第9話 タダ
いったん壁から離れた方がいいと思った。
「一度、距離を置こう」
それでラナさんに向けてそう告げた。すると、ラナさんはじっと見返して来た。
けど、ラナさんは、ふと我に戻ったように「ちょっと歩いて落ちいてから話そう」と提案してきた。
歩いて落ちつこうという発想は、なるほど、そうかと、なかなか新鮮に感じた。それで、シキさんに、どうする、と顏だけで聞くと、まあそれでいいよ、と少し投げやりな表情で返してきた。
それから落ち着いて話せる場所へ移る。といっても、コンビニに戻っただけだった。
ホントは実家がいちばん落ち着く。けれど、ふたりを連れてゆけば、家族に膨大な説明が発生してしまう。さらにうまく説明できる自信もない。わかりやすく、てんやわんやになったあげく、致命的な誤解を生産しかねない。誤解の出荷元になりかねない。
コンビニに戻ると建物の裏へ回った。そこに通りからは見えないが無縁仏がある。れいによって、今日もシナモンロールが備えてあった。店舗裏のスペースにはまえに設置していた古いベンチも置いてあった、さらに同じようにまえは店の軒先に置いてあった灰皿もおいてあり、なまなましいタバコの吸い殻が入っているのを見るに、店員さんが休憩中にタバコでも吸っているらしい。
シキさんはベンチの方をゆずってくれた。さらに、一度の店に入って紙パックの珈琲牛乳をぞれぞれにくれた。ラナさんはすぐにストローを突き刺し、牝の蚊が血を吸うみたいに吸っていた。
食欲があるなら、まあ。
ゆるく、ラナさんの精神状態の確認が出来たところで、あらためてその場所を見る。
店の裏はすぐ山になっていた。ここは店の駐車場からも見えない場所だった。
「ここは店員さん憩いの場所なんですか」
「いいや、油断はできんよ。店員同士で恋愛している場合、だいたいここで別れ話とかもしてる」
シキさんから放たれたその情報は、このタイミングで発表しなくてもよさそうなものだった。
「おとなの世界だ」
そこへラナさんが反応してゆく。でも、その発言は、きっと正解でもない。
「無縁仏のまえで別れ話しをなきゃいけない」シキさんがぼんやした表情を添えていい放つ。「それがコンビニのバイトである」
いま、この人はいったい何を言い切っているのだろうか。それを誰に言い伝えてゆこうとしているのだろうか。
わからず「しょっぱなから話しの方向が狂ってますよね」と教えた。
すると、間があいた。もしかしたら、三人とも一瞬、同時にこの世界で迷子になった気分んじゃないか。そんな感じの間だった。
「じゃー、する? 『記憶の殺し屋』のはなし」
やがて、ふんわりとシキさんがそういった。ただ、ふわりとしてはいたものの、この先を聞いたら戻りはできないとも言いたで、やっかいそうだった。
「きくだけならタダだよね」と、ラナさんがいった。
どの観点からそんな問い返しをしたのかがわからない。さすがラナさんだった。見どころがある。
でも、タダとか、きっと、そういう問題ではない。
「タダではある」
シキさんがかわいた口調でそういった。
やぱり、やっかいが始まる気配がしてしかたがない。それも、スペシャルなやっかいそうだった。でも、もう引き返そうもない。たぶん、この人に発見された時点で、なんかが詰んでいた気配がある。
されど、よもや時間は元に戻らない。
「これは、嘘の話しなんだけどね」
そして、シキさんは平然とそういう言い方で話はじめる。
「冒頭からどう手をつけていいのかわからんのを前置きを持ち出しましたね」
「で、さっきの言った通り、この世界には記憶を殺せる者たちがいる」
「タチが悪いことに無視して話しを続行だもの」と、指摘しておいた。「こんなに至近距離から言ってるのに聞こえないふりしてるもの」
けれど、ついことに流れはシキさんが支配している。屈する様子は砂ひとつぶもない。強固だった。
「むかし、あるところで記憶を消せる技術がつくられた。そして、すぐに相手の記憶を消せる人間だけで兵隊をつくった」
すぐに「嘘の話なんですよね?」と、訊ねた。
シキさんは「うん、嘘だよ」といった。
その上で彼女は話を続行する。
「兵隊は活躍した。すごっくね。野蛮なことに需要がある時代だったから。でも、時代が変わって、兵隊はいらなくなった。いや、いらなくなったっていうより、たくさんはいらなくなった。そういうのがたくさんいるとこわいと思うようになった。だから、あるタイミングで記憶の殺し屋の関係者たちは決めた。この世界に、記憶の殺し屋を、たったひとり残して、他の者の『記憶を殺せる』記憶を消そう」
遠くを見るような目をしながら語る。
すると、ラナさんが「それ、嘘の話しなんだよね?」と、確認した。
「ええ、嘘の話だ」
シキさんは躊躇せず認めてゆく。
やはり、タチが悪いものに巻き込まれているとしか思えない。
「つづけるよ」
一瞬、つづけるよ、という言葉の響きが、にがさないよ、という響きにきこえた。
幻聴もくわわってきて、いよいよだった。けれど、世界をとめられそうにない。
にしても、シキさんはいったい、どういう精神状態なのかは不明だった。そのクオリティの内容の話を、自分の間合いで遠慮なく進めてゆく。
「『記憶の殺し屋』たちは、最後のひとりになるまで生き残り戦をやった。記憶の消し方は、その人の首筋を手で三秒以上触れれば、こちらが望んだカテゴリーの相手の記憶のひとつだけ消せる。カテゴリーっていうのは、たとば、名前、それとか肉親。三秒でひとつだけ消せる。そこらへんは実はおおざっぱだから、かっちり、してないけど。でも、カテゴリーって単位で消せるって説明がいちばんしっくり来る。とうぜん、触れている時間が長ければ相手から長いほど消せるジャンルが増やせる。けど、その戦いでは消すのはひとつに限られた、記憶の殺し屋だった記憶のみ」
そう話され、少し考えた後だった。
「なんか、おれ、天狗みたいに顏が赤くなりそうです」
「あせるな、サカナ少年」シキさんが落ち着かせようとしてきた。
「そうだよ、サカナくん」どういうわけか、ラナさんも落ち着かせにくる。「それに話しの途中で、ちゃちゃ入れちゃダメだわ」
ふつうに注意される。
さらにラナさんは「人の話しのジャマをするにんげんなんて、ゴミだよ、ゴミ」ともいわれる。
それは言い過ぎじゃないか。
しかし、ラナさんのまるい目で見られながら言われると「………はい」と、うなずいてしまった。
基本的には、この人に嫌われたくない。
ラナさんは「それに、調子の乗ってると、焼き魚にされるよ」ともいった。
完全な悪口だった。そして、そういった発言をしているラナさんこそ、調子に乗っている。けど、戯言はいくぶんか精神が回復した証でもありそうだし、言い返すことはせずにおいた。
患者を刺激しない、いっそ、治療だと思うようにしよう、
そこまで心を高めてから、シキさんの話の続きを聞く。
「みんなで記憶を殺し合った。それが『記憶の殺し屋』たちの物語」
ひととき間をあけてから「…………はい」とうなずいておく。
「で、それが、どうしたって顏をしとね。そこの扶養家族の少年」
「あ、やっぱり出てますか、その感じ、この顏に?」
「うん、目とか鼻とかから出てる、その感じ。妖怪オーラのごとくな」
シキさんは綺麗なヒトだったが、中身はストロングスタイルの気配がある。心を正面から組み合えば、粉砕される可能性がありそうだった。
「じゃ、そろそろゴールの話しをしようか」
自由に話す。シキさんの仕切りはめちゃくちゃだった。段取りがゼロだった。
けれど、不思議ときいていられるからタチが悪い。
「この『記憶の殺し屋』の件と、さっき彼女の家にわらわらいたスーツの人々とは強い関係がある」
「あの、いろいろ、ショートカットして聞きますが、もしかして、あれはシキさんが黒幕なんですか」
「まあね」
「おっと、まあねと来たもんだ」
かんたんに認められ、力が抜けた。愉快な気持ちにさえなった。
「ラナさん、どうやらシキさんがきみの家をあんなことにした犯人だそうですよ」
この距離だ。確実にきいてただろうが、わざわざ教えてみる。
「なんと」ラナさんはそういって「ゆるさん、叩き切ってやる」と、いって、飲みかけの珈琲牛乳を地面へ置き、両手を手刀にして構えた。
しかし、そのぴろりとした細い手では、とうてい人体は断絶できまい。
すると、そこへシキさんが「サバゲーって知ってる?」と、また脈絡のないことを問いかけてきた。
「はい、さばげ?」
「サバゲーだよ、サバイバルゲーム」
「え、ああ」そこまで言われると完全にわかる。「聞いたことはあります」
「つまり、サバゲーをやるわけだよ」
「ごめんなさい、なにが、つまり、なのかがさっぱりわかりません」
「いや、それでいいと思う、こっちとしても、君らさっぱりわからないような説明しているから」
「なぜに」
「混乱に乗じてやろうとしているから」
平然とそう言って来る。どこまで本気なのかがはかれない。
「つまり、いま、今日、壁の向こうに集まったスーツの人たちはさっき話した『記憶の殺し屋』の設定でサバゲーをしようとしてるの」
飄々とした口調でそう告げられる。
「記憶を消せる能力を持った者の設定で戦う――――異能力設定サバゲーってところだよ」
異能力設定サバゲー。
そのフレーズに、はっとなった。わかりやすいような、わかりにくいような、どこまでもめんどうなフレーズだった。
もう、どうしよう。けっか、一度、困った。
困りを経て、心を鎮めてから、あらためて「………はー………はあ」と、もやっとした反応を返した。
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