけないらしい。こまった奇祭過ぎた。

「かえれ」の合唱はだんだんヒートアップしていった。でも、がんらい、腕力まかせの思想がない町の人たちは、決して直接に手を出そうとはしない。適度な距離をたもって「かえれ!」の言葉をぶつけてゆく。

 戸惑ったオビレは、はんぶん身をひいた感じで、少しずつ後退していった。物理的な攻撃をしてくるようおなわかりやすい敵ならまだしも、わかりにくい攻撃をされて、ただただ、あたふたしだす。

 オビレが町から出てゆくのは時間の問題だった。町の人たちが正気にもどって調子にのったことを後悔しはじめるのも時間の問題だった。どちらが先に崩壊の瞬間を迎えるのか、その勝負になってきた。

 いつの間にか、ラナさんの手からスマホを奪って見入っている。一秒でもはやく、決着がついてほしい。家にかえりたい、雨の打たれ続けているのも、それなりにしんどい。

 そんな心で見守りたくもない勝負の行方を見守る。

 けれど、その勝負を当てにしない人がいた。

「ねえねえ、サカナくん」

 ラナさんだった。「なんだい」と、聞き返すと、ポケットから何かを取り出す。

 見覚えのある物体だった。

 手榴弾だった。

「現場が倦怠期に入ってるし、ここで、こいつを投げて、どかーん、ってやってみようよ」

「発狂したんですか、ラナさん」

「もちろん、ターゲットに直に投げるじゃなくってさ、また壁の外に投げるよ、ほれ、朝やったとき、この壁なら壊れないってわかったし。すごい大きな音をたてて、追い払ってみようよう」

「田畑を荒らす獣を追い払うやり方と同じ考えですね」

「じゃあ、やるね」

 と、ラナさんは同意するまえに、ピンを抜く。スマホの画面のなかでは、あいかわず町の人たちが「かえれ!」「かえってよ!」と叫び続けている。

 これから起こることなど、知る由もなく。

 ピンを抜かれた手榴弾をラナさんは見張り台の上から、外の壁へ向かって、風呂の入浴剤を投入するように放る。手榴弾はそのまま戦場体地面に落ちた。そこには丁度、ひらたい石があって、手榴弾が撥ねるのが見えた。その時点で、シキさんが「あ、本物だ」といった。まるで、道で五百円を拾ったような意外さのレベルだった。とたん、シキさんはすぐに傘を手からはなし、両手で耳を塞いで、目をつぶり、口をあけて、しゃがみこむ。ああ、それ、やった方がいいのか、と思い、とっさに、真似して、耳を手で塞いで、目をつぶって、口をあけて、しゃがみこむ。けど、すぐに思い出し、隣にいたラナさんも同じようにしゃがみ込ませようと手をひいた。

 直後、爆発した。しかも、あきらかに朝より大きな爆発だった。もしかして、朝のやつとは爆弾の種類がちがったのかもしれない。

 雨のせいか、煙はあまりあがっていなかった。それで、すぐに朝より爆発が大きい理由を知った。爆発が大きかったワケじゃない。壁がふっとんでいた。大きな音の原因はそれだった。壁の一部がふっとんで、なくなっていた。あたりの壁の破片らしいガレキも転がっている。

 朝の爆発のダメージと合わせたせいで壁は壊れてしまったのかもしれない。そう思いながら、そっとラナさんを見た。

 まるい大きな目が、かつてないほど、大きく開かれている。傘もどこかへいってしまっていた。

 宇宙生物でも発見しないと、できなような表情だった。無理もない、壊れないと思っていた壁が壊れた。

 すると、ラナさんが叫んだ。きっと、あああああああ、みたな叫びだった。

 そして、見張り台の上から町側へ飛び降りる。雨でぬかるんだ地面に力づよく着地した。あわてて、顏を向けると、ラナさんが町の中へ走ってゆくのが見えた。雨を蹴散らす勢いだった。そのとき、靴の先がなにかを小突いだ。ラナさんが落としたスマホだった。拾ってみると、まだ、ライヴ映像が流れていた。画面のなかに、オビレと、町の人たちが映っている、全員、とうとつな爆発音に、驚き、唖然として固まっていた。太鼓も鳴らす手もとまっている。

 いまちいさなスマホの画面のなかには、素のにんげんしか映っていない。

 髪からしたったたっぷりの水が、スマホ画面にぼたぼた落ちていた。雨でぬれた手で、画面に雨つぶをぬぐう。すぐにまた画面へ水が落ちる。

 するとスマホの画面のなかにラナさんが走って現れた。ダッシュで画面にカットインしてきて、つぎに跳んで、オビレを蹴り飛ばした。

 スマホの画面のなかでオビレは、丸太で一撃されたかのように、吹き飛んで、頭と背中を家の壁にぶつける。

 そして、動かなくなった。

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