僕だけのものじゃない。

男は一目散に走った。バスがないなら、自らの足で赴くしかない。


「待ってろ!今行く!!」


誰を待たせているかもわからないが、男は何かに駆られるように走った。

何かが男を呼んでいる。行かなくてはならない。そんな、薄気味悪い感覚にとらわれていた。


氷点下の外気は、男の吐息を白く染めた。

息は絶え絶えになり、腕も足もヘトヘトになりながら走り続けた。

目的の場所は、足で向かうには遠すぎる。

漠然としか場所を知らないから、見落とさないように気を配る。


水も飲まずに走った男は、とてかくくても目的の場所に辿り着いた。


「みつけた……。ここだ」


男は、まさに崩れ落ちそうな石段を、荒い息遣いで踏みしめる。

朽ち果てた鳥居をくぐれば、苔むした石畳と瓦解しかけた社殿が出迎えた。


男は残りの力を振り絞り、叫んだ。

昔、男が恋した者の名前を。

男を呼んでいたのは、彼女だったのだろうか。


「なあんだ、ばれちゃったのか」


社殿のかげから現れたのは、漆黒の装束を纏った少女だった。


「そうか……。君だったのか……」


男の脳内ですべての点が線になった。男は何もかもを理解した。


「ずっと会いたかった……。この何年間も……」


男は無意識に少女のほうへ向かって歩いていた。


「来ないで。」

「……えっ?」

「せっかく助けてあげたんだから……。よく考えてよ……」

「でも……」

「お願い。私の分まで……。お願いだから」


男の足は、そこで留まった

わかった、約束しようと声をかけると、少女は目尻に輝きを見せた。


「私はいつでもここにいる。寂しくなったら私から会いに行くから。」


おう。と一言告げて、男は神社を後にした。

きっと名残惜しくなるからと、決して振ったりはしなかった。

この男の人生は、自分だけのものではないらしい。

日々を懸命に生きねばと、気を引き締めるのであった。


「……あ、もしもし親父? ごめん、今、例の神社にいるから、迎えに来てくんない?」

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脣星落落之譚 柿本 修一 @shuichi_kakimoto

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