第5話 異世界(再)

 そして目を覚ます。


 僕が目を覚ますと、写真でしか見たことのない青空と、背の高い草と、脇腹の痛みがあった。

 立ち上がろうとして、後ろのコンクリート塀に手をつこうとするが、こんな草原にそんなものがあるはずがなく、僕はあえなく地面に尻もちをついた。

 そしてまた立ち上がり、周囲の高い草が自分の胸のあたりまであることに、今まで見たことのないほど大きな草だと驚きつつ、体に違和感を感じるので、軽く体を動かしてみる。

 右手の指の動きがややぎこちない。文字を書くとか、柔らかいものを摑むとかそういう細かい作業はしばらくはさっぱりできなさそうだ。慣れれば出来ないことはないだろうが。

 ゆっくり指を動かそうとすると、ひどく痙攣して思い通りには動かない。関節が痛いというか、指の隣り合った骨と骨が擦れあっているような感覚がある。

 あとは足首に違和感がある。こっちも指と同じで、動かしづらいが慣れればどうということはないだろうと思う程度の不自由がある。しかし、現時点ではまともに動かないから、やはりその不自由さが気になってしまって仕方がない。

 見知らぬ場所にいるということは僕を不安にさせるし、手足の不自由は不安を助長して、僕をどうしようもなく悩ませる。

 僕がどうしてここに来たのかと思いだそうとするが、紺色の背景に赤い線、宇宙を飛ぶモリスを見たことまでしか思い出せない。それに何故、初めに立とうとした瞬間、後ろにコンクリート塀があると思ったのかも分からない。

 僕が話していた言語、僕の名前、家族や幼少期の記憶のほとんども、覚えていなかった。ただ、名前については、二十一という概念だけ覚えていた。これが何を意味するのか、さっぱり分からないが。


 遠くから、何かの音が聞こえる。なんの音かとしばらく待っていると、勉強とブルーライトの見過ぎで疲労した僕の視界とは思えないほど鮮明になった視界に、こちらに向かって走ってくる豪華な馬車が見えた。

 馬車の方からは当然のことながら高い草に紛れた僕の姿は見えていないだろうが、この軌道そのままで近寄って来れば僕は轢かれてしまうだろう。

 場所を移動して馬車を避けても良いが、そのままこの場にいたところで他にどこかに行く宛も無いから一か八か馬車に手を振って、あわよくば拾ってもらおうと考える。

 目測では数十秒後には馬車はここを通り過ぎそうだから、急いで僕は両手を上げて馬車に合図する。

 馬車は僕の存在に気づいたのか、やや進路を変え、僕の方へ真っ直ぐと進んでくる。しかし減速する気配はなく、御者が僕を紫色の目でじっと見つめているのだけがやけに鮮明に見える。まさか轢き殺すつもりなのかと思い、ほんの数秒後にはもう馬車が僕の死体の上を通り過ぎていそうな未来を想像して怖くて目を閉じると、服の後ろ襟をがっしりと誰かに掴まれて、そのまま無造作に慣性のままに放り投げられた。

 まぶたを透かして感じていた太陽の光と熱が消え、暗くて寒い馬車の中に入ったことがわかる。目を開ける前から、湿気と、生気のない人間の香りと、嗚咽を漏らす音が聞こえ、ああ、僕は間違った択を選んだのかもしれないと察する。

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