〈 ii 〉
ドクダミは夢を見た。
夢の中では、水彩絵の具で描いたような、水色をした空のちょうど真ん中に、太陽がぽっかり浮かんでいた。そして、なぜか、太陽とキャッチボールをしていた。場所は、よく分からなかったが、何も日陰になるものがないのに、地面が少しじめついているのが、なんだか不自然なように感じた。
太陽がボールを投げる。
太陽の声を聞くことはできなかったが、なんだかボールを受け取ってほしいような表情で笑っていた。
ボールが少しずつ近づいてくる。
ボールの形が、空を飛んでいる間に少しずつ変形していく。
ドクダミは、ボールの落下しそうな位置に合わせて、少しずつ地下茎を伸ばし、葉っぱを増やしていく。
ボールに葉っぱが届きそうになったとき、もう一度ボールをよく見てみると、それは太陽が投げたものとはまったく違うものなのかと思うくらい、形が変わっていた。
葉っぱでボールを受け取る。
ボールは、まあまあの勢いで飛んでいるはずなのに、なぜか受け取ったときの衝撃はなく、葉っぱに当たっても痛くなかった。やはり、ここが夢の中だからだろうか。
ボールはほわほわ光っていて、ほのかに温かくて、外で干したばかりの、布団のような香りがした。
なんだか、ほっとする感じだ。
ボールを投げ返す。
少し緊張して、変に力みそうになる。
ボールの軌道は、少しおかしいかもしれない。
太陽が微笑む。
ボールの形が変わっていく。
太陽が、ボールを受け取れる位置に、少し駆け足で移動する。
ドクダミは、ボールの投げ方が悪かったかもしれない、と心配になる。
なんとか、ボールを受け取れたようだ。
ドクダミは、少し安心する。
太陽が微笑む。
ボールが返ってくる。
太陽の放つ、ボールの軌道は綺麗だった。
まっすぐ、ドクダミのいる場所へ飛んでくる。
そして、またボールを受け取る。
太陽が微笑む。
なんとなく、ドクダミも微笑み返しておく。
返ってきたボールは、なんだかさっきのよりも、温かさが増し、強く光っているように感じる。
これは気のせいかもしれない。
まあなんでもいい。
そして、ドクダミは、今度は前よりも上手く飛ばせますように、と少し念を込めながら、ボールを投げる。
さっきよりはマシかもしれない。
少し嬉しい。
太陽が微笑む。
ドクダミも微笑む。
そして、すっと、太陽がボールをキャッチする。
その後も、何回かボールを投げ合った。
太陽とのキャッチボールは、とても楽しかった。
楽しみながら、たくさん光合成をして、たくさん養分を作った。
その養分で、また新しいドクダミを生やした。
また、ドクダミは温かいボールに触れるごとに、まるで温かい太陽の心にも触れているような気がした。
なので、ドクダミは毎回、ボールの感触をしっかりと体に刻み込んだ。同時に、太陽にも同じように自分のことを記憶してほしい、と思った。
途中、変に緊張して、変な方向に飛んでいくことが何回かあったが、それでもなんとかキャッチボールは続いていた。
自分のボールが変になったとき、ドクダミは毎回笑っていた。
太陽は笑っているときもあったし、笑っていないときもあった。
でも、なぜか毎回受け止めた。
さらに、ドクダミのことを馬鹿にすることもなかった。
太陽のボールが変になったとき、ドクダミは、太陽に少し隠れるようにして笑った。
なんとなく、笑うのは失礼な気がしたからだ。
笑いを抑えながら、根をボールの場所へと生やし、葉っぱを伸ばして、なんとかボールを取った。
太陽は、そんなとき、笑うこともあったし、笑わないこともあった。笑っているドクダミに気が付いているかどうかは、分からなかった。
全体的に考えると、多分太陽の方がボールを投げるのが上手なのではないのかな、とドクダミは思った。
たまに、太陽が、わざとボールを変な位置に投げるので、ドクダミは少々無理をしながらも、なんとかボールの位置まで体を生やして、ボールを取った。根が、少し土と擦れる音がした。
不思議なことに、太陽がわざとボールを変な方向に投げたのか、わざとではなく、単純にミスっただけで、変な方向に飛んでしまったのか、ドクダミには見分けがついた。
太陽がわざと変に投げると、ドクダミは少し腹がたったが、怒りよりも楽しさの方が大きかったので、笑っていた。
腹が立つことさえも、少し面白かった。
気が付くと、ドクダミが生えている土地は、かなり広くなっていたが、ドクダミは特に気にしていなかった。
大丈夫。まだ私は元気なのだから。
そして、ドクダミは、またボールをもらった。
なぜか、今回はいつもより強いボールを投げてみようと思った。太陽の心に深く入り込むようにしたかった。ドクダミはいつもより勢いをつけて、ボールを投げた。
想像したよりも勢いよく、ボールが太陽に向かって飛んでいく。
許可したわけでもないのに、葉脈が少し引き締まる。
ボールを投げたところの、葉っぱの震えが止まらない。
太陽も、いつもより勢いよくボールを返す。
太陽が微笑む。
ドクダミは笑わないで、太陽の方をじっと見つめる。
太陽以外のものへの興味は、いつの間にか無くなっていた。
震えた葉っぱの部分が寒くなってくる。
さっきまではこんなんじゃなかったはずだ。
今生えているドクダミの半分ほどが震えながらも、ボールを拾う。
返ってきたボールは、今までよりも一段と温かかった。
でも、まだ触れない温度ではない。
汗のような、生ぬるい水蒸気が、ドクダミの葉の気孔から出てくる。
ボールが少し水っぽくなる。
ドクダミは、少しボールが滑るのが気になったが、ボールを太陽に向かって投げた。
ボールは、勢いよく、変な方向へ飛んで行った。
太陽は、一瞬ボールを無視するような素振りを見せ、それから、何も思っていないようにボールを拾った。
太陽は、わざと弱くボールを返す。
返ってくるのが遅いな、とドクダミは思う。
ドクダミは、ボールから太陽の方に視線を動かすと、さっきまで空の真ん中あたりにあったはずの太陽が、だんだんと下の方にきていることに気がついた。しかし、まだ太陽は最初に見たときと、同じように光っている。空の色も、特に変わっていなかった。
ちょうど、ドクダミと太陽の間くらいにボールが来たとき、ボールがいきなり加速した。
ボールがどんどん加速する。
ドクダミは、少しボールが怖い、とも思った。
一瞬目をつぶる。
でも、私はまだ、強がっていたい。
太陽が放つなら、どんなボールでも、受け止めたい。
このキャッチボールを、やめる気なんかない。
ドクダミは、ボールをじっと見つめる。
そして、恐怖のせいで、少し対応が遅れた気もするが、ボールは葉っぱのあちらこちらを転がり、しばらくするとドクダミの葉っぱの上に止まった。
ドクダミは全身が震えた。地下茎がキュルキュル、と音を立てる。
ボールは少し冷めていて、濁った液体が付いていた。少し冷めているように感じるのは、さっきのボールが特別に温かかっただけかもしれない。
そして、さっきボールが転がっていったところの葉っぱは、泥のようなものが付いていた。
それでも、ドクダミはなんとか、ボールを太陽に返した。
ドクダミの投げたボールは弱弱しかったが、途中で色がどんどん酷く、濃くなっていった。
太陽がゆっくりと近づくボールに合わせ、余裕がありそうな感じで移動し、ドクダミにボールを返す。
太陽の投げたボールは、まっすぐ勢いよくドクダミに飛んでいるかと思ったら、ドクダミがもう少しで葉っぱが届きそうなくらいのところで、急に動きがゆっくりになって、変な方向へ飛んで行った。
ドクダミは震えながらも、ボールが飛んで行った方へ地下茎を伸ばし、新しいドクダミを生やす。
なんとかボールを受け止められた。
葉っぱが、さっきよりも酷い色に染まる。
泥が葉っぱに絡み、ぬめりを感じながらも無我夢中で、何も考えずにボールを返す。
ボールからは、ツンとする、あまり吸うと体によくなさそうな臭いがした。
そして、ボールを投げ終えた後に、太陽の光が強くあたりすぎるところに根を生やしたことに気が付いた。
今までの地面は湿っており、急に熱い地面になったことの温度差に体がびっくりする。
そして、師管の中が空っぽになって、悲鳴を上げる。
それと同時に、日の強いところに生えた葉っぱが、紫色に染まっていく。
私は太陽の光が強すぎるところでは生きられない。じめじめとした、暗い場所で生きる定めになっているのだ。でも、かといって、全く太陽の光のないところでは生きられない。
本当は、強い日光のもとで生きられる他の生き物が、少し羨ましい。
ボールはかなりの勢いで太陽の方に飛んでいき、それを捕まえた太陽が少しよろけた。
ドクダミは、太陽が弱い姿をさらしているところを初めて見た。
太陽の位置がだんだんと下がっていく。
太陽の表情は分からない。
ドクダミは不安でいっぱいになる。
私が太陽を傷つけたかもしれない。
私はやりすぎたかもしれない。
しかし、太陽の返すボールは、そのことを悟られたくないかのように、まっすぐドクダミの方へ飛んできた。
ドクダミがボールを捕まえると、汚い色のしぶきが飛び散ると同時に、ひびのようなものが入る音がした。
ボールを掴んだ拍子に、さらに多くの葉っぱが紫色に染まり、そのまま茶色くなって枯れてしまうものもあった。
枯れた部分はひどく乾いていて、今にも綺麗な水をたくさん吸いたいくらいだった。
ボールはさっきよりも大きく、重くなっているように感じた。さらに、ボールを見ると、割れ目からまぶしい光のようなものが見えていた。光はまっすぐで、強かったが、私はその光を取り込みたかった。太陽が投げたものだからだ。私のエネルギー源の太陽。ひかり。ひかり。光合成をすれば、栄養を作り出せる。強すぎるのは無理。生きてられない。でもほしい。ほしい。もっとほしい。
しかし、ボールの重さに耐えきれず、ドクダミはボールを太陽に投げる。
ボールは、異臭のする泥をまき散らしながら、何か迷っているかのように、ときどき不規則な動きをして、太陽の方に向かっていく。ボールの割れ目から漏れた光が、太陽の光の中へ吸い込まれていく。
ドクダミの地上に出ている部分は、ほとんど臭いぬめりのある泥のようなものに覆われてしまった。ここから、一刻も早く逃げたいのに、逃げられなかった。
ほぼ全ての葉っぱが紫色に染まっていく。
栄養が足りない。栄養が欲しい。
もっと光合成をして、栄養を作りたいのに、泥のせいで日光が十分に当たらない。師管の中はもう、からからだった。
太陽を心配している場合じゃない。
そんな気がした。
いつの間にか、太陽がボールを返していたようだったので、ドクダミは紫色の葉っぱで、ボールを掴んだ。
ボールからはガラスが割れるような音がして、光を出す割れ目がさらに大きくなっていった。まぶしい。まぶしい。反射的に目がくらんだ。
そして、目がくらんだときに、思わずボールを投げていたらしく、気が付いたときにはボールを持っていなかった。
太陽は、特に何も言わずにボールを受け取り、優しくボールを投げる。
太陽の見せる変な優しさに、ドクダミは少し腹が立った。一方で、こんなに怒る必要はない、と思う自分もいた。
返ってきたボールには泥のようなものはほぼ付いておらず、強く、とてもまぶしく光っていた。その光は、太陽本体よりも強かった。
ドクダミは拒否することもできず、ただボールを受け取る。頭ではもう、やめたいと思っているのに、体が勝手に動く。まぶしい。ひかり。ひかり。ひかり。光合成。栄養。栄養。
あつい。
気が付いたときには、ドクダミの地上に生えている全ての部分が燃えていた。
どうやら、先程光だと思っていたものは、火だったようだ。
気が付かなかった。
私は、自分の体が燃えているショックで、体を動かすことができなくなった。
ボールが返せない。
そして、ボールは炎と化し、いつの間にか跡形もなく消えていた。
太陽の方を見ると、地平線から半分ほど顔を出していた。
空が濃いオレンジに染まっていく。
私の地上に出ている部分は、焼け焦げてからからになっていた。
私が、焦げている臭いが辺りに立ち込める。
辺り一帯が焼け野原となっていく。
なんでもいいから水が欲しい、と強く思った。
でも、体の渇きはますます強くなっていく。
私は何もできずに、燃える体で、ただ、太陽が沈んでいくのを見つめていた。
腹が立った。
泣きたいのに、乾いているせいで、涙すら出てこなかった。
今持っている全ての力をなんとか振り絞って、しわがれた声を出す。
「ねえ、太陽! 何か……言ったらどう?」
ドクダミは、少し声を出すだけでも、激しく体力を消耗した。意識がもうろうとしてくる。でも、体の炎は消える気配がしなかった。
一方、太陽は無表情のまま、何も答えない。
そして、何も気にならないように、そのまま地平線の下へ沈んでいく。同時に、空のオレンジ色がさらに深く、濃くなっていく。夕焼けの光が、ドクダミの炎を明るく照らす。
ドクダミは夕焼けの光に照らされたことによって、想像をはるかに超える勢いで、さらに強く燃え上がっていく。
初めからこんな風になるつもりじゃなかった。
その言葉は言い訳かもしれないけど、確かに事実だった。
あともう少しで太陽が沈みきるときに、ドクダミはもう一回、なんとか声を出した。
「私から離れないで。ねえ、お願い。……私のことを覚えていて。忘れないで。ねえってば‼ ……返事してよ……お願い……」
太陽は何も言わない。
そして、太陽が完全に沈んだ。
太陽が沈んでからも、しばらく太陽の沈んだ方の空には夕暮れの光が残っていた。
どうしてこんなことになったんだろうか。
一瞬、そんな思いが頭の中をよぎった。
ふと、ひとつ、ふたつと、水滴が落ちてくる。
水。水だ。
ドクダミは少し嬉しくなった。
しかし、水は、ドクダミの炎によって、すぐに蒸発してしまう。
ドクダミは、その様子を感じると、嬉しくなった分哀しくなって、気分が落ち込んだ。
ドクダミは、もう何も考えられなくなっていた。
気が付くと、水滴は土砂降りの雨に変わり、ごうごうと音を立てていた。夜になり、辺りは真っ暗で、空は分厚い雨雲に覆われていた。
そして、ドクダミの炎が消える。
ドクダミの地上の部分は、ぼろっぼろで、水が染み込んできて痛かった。地下茎の部分は、燃えたところもあったし、かろうじて生き残っている部分もあった。
ドクダミは、体が芯から冷めていくのを感じる。
傷の痛さが増していく。
さっきまでは興奮していて、あまり痛さを感じていなかったようだ。
いっそのこと、最初から太陽に出会わなければよかった。
ドクダミはそんなことを思った。
やがて、雨が止み、水が体を打つ感覚が無くなった。
ドクダミの辺りはとても暗くて、静かで、焼け焦げたドクダミ以外は何もなかった。
ドクダミは、何か……心の中にぽっかり、穴の開いたような……喪失感を感じた。
そして、太陽が悪いのかどうかはよく分からなかったが、自分は……悪いんだろうと思った。でも、太陽が全く悪くないのかといったら、それは違うんじゃないかと思った。
……
…………
………………
……………………
色々と悩んでいるうちに、ドクダミは目を覚ました。
時期は初夏。ドクダミは花を咲かせていた。
それにしても、さっきのは酷い夢だった。
体は周りの気温より、少し温かくなっているようだった。
すると、ドクダミは体の温かさを感じたのも束の間で、体中に鈍い痛みを感じた。
ドクダミは自分の体全体を確認すると、地上に生えている部分が、一つの花の塊と、その周りの数枚の葉っぱを残し、ほとんどむしり取られていることに気が付いた。多分、ドクダミが寝ている間に、人間がやってきて、お墓の周りを掃除したのだろう。幸い、強力な除草剤が使われていそうな感じはせず、地下茎は残っていたので、また再生することができそうだった。
しかし、寝る前までに咲いていた花を思い出すと、少し残念に感じた。
私がたくさん咲いている姿を如意に見せたかったな、と思った。
如意は、前会ったときから、一度も姿を現していない。
でも、また少しずつ頑張れば、前のように花を咲かせることができるだろう、と思った。人間に地上の部分をもぎ取られることなんて、ドクダミにはしょっちゅうだからだ。
そして、空を見上げると、いつもより空の色が暗く、まるで墨汁を垂らしたかのようだった。今日は新月で、月が出ていないようだった。
確かに、ドクダミは昨日、月から「明日は新月だから、なんとなくひとりでいたい。」と言われていて、ある程度覚悟はしていた。しかし、改めて、いない、という現実を突きつけられると、少し寂しかった。自分の周りのものの存在の大切さは、ないときに分かるものなのかもしれない。
お墓の周りは、ドクダミ以外誰もおらず、まるで夏の騒がしさに備えているかのように、とても静かだった。
ドクダミは起きているのも嫌だったけど、眠って、もう一度夢を見ることになるのも厭だった。
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