第6話 あの壁の向こうに君の家がある



 店からラナさんの住むあの場所までは徒歩で十分ほどかかる。

 歩いて十分以内にコンビニがあるということは、なかなか優秀な立地ともいえる。けど、その十分間は山道を歩く十分であり、けもの道を行く十分であり、夜は外灯もない。

 世界にはそれぞれの徒歩十分がある。うちの町の徒歩十分はそんな感じの徒歩十分が多い。

 そして、いまラナさんと森のケモノ道をゆく。あたりまえだけど舗装はない、自転車で行くときはいつも気をつけている。でこぼこしているし、雨の日はぬかるんでいる。そんな日に自転車で進むには、Xスポーツ的な運転を要求され、こちらもその気で進む。でも、年に数回は派手にも転んだ。

「きみ、今日はチャンスだよ」

 ラナさんがそういった。

「今日、うちに、午後はわたしだけしかいないの。これは死ぬほど運がいい日なんだよ」

「そうなの」いったん、その情報を受け止めた後で、すこし考えを整えた。「そこそこの交通事故を目撃した日を、運がいい日としていいかの問題はあるけど、なんというか、自転車回収にはおあつらえむきで、なによりだよ」

「だいじょうぶ、自転車は隠してある。親にあの残骸をみられたら、わたしだってアブない」

「やっぱ、残骸になってんだね、おれの自転車」

 半日経っているせいか、妙に落ち着いていた。そもそも、最初からあきらめているところもある。

 しかし、一縷の望みがあってもいいじゃないか。

 まだ乗れる残骸かもしれないじゃないか。

 渇いた楽観主義が機能していた。

 そして、こちらのよわい希望をなど関係なく、ラナさんは軽い足取りで山道を進む。

 彼女とは出会ったばかりで、まだまだ、どんな人間か知るハズもない。けれど、その足取りから機嫌は悪くないと判断して、世間を持ち掛けてみることんした。

「きみはこの町にはいつ頃から住みついたんだい」

「住みついた」ラナさんがひっかかりを口にした。「さながら妖怪みたいな聞き方してきたね、サカナくん」

「おれは昔から住み着いてる。土着の生命体さ。生まれも育ちもここ、ここで泣いたり笑ったりのほとんどをしていた」

 すこし、わざとらしく饒舌に話してしまった。たぶん、緊張のせいだった。

「わたしは先月に引っ越してきた。ついに、あの壁が完成したぞおおー、って理由で」

「あのゾンビの襲撃予防の壁、あの壁の向こうに君の家があるんだよね」

「うん、壁の向こうはちょっとした町になってる。コンビニはないけどね。家はー、十個ある。といっても、どれも小さな家だよ」

 そういうのは、けっこう、かるがるとそれを教えてくれるのか。

 もしかして壁の向こうは、秘密にすべき情報でもないのかもしれない。

「あの壁はどこまで続いているの」

「円形になってる、そうだね、壁のなかは、この町の小学校のグラウンド、まるまる囲えるくらいだと思う」

「なかなか歯ごたえのある規模だ」

「しかしまあ、どうしてまたうちの親たちは、わざわざ、どばどばお金をいっぱいかけて、あんなんの造ったんだ?」ラナさんは、あきれるような口調だった。「うちの親たちってば、あーんな狂った壁つくるのにお金かけるなら、ダイレクトにわたしへお金くれればいいのに」

 やれやれといった感じで、ため息をつく。

「きみんちの家族の設定がよくわかってないから、発言はひかえとこう」

 顏を動かし、葉っぱを避けつつ、山道を進む。

 山の木が天井となって、陽のひかりは、肌身には直にはとどかない。そのせいで、晴れていても、森のなかはしめった土も多い。そのせいで、やっぱり、足もすべりやすい。晴れていてもゆだんはできない、それがこの町のけもの道をゆくということである。

 ひとり頭のなかで、そんなことをとなえた。

 すると、ラナさんが「でも、なんなんだろうね」といった。

 なんなんだろうとは、なんなんだろう。とりあえず、ラナさんのつぎの発言をまった。

「わたしたちの、この出会いと、この状況」

 歩きながら顏を向けていってくる。、彼女のまるい両目は近くで見ても、きれい丸かった。

 どう答えようか考えた。

「突き刺さる偶然って感じだよ」

「なにそれ」

「いま、おれの方は退屈じゃない、ってことだけはいえる」

「それはわたしもそうだね」ラナさんはうなずいた。「見張りは退屈だよ」

「その見張り中に、ノコノコおれが通りかかった。で、最終的には、自転車を吹き飛ばされた、刺激は強いよね」

 今朝のことを思い出す。

 手榴弾で自転車を吹き飛ばされたが、よくよく考えたら、手榴弾は自転車だけではなく、おれ本体も吹き飛ばしていた可能性もあった。

「そういえば、心も身体も木っ端みじんになりかけたんだね、おれ。死んでたら、三面記事に登場してたところだ、おれ」

「ぜんぶ壁のせいだ」ラナさんはそうとだけ言った。「ぜんぶ壁のせいだ」と、二度ほど。

 それを、ごくちかくから、まるい目で見ていう。

 しかたなく「生きてるから、いいけどね」といった。たぶん、いいワケがないが、いいことにしておいた。とにかく、いまをコワしたくない気持ちが勝った。

 そして、そろそろ、壁の近くだった。

「きみの家のひと、今日は全員でかけてるんだよね」

「うん、そう。午後からはわたしはひとりで留守番。あ、これはさっき言ったか」

「留守番か。でも、いま、まさに、そこのコンビニできみに会ったよ、ラナさん。留守番の役目をアレしてるんだね」

 なにげなく、小さな勇気を消費して、はじめて彼女の名前を呼んでみる。

「いや、チョコが切れたから買いに行ってたの。依存症だし、中毒だし。チョコの、あ、でもビターは苦手。大人の味なんか、わたってやるものかぁ、っとな」

「そういう気合を維持して生きるのが大事さ」

 話しているうちに、けもの道の終わりまで来た。

「壁がみえてきた」と、あえていった。

「それが人生だ」と、ラナさんがいった。

 ラナさんと出会った場所に戻る。それは、同時に自転車を手榴弾で吹き飛ばされた場所でもある。

 現場の地面には生々しい爆発の後と、細々とした自転車の部品が散らばっている。

「やっぱり、どう考えても無事じゃないよね、おれの自転車。いかにも車輪を回すために必要そうな部品散らばちゃってるもの」

 そういうラナさんは「希望を捨てたらいかんよ」という、無責任なセリフを放った。

 そんなラナさんは、そのままにして、森を背に壁の方を見る。やはり壁はかなり高い。たてに三メートルはある。横はゆるやかな弧を描いて、えんえんとどこまでも続いてみえる。かたそうだし、あいかわらず、まだまだ新品みたいな壁だった。

「あのさ、これ、どうやってなかに入るんだい」

「あっちに入り口がある」そっち指をさす。それから「あ、ねえ、チョコ食う?」と、きいてきた。

「だってそのチョコは、きみの貴重な食料だろ。留守という役目を果たさないという蛮行を駆使してまで買ってきた代物だ。そんな、責任放棄を意図もしない、悪のラナさんから、もらうなんて、わるいし」

「以後、やさしくしてやるもんか」

 淡々と宣言して返す。

「ごめんよ」すぐに謝った。

 それから、ふたたびラナさんが指で示した先へ目を向けた。壁と森の向こうにあるらしく、ここからでは見えない。

「ホントにあるのかい、入口」

「じつは橋がかかってんだよ」ラナさんは、ややうれしそうにいう。驚かせたい感じも伝わってきた。「川があって、橋を渡った先に、そこにうちの敷地に入れるようになってる」

「城みたいだね」

「どこの城? どこの都道府県の何城なの?」

「うん、具体的な実在の城情報を求めらると、あれかな」まっすぐに目を見て伝える。「もちまえの知性が追い詰めれたも同然さ」

「よし、勝ったぞ」

 果たして、それは手にしてうれしい種類の勝利なんだろうか。気にはなかった、ラナさんを刺激しないようにした。

 代わりにこの先の動きを確認した。

「入口はこの先だよね」

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