〈 iii 〉
ドクダミはどうしようもなくなった。
ただ、心が沈んで、目の前にあるのは闇だけだった。
病んだときは、ただ時間が過ぎるのを待つか、何か、自分の好きなものを見るしか、立ち直る方法はない。
助けてほしいと思うときほど、助けは来ない。
いつものことだった。
もう慣れた。
ドクダミは、他の生き物と、少し距離を取ることを選んだ結果を見せられているだけだった。
ずっと誰かといると疲れる。
ひとりでいるのは楽しい。
でも、完全に、誰もいなくなってしまうのは嫌だった。
友達は少しいれば十分だ。
友達の存在は有難い。
でも、心が病んだときに、友達に心の病みを披露するのもどうなのかと思った。
この世には、私の全てを理解してくれる生き物なんかいないのだから。
そもそも、自分自身が、自分の全てを理解することもできない。
少しでも、ほんの少しでもいいから、理解してくれれば十分だ。
ひとりになることを選ばないといけないこともある。
ひとりになっているときしか分からないこともある。
私はよく知ってる。よく解っているはずなのに……
どうして、自分以外の場所から出てくる、温もりのようなものを求めるのだろうか。私は寂しいのだろうか。
それらの問いには、答えたくなんかない。
ただ、生きてるのが、もうしんどかった。
でも、死ぬのも嫌だった。
私は結局、いつまでたっても完全に生きることも、死ぬこともできない、ただの死にたがりでしかなかった。
そもそも完全なんてものは存在しない……
せめて、目の前にあることだけは、何とかしなければいけないんだろうと、そうなんだろうと、思いたくもないけど、心の奥底では、確かにそう思った。
でも、ドクダミは、何もする気にならなくて、しばらく地面を見つめていた。
ふと、実際には聞こえないはずの、月の声が聞こえる。
(生きている間に起こる、印象深い出来事にはね、明るい感情と暗い感情の、両方を感じることになるから。ちゃんと受け止めて、最善だと思ったことをするしかない。結局、どの道を選んでも、多少の後悔は残るしね。)
改めて、確かにそうだ、と思う。
そして、ドクダミは、今は見ることのできない、月の方を見上げる。
いつもお疲れ様。毎晩、私のどうでもいい話を聞いてくれてありがとう。今夜は、どうかゆっくり休んでね……
そう思いながら、ドクダミは少し笑って、空をじっと見つめた。
空は気持ちのいいくらい真っ暗で、何もなかった。
ひゅ――――――。
どこからか、生暖かい風が吹く。
ドクダミは、やけに胸騒ぎがする。
この感覚は、初めてではない、と体中の細胞が叫ぶ。
「如意……?」
ドクダミは少し声を出す。
ドクダミは、辺りを見渡す。
すると、そこには、一匹の蝶のようなものが、幽かな光を帯び、ふわふわと舞っている姿があった。
「久しぶり。……ドクダミさん。」
如意の姿は違ったが、声はそのままだった。
ドクダミが如意に訊ねる。
「久しぶり。如意でしょ? ……元気にしてた?」
如意が少し笑って答える。
「私はこの世にこうやって、生まれ変わったの。……へへ。会いたかった人には、もう会ってきたの。……人間は、私のことを『蛾』と呼ぶらしいんだけどね……。どう? いい感じ?」
ドクダミは答える。
「いい感じ。うん。……美しい。とても可愛い。」
ドクダミは、「可愛い」という言葉の音の響きが、太陽の呼び名に似ていたので、太陽のことを思い出して、少し切なくなる。
でも、その様子を如意に悟られないようにする。
何も気が付いていない如意は、ドクダミの言葉を聞いて、嬉しそうに空を舞う。
「よかった。うん。……たまにさあ、私を見た人間が、めっちゃビビってるんだよね。……あんまりにも声を出すから、逆にこっちがびっくりしちゃうくらいよ。」
ドクダミが答える。
「なるほどね……。私も、人間にあまりよく思われてないから、なんか共感できるんだよね。うん。私が生えすぎて、迷惑なら、社会と共存できるように、調節してくれるのはいいけどさ。なんだろう。ん――、私も悪いところばっかりではないというか……。一応私って、日本の三大民間薬で。私の葉とか茎を乾燥させたものは、解毒と解熱、動脈硬化予防、胃腸病の改善とか、色んなのに効くの。で、薬効が多いから、私のことを十薬って呼んでる人もいるらしいの。お茶にしたり、塗り薬にしたりすれば、割と簡単に使えるっぽい。……他の生き物に自分の自慢するの、あんまり好きじゃないんだけど、……まあ、事実ってことで。」
如意が答える。
「すごい! ドクダミさんにこんな薬効があるだなんて知らなかった!」
ドクダミが答える。
「実を言うとね、私自身も、自分の何がいいのか分からなかったの。どっかの誰かさんが教えてくれて、ちょっと自分に自信が持てた、というかね。やっぱり、自分が周りからどう思われているかなんて、自分では分からないから。」
如意が舞うのを少し止めて、答える。
「なるほどね。向上心は大事だけど、こんな自分でもまあいい感じだろう、ってある程度は思ってないと、自分に自信って持てないよね。まあ、自分に自信持つとか正直難しいけどさ。」
ドクダミが答える。
「分かる。自分のことを信じて、みたいなことを誰かさんに言われたこととかあるけど、どうすればいいの? って感じよ。」
如意が答える。
「分かる。そうだよね。……あ。そういえば、月さんは?今日はいないの?」
ドクダミが答える。
「うん。今日は新月だし、ひとりになりたい気分なんだって。」
如意が答える。
「そっか。じゃあ、また月さんがいるときに、会いに行こうかな。」
ドクダミが答える。
「そうするのが、よさそうね。」
ドクダミと如意は、一緒に笑いながら空を見上げた。
月のいない空は、何もない漆黒が広がっていて、ドクダミは、これはこれで綺麗なんじゃないか、と思うようになった。
ふと、如意がドクダミの花を見つめる。
「あ。そういえば、ドクダミさんに花が咲いてる。……やっぱり、いつも想像していた分だけ、とってもきれい。白くて、清楚な感じ。」
ドクダミが答える。
「ありがとう。でも、実はね、この白い部分は花じゃなくて、総苞って呼ばれる部分なの。花はこの小さくて黄色いものよ。たくさんあるでしょ?」
如意が驚いたように話す。
「そうなんだ! 知らなかった……。でも、とっても可愛い。」
ドクダミが話す。
「実は、昨日まではもっとたくさん花があったのに、人間が私を抜いたせいで、少なくなっちゃったの。……如意には、もっとたくさんの花を見てほしかったのに……」
ドクダミは、残念そうな表情をした。
如意がドクダミを励ます。
「大丈夫。気にしないで。今のままで、十分美しいから。それに、また来るしね。」
ドクダミが答える。
「じゃあ、次に来るときには、花をたくさん咲かせて、もっと奇麗な私になっておくね。……自分の一部が無くなるような、痛い思いをしたときはね、その痛みが、自分を成長させる原動力になるから。」
如意が答える。
「うん、そうだよね。痛みを感じない限り、分からないこともあるよね。……じゃあ、楽しみにしてる。」
如意は楽しそうに、ドクダミの周りを舞う。
しばらく経つと、ふと、如意がドクダミの匂いを嗅ぎ始める。
如意がささやく。
「いい匂い。苦くて苦くて、でも、甘い。」
ドクダミは、如意の様子が少し変わったのをちょっと不思議に感じる。
如意は、もう少し匂いを嗅ぎたいように、ドクダミの花に近づく。
そして、大きく羽を広げて、閉じた。
ドクダミは、如意の羽の動きが作り出す、微かな風を感じる。
そして、如意はまた羽を大きく広げ、ドクダミに話しかける。
「ねえ、花の蜜を吸ってもいい? 私に、味わわせてよ。――ドクダミを。」
ドクダミは反射的に、わずかに頷く。
如意がストロー状の口を伸ばす。
一瞬、辺りの空気が張り詰める。
如意の口がドクダミの下の方にある、小さな花に触れる。
そして、如意がドクダミの花の中に入っていく。
如意の口は柔らかくて、繊細な感じがした。
ふと、ドクダミは、体中に電気的刺激のようなものを感じる。
体が少し痙攣したように、ぴくぴくと動く。
如意はだいだい一秒ほどで、下から上の方へと、次々に蜜を吸う花を変えていく。
そして、ドクダミは、如意の口の動きを花の中で感じると、同時に根毛から根、茎、葉脈の隅々まで、電流のようなものが走っていくのを感じた。
気が付くと、土の中の水を根毛から吸い込み、根の道官、茎の道官、葉の道官へと水は昇っていく。
葉脈の先端まで、水で満たされていく。
ふと、空を見上げると、真っ黒で何もなかったはずの空に、無数の星が輝いているのが見えた。
星の光に反応して、本能のままに気孔を開く。
そして、葉脈の隅々までいきわたった水分を蒸発させて、外へ出す。
ドクダミの周りが、前よりも湿ってくる。
すると、如意は口をドクダミの中から抜いて、ドクダミに笑いかける。
そして、ドクダミに話しかける。
「おいしい。……ねえ、好きだよ。ドクダミ。」
ドクダミも如意に笑いかける。
「好き。私も。……うれしい。うれしいの。ねえ…………、もっと。」
如意は軽く頷き、ドクダミの花へ口を近づける。
ドクダミは、如意の口が、花に微かに触れたような瞬間に、強い脱力感と深い眠気を感じた。
もっと、心の奥深くへと旅立つように、意識が遠のいていく。
…… …… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… ……
…… …… …… …… …… …… ……
ドクダミは目を覚ました。
場所は、さっきの夢の中だった。辺りは先程と同じように、とても暗くて、静かで、焼け焦げたドクダミ以外何もなかった。
ドクダミの地上の部分は黒く焦げていて、もろく、少し風が吹いただけでも吹き飛ばされてしまう。
しばらくの間、冷たい風が吹く。
土の中には霜柱ができ、ドクダミの地下茎を覆うように、少しずつ広がっていく。
ドクダミは、霜柱の凍てつくような冷たさで、体の感覚を失っていく。
このまま、随分と時間が過ぎた気がする。
ドクダミの地上部分は吹き飛ばされ、ほぼ無くなっていた。
太陽はもう、ドクダミの側にいないはずなのに、ドクダミはずっと太陽のことを考えていた。
この夢に出てきた太陽は本物だろうか。
本物ならいいのに、と思った。
そして、もう遠い過去となった現実の太陽との記憶を振り返ることを、ドクダミは止められなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます