キスの相手

 優太は、水木理沙と見つめ合っていた。

 互いに目で求め合うと唇を重ねた。

 理沙の唇が激しく動く。

 優太は薄目で理沙を見た。


 どういうつもりだ?


 スタッフは理沙のキスにあんぐりと口を開けたまま見入った。

 監督はメガホンを振り上げた。


 「優太!理沙に負けてるぞ。もっといけ!」


 優太もプロの俳優だ。

 芝居の戦いとして理沙の唇を激しく求めはじめた。

 数秒のことだっただろうが、優太には数十分に思えた。

 そこで監督の声がかかった。


 「カットォ~!」


 理沙がうっとりした様子で目を唇を離し、いたずらな笑顔を見せた。

 理沙の熱の入ったキスの芝居に優太は思わず聞いた。


 「どうしたの?急に」


 「だって優太くんとのキスシーンだったから気合入っちゃった。でも優太くんが答

 えてくれてよかったぁ。だってあたしだけ本気って役的におかしいじゃん」


 「そうだね…」


 キスの芝居の話など広げてどうする?


 優太はこの会話に後悔を覚えた。

 確かに優太は演技とはいえ理沙のキスに答えた。

 だがじつは頭の中では、理沙でなくあの女刑事のことを想像していた。


 あの如月由美という女刑事とこんなふうにキスできたら…


 監督にけしかけられたとき、そう想像するしかなかった。

 由美に求められ、由美の唇を求めた…そんな妄想だった。

 だがこんなこと口が裂けても理沙には言えないだろう。

 いや、仕事でしてることだから言っても問題はないが。

 監督はモニターで確認すると「OK!」を出した。

 だが、優太の中ではなにもOKになっていない。

 およそハーフの俳優になど興味のない女刑事を想い仕事の演技のキスをする…

 優太の心に虚しさが広がった。

 その日、優太は何時に撮影が終わり何時に家に着いたか覚えてなかった。

 ずっと如月由美の姿が頭の中にちらついていたからだ。

 自分でもなぜなのかわからない。

 なぜあの女刑事の姿がちらつくのか。 


 どうしちまったんだ俺は…。


 気づくとまたあの六本木のアイリッシュバーへ来ていた。

 べつにあのバーに行ったからと言ってあの女刑事がいるわけではない。

 だが優太は、あのバーであの女刑事と出会った場所に身を置きたかった。

 バーに入ると自分達が座っていたあのテーブルには他の客が占領していた。

 優太はカウンターに片腕を置き「ノアゼットをひとつ」と注文した。

 バーテンダーが砂糖とミルクのついた小さなドゥミタスのコーヒーカップを優太に出すと隣の客の方へオーダーを取りにいった。

 なにやらバーテンダーといろいろ話をしているが、優太の耳には会話が入ってこなかった。

 このアイリッシュバーはハーフの優太がいやすい場所のひとつだった。

 たった一晩でその意味が変わってしまったが。


 「シラナイ!」


 バーテンダーが強めに言ったとき、優太はそっちの方へ目をやり目を疑った。


 あっ!


 如月由美がバーテンダーに聞き込みをしていた。

 優太の目がこの日、初めて現実へ意識を向けた瞬間だった。


 あの女刑事…。


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