藤平・マルケス・ヴァルフィエルノ
ロンドンは常に曇り空だ。
雨が降ったかと思ったらすぐにやみ、しばらくしてまた降りだす。
郊外の天気も変わらない。
その郊外にあるマクレガー邸は、英国の伝統的な石造りの屋敷だった。
趣のある古い造りの応接室には、高級なテーブルの上に3杯の紅茶。
そのうちの2杯は飲みかけで1杯は手つかずだった。
その手つかずの紅茶の前には頭を抱え、茫然としたイギリス人が座っている。
豪邸の所有者、マクレガー卿である。
目の下はくまができていて、ひげは伸び放題。
コーヒーをこぼしたセーターをそのまま着ている。
壁には数枚の絵画が立てかけられ、その絵画を一枚ずつ注意深くルーペで細部をたどり鑑定している男がいる。
精悍な顔立ちは日本人離れしていて、50を超えているが胸板が厚く、
鍛えているのがスーツを着ていてもわかる。
男は、藤平・マルケス・ヴァルフィエルノ。
その横で絵の値段を記録しているのが助手の誠次だ。
この男は助手というよりボディーガードに見える。
マルケスが応接室にたどり着くまで玄関から誰にも会わなかった。
豪邸だけに人の気配がまったくないと、空気がなんとなく冷たく感じる。
マルケスはその空気とマクレガーの姿を見て、すでに家族が去っていったことを感じとっていた。
ここまですべてはマルケスの計画したとおりに進んだ。
マルケスと誠次が鑑定から戻ってきて置いてある紅茶に手をつけた。
マクレガー卿は視線を落としたまましっかりした声でマルケスに聞いた。
「So, how much are we talking about?」
(それでいくらになる?)
マルケスは待っていたその質問に答えた。
「I say 70,000 pound」
(そうですね。7万ポンドです(約1000万円))
マクレガー卿はマルケスの方を見て固まった。
「Are you serious? With all of them?」
(本気かね?それすべてで?)
マルケスはわざとらしく残念そうな顔をしてみせた。
「Yes, sir. That’s the price」
(はい。それが値段です)
マクレガー卿は落胆の顔を見せた。
「70,000 pound is truly nothing. It wo’nt change my bloody situation」
(7万ポンドなんて実にはした金だ。なんの足しにもならん)
誠次はマクレガー卿をじっと見つめ、この状況をどう引き起こしたかひそかに思い出していた。
去年の東京都内のホテルの窓からスカイツリーが見える一室でのことだった。
当時、ベッドには様々な会社関係の書類、資料が並べられ、テーブルでラップトップを開いていてランニング姿に髪はボサボサのマルケスが、咥えタバコで画面を睨んでいた。
灰皿はすでに吸い殻でいっぱいだった。
もう一人の若い助手、拳児がマルケスが×印をつけた書類を携帯用のシュレッダーにかけている。
突然、マルケスが画面に食いついた。
画面にはマクレガー社の創始者、マクレガー卿の紹介のページが出ている。
マクレガー卿の笑顔の写真の下には「McGregor Corporation, founder, George McGregor」(マクレガーコーポレーション創始者・ジョージ・マクレガー)とあった。
拳児がその様子を見て「見つかりましたか?」
「見つけた。こいつだ。こいつがアレを持ち続けてるはずだ。フフフフフ、ようやく…ようやく見つけたぞ」
コーヒーを持ってきた誠次にマルケスは言った。
「誠次。マクレガー社の株を買えるだけ買い占めるぞ」
「はい」
「そうすれば、マクレガー社の株価は最低でも5%は上がる」
別の日、料亭の個室でマルケスは、上がり続ける株価チャートをノートパソコンで見ていた。
そしてスマホを取り出しゴーサインをかけた。
「今だ。売れ!マクレガー社の株を全部売れ!」
すると、株価チャートが下がり始める。
マルケスはニヤリとして「計算通りだな」と、言った。
その結果、うなだれているマクレガー卿がマルケスの目の先にいる。
そしてマルケスは悪魔の笑みを浮かべゆっくりとマクレガー卿に近づき囁く。
「Maybe 70,000 pound won’t change your financial situation」
(おそらく7万ポンドではあなたの経済的な事情を変えることはできないでしょう)
「But what about 700,000 pound. It might make a little difference」
(だが70万ポンド(約1億円)だったら多少変えることができるかもしれない)
マクレガー卿はゆっくりと顔を上げた。
マルケスは目を色めかせて言った。
「It’s Vermeer…」
(フェルメール…)
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