〈 iv 〉
太陽は、誰も見捨てなかった。
太陽は、地球上の光を求める生物には、必要な分だけ光を与えた。
地球上のみんなが、太陽のことが好きだった。
私も、太陽のことが、好きだったのだろう。
太陽は、こんな私みたいな、じめついたところで暮らす、根暗なヤツにも優しかった。
私は太陽に、自分のことを分かってもらえるように、たくさん話しかけた。
太陽は、日が昇っているときならいつでも、私の話を真剣に聞いたし、私が質問をすれば、いつもちゃんとした答えを返した。気休め程度の、中途半端な甘い言葉を放つようなヤツではないことを、私は知っている。
私は太陽と共通点を見つけるたび、太陽をより身近に感じて、嬉しかった。でも、私は違う点を探そうと思えば、いくらでも見つかることを、薄々解っていた。
太陽はたまに私に怒った。
怒る理由は、きっと私が太陽に甘えて、自分の考えを押し付けるからだろう。
太陽が怒る様子は少し怖かったが、私がすぐに謝ると、太陽はすぐに許すので、全然気まずくならなかった。
その感覚から、私は、太陽とはまさに「雨降って地固まる」関係だと思っていた。
私は、結局太陽と話しているときが一番安心したし、心の居場所のようなものを感じた。
太陽に自分のことを知ってもらうたびに、精神的に強くなった気がした。
太陽は、私の新しい感覚を開いた。
太陽が、私を目覚めさせた。
私は他の生き物と話すことが苦手なせいで、なかなか他の生き物に心を開くことができなかった。
でも、太陽には私の心の扉を開いてほしかった。
だから、太陽にだけ、特別に私の心の鍵を渡した。
いつかこの鍵を太陽以外の存在に渡すことになったとしても、できるだけその数は少ないほうがいい。
自分でいうのもなんだけど、よほどのことがない限り、この鍵を他の生き物に渡すつもりはない。
でも、太陽には渡した。
しかも、私は自分の寂しさを紛らわせるために、この鍵を渡すことなんか絶対ない。
ひとりでいるのは楽しい。
そのうえで、太陽と一緒にいるのはもっと楽しい。
ただ、それだけだった。
そして、私が鍵を渡したように、太陽の心の扉も開けてほしかった。
いつの間にか、太陽の心が欲しいと思っていた。
でも、私は少し気が付いたことがあった。
それは、太陽の心の扉は、最初に会ったときから既に半分ほどは開いていたということだ。
もしかしたら、私の心の扉も気が付いていないだけで、最初から太陽にだけは半分ほど開いていたかもしれない。
そのことは、私自身でもよく分からない。
とにかく、太陽は私にとって特別な存在だった。
私は初めから恋愛がしたかったわけではない。
できれば、恋愛なんかしたくない。
でも、もう遅かった。
私は、今までずっと太陽のことが好きだったのを誤魔化していたことに、気が付いてしまったのだから。
私の心が開くのには、かなり時間がかかる。
でも、心というものは、頭の思うようにならなくて、むしろその逆を行く。
私自身は、太陽の心を手に入れたいという、心の奥底にある要望を隠しながら話そうと努力した。
言うまでもないが、太陽の心の全てを手にするつもりはない。全てを手に入れることはできないからだ。
でも、私と太陽の様子を端から見れば、きっと私が太陽を口説いて、太陽の全てを手に入れたいと望んでいるようにしか見えなかっただろう。
心の奥底にある願いは、消そうと思って消えるものではない。常に行動ににじみ出てしまう。
私から太陽に近づくのもいい。でも、太陽からも近づいてほしかった。だからたまに、私は太陽に冷たく当たったこともある。少し……太陽になら、これくらい冷たくしてもいいだろう、って甘えているように。
私はわがままだ。直したいとは思う。
また、私が太陽と話している間、太陽に向かって自分が今までにしたことがない表情を作るから、正直自分でも驚いた。
ゲームに勝敗があるとするならば、私は負けてあげる。
私を手に入れるべきゲームの勝者にしか見せない、特別な私の姿を教えたい。
でも、別に私が要らないのなら、無理に追おうとは思わない。
太陽が幸せにしたいと望む存在のところに行って、好きなだけ幸せにしてあげればいい。
太陽は、この世にたった一つしかない、かけがえのない存在だ。でも、私の恋愛相手の代わりならたくさんいる。
その中で、私は太陽を選んだ。
「選ばれし者」の太陽に、私は色々と求めた。
【嘘はつかないで。正直でいる方が、もっと深く深く、あなたに入り込めるから。】
【正直でいて、それで私に隠さないで見せて。少しずつでいい。あなたの……その、汚れている部分までもをね。】
【私の肌に気安く触れないで。なぜなら、そんなことがあったら……私が焼け焦げてしまうから。】
太陽は確かに、私の求めた通りだった。
そして、私はただ強がりたかった。本当は、太陽に心の底から惚れているだけで、しばらくは太陽以外の相手なんか考えられないのに。
だから、私の心は脆くて、太陽の一挙一動によって、すぐに壊れてしまう。
太陽の行動一つで、私の心が大きく揺さぶられる様子は、見ていてさぞかし滑稽だっただろう。
でも、太陽もたまに、私の期待するようなことを言った。それが意図されたものなのか分からなかったけど、私は嬉しかったし、本当に期待通りで、少しムカついた。
私はたまに、太陽が他の生き物と話しているのを見て、強い嫉妬に襲われてしまう。
他の生き物が太陽について話しているのを聞くと、私の中にある独占欲がここぞとばかりに暴れだしてしまう。
別に、太陽は誰も特別扱いしていないことぐらいは分かっている。
太陽との思い出を、他の生き物と比べる必要がないことも知っている。
私は太陽が私にしか見せることのない、私のためだけの表情を知っているはずだからだ。
でも、私は耐えられなかった。
太陽は誰も選ばない。というか、選ぶことができない。太陽は、「皆の太陽」であるから意味があるのであり、誰かを選ぶことになれば、意味が無いのだ。そのことは、太陽自身が一番よく解ってそうだった。
私は太陽の事情を解っているつもりだった。それでも、私は足りなかった。
もっともっと、太陽のことが知りたい。
もっともっと、近づきたい。
もっともっと、感じていたい。
私は自分にできることなら、なんでもしたかった。
そこで、私は少しずつ、日の強く当たるところへ、根を伸ばし、葉を生やした。
もし、太陽の好みを教えてくれるのなら、私は自分ができる範囲で、自分をその通りに変えることもできる。
私が自分を変えることができるように、生き物の心は変わってしまう。
だから、心を手に入れることが、この世で一番難しいと思う。手にしたと思っても、とある一瞬で消えてしまうこともある。心には定まった形が存在せず、常に変化するからだ。
そう思う中で、やはり太陽の心が欲しいと強く思った。
ただ、私は太陽の心を掴むことができなかった。
太陽の考えが、全然読めなかった。
太陽の好みですらも、よく分からなかった。
まあ、当たり前といえば当たり前だ。
だって、太陽と私では、生きている年数が違うからだ。長く生きていて、経験豊かな太陽の方が、私より上手に振舞うに決まっているだろう。
どうせ、私みたいな「あなたと恋に落ちました」みたいなことを言ってくるヤツなんかたくさんいただろう。
私は、太陽と自分の間にある、経験の差が埋められなかった。
その点においては、ゲームの負けを認めているとはいえ、悔しい気持ちが抑えられなかった。
私は、そのもどかしさをエネルギーに変え、次々と新しい葉を生やした。
気が付くと、お墓の広範囲を、私が覆っていた。
そして、ある日、私には、強力な除草剤が撒かれてしまった。私が生えすぎたからだ。
全身の維管束に毒が回る。
根まで、徹底的に枯れていく。
私はもうろうとしながら、太陽に話しかけた。
「助けてよ。苦しいの。」
太陽が落ち着いた声で答える。
「……ごめん。それは、俺ではどうしようもできない。自分で、なんとかして。」
ドクダミは、太陽に訴える。
「私はもう、こうして会えなくなってしまうかもしれないのよ。それは嫌。嫌だ。」
太陽が答える。
「そんなことはない。また会える。」
ドクダミが泣きながら話す。
「約束する?」
太陽がドクダミをじっと見つめて答える。
「分かった。約束する。」
そして、ドクダミは、もう最後になるかもしれないと、一番訊きたくて、一番訊くことができなかった質問を投げつける。声は小さくて、震えが止まらなかった。
「…………ねえ、私のこと、好き?」
そして、変な期待のようなものを乗せた視線を、太陽に送る。
ただひたすら、太陽の方を見つめる。
「友達としてなら。」
太陽は、こう言い放った。
友達として嫌われていないのはよかったけど、私はどこか虚しさを覚えた。
やっぱり私は、太陽の心を手にすることなんかできなかった。
こうなることなんて、初めから分かってたはずだ。
私と太陽の間に、沈黙が流れる。
沈黙が、少しずつ私の心をすり減らしていく。
今まではずっと、どんな沈黙でも心地よかった。
辺りには、私が枯れていく臭いが立ち込める。
それと同時に、毒による苦しみがどんどん強くなっていく。ドクダミは、苦しみから解放されるために、早く死んでしまいたいと思った。
ドクダミは、これでもかと思うほど苦しさを感じた後、もはや苦しすぎて苦しみを感じなくなった。
太陽に伝えきれなかった言葉たちも、苦しみと一緒にどこかへ消えていった。
そして、大きな何かに吸い込まれるように、意識が遠のいていく。
そして、私は目を覚ました。
辺りは暗かった。
ここはどこだろう。
もしかしたら、あの世かもしれない。
ふと、暗闇に一筋の光を放つように、太陽に似た、でも太陽ではない生き物が、姿を現す。
ドクダミは、ここがどこか分からないという不安を無くすために、とりあえず、その生き物に声をかける。
「すみません、……あの、ここは、どこですか……?」
月が答える。
「ここはどこって言われてもね……。なんか、君、死にかかったみたいだけど、まだ生きてるよ。大部分は枯れてしまったようだけどね。で、今は夜。太陽が眠る時間だよ。」
ドクダミは辺りを見渡す。すると、さっきよりは暗さに慣れてきたようで、確かにいつものお墓だった。
ドクダミはここで、夜を知らなかったことに気が付いた。
自分の記憶の残っている範囲では、いつも太陽と共に起きて、太陽と共に眠っていたからだ。
ドクダミは月に訊ねる。
「あなたは、誰ですか……?」
月が答える。
「僕は月。太陽が出てる時間は、おとなしくしてるんだ。僕が光っているのは太陽のおかげだしね。君はなんていうの?」
ドクダミが答える。
「私はドクダミ。……今まで、太陽がいる時間帯に暮らしてきたけど、今はなんとなく会う気にならなくて。……これから、どうしよう。」
月が答える。
「じゃあ、しばらく夜に暮らしたら? 暇なら、僕に言って。話なら、いくらでも聞くから。」
ドクダミは、月の方を見つめて、ゆっくりと頷いた。
ドクダミはこの時、月がなんとなく信頼できそうだと思った。
でも、その感情は、ドクダミが太陽に向けて抱いていたものとは、少し違う気がした。
そして、その日から、私は夜に起きることにした。
太陽とは少し距離を取って、たくさん過去を振り返った。
そして、私はあることに気が付いた。
太陽は、私にとって毒だったのだ。
毒は薬にもなる、というように、きっと少量なら、元気になれるだろう。
でも、毒が薬として働く摂取量でとどめておくことは、かなり難しいだろう。
幸い、今は毒を飲んでいない。それだけでも奇跡だった。
私は、太陽との記憶を何回も忘れようとした。
忘れようとするたびに、太陽との記憶をより深く刻み込んでしまった。
日常のあらゆる風景と言葉が太陽を思い出す引き金となり、私は反射的に笑うときもあったし、泣くこともあった。もはや何もせず、ただ心が鈍い痛みに襲われるのを、周りに気づかれないよう平然を装うこともあった。私のいない世界で幸せそうにしている太陽を想像しては、痛みに身をなじませることもあった。毒であるはずの太陽に本気で会いたくなって、でも会いに行くのが怖くて、どうにもできずに泣いてやり過ごしたこともあった。
私がこんなに苦しんでいるのを知ってほしい。全てを理解しろとは言わないけど、少しでもいいから解ろうとしてほしい。
また、私と太陽の違う点を感じるたびに、どこか裏切られた感が私を襲った。最初から私と太陽が違うことぐらい、解っていたはずだ。
本物の太陽には、しばらく会っていない。
そのはずなのに、私の中にいる太陽が、消えなかった。
私は、私の中にいる太陽をひどく憎んだ。
私から離れないで、と言っておきながら、もう離れたかった。
ねえ、私が殺すから、死んでよ。
私は「死ね」という言葉を、自分以外の存在に軽々しく使うヤツは嫌いだ。
でも、もう「死ね」という言葉の重さを十分に理解したうえで使ってしまうくらい、私の中に太陽がいるのが嫌だった。
しかも、私は分かっていた。
自分の中にいる太陽を殺すには、自分自身が死ぬしかないと。
私の中の太陽は結局、私の一部なのだ。
そんな太陽が私に与える痛みは、すでに本物の太陽より親しくて、飽きるまでずっと私を撫でていく。
ぬるぬる……
ふと、土の中が急に水っぽくなって、ドクダミは夢の中に意識を戻した。
霜柱が溶けてきたのだ。
そして、そのまま霜柱が徐々に消え、地面が温かくなっていく。
ドクダミの冷えきった体が、徐々に感覚を取り戻す。
また、新しい葉っぱを生やすことができそうだ。
空を見上げると、空は気持ちのいいくらい真っ暗で、何もなかった。
ドクダミは、また太陽のことを想う。
私が想っている太陽は、私の中のただのイメージでしかなく、本物ではない。
ところどころ、私の好きなように改造されている。
そんな私の中の太陽が、殺したいほど憎いのに、完全に嫌いになることができなかった。
やっぱり私は、太陽なしでは生きられない。
私が生きるためには、光合成をしなければいけないからだ。
でも、日光が強すぎる場所では、暮らせなかった。
太陽は私の毒。そして薬。
私が精神的に追い詰まったときは、いつも太陽の言葉を思い出した。そして、私は太陽の呼び名を口にするのだった。
こうすると、私は落ち着いて、気合が入るからだ。
でも正直に言うと、これをやめるべきなのかどうか分からなかった。
私の中にいる太陽は、消えない。
私達は、結局しばらくの間全ての瞬間を共にすることになるんだろう。
太陽は、私の新しい感覚を開いた。
でも、私はまた、それ以上に変化する。
だって、私はまだ生きているのだから。
空を見上げると、東の方が少し明るくなっていた。
もうすぐ、朝が来るのだろう。
ドクダミは夜明けの光を吸収し、焼け焦げた傷跡から、赤く小さな、新しい葉を生やす。
葉は爽やかな風を感じて、とても気持ちがよかった。
そして、ドクダミは赤い葉をさらに大きく成長させ、他の部分からも葉を増やしていく。
私は炎を放てるだろうか。
太陽が私に与えた炎より、もっと熱く、激しく燃える炎を。
復讐ではなく、太陽との記憶を昇華させるような炎を。
太陽への未練を残したまま、不完全燃焼する新しい恋の炎ではなく、未練が消えるまで、ひとりを選ぶことでしか燃えることのできない炎を。
空の色がさらに明るくなり、地平線が黄色く染まっていく。
ドクダミはその様子を眺めていると、ふと、どこか白くぼやけている記憶を思い出す。
「ねえ、じゃあ将来、私が何をしていても太陽は『うん、いいね』って言う?」
「ん――、何をするかによるけど、俺が損をするようなことと、水商売みたいなことじゃなければ、分かんないけど多分、『いいね』って言うんじゃない?……やる内容によるかな。」
私は、私の中の太陽に向かって微笑む。
今の私は、太陽が好きというよりは、この心地いい感覚が好きなだけなのかもしれない。
そして、ドクダミは地平線の辺りをもう一度見ると、黄色がさらに濃くなっているような気がした。
太陽は、私のことを忘れているかもしれない。
それでもいい。
太陽が私を忘れているのと同じように、私も時間はかかるけど、少しずつ太陽との記憶を忘れることができるはずだから。
私が今胸に抱いているのは、太陽自身ではなく、自分を特別に扱ってくれたときの、あの心地良い感覚だと気が付いたのだから。
もう、この白い追憶を止めて。
太陽が、地平線から顔を出そうとする。
ドクダミは丁度そのときに、ここは夢の中だ、だから夢から醒めよう、と思った。
そこで、ドクダミは目を覚ました。
如意が私に会いに来た理由は、この夢を見させるためだったのかもしれない、と一瞬思った。
ドクダミの咲く頃に ドクダミ @dokudami_s
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