誕生日のお願い
「飽きるまで一緒にいてください。」
そう言われてから、しばらく経った頃、コハクの様子がおかしくなった。
特にコハクと出会った街の近くに出かけた後は、考え込む仕草をしては、「潮時だ」とか、「そろそろかな」なんて呟いていた。
ある日、夕食の終わりにワインを片手にソファへ移動しながら、真夜は努めてなんでもないように聞いてみた。
「コハク、最近何か悩んでいるの?」
すると、コハクは「いや…」と言葉を詰まらせて視線を泳がせたが、キッチンの流しの食器を見て「真夜さんが、いっつも食器に水を張ってくんなくて怒ってます。」なんて小言をこぼす。
「話を逸ら…ごめんなさい」
「話を逸らすな」と言おうとしたが、コハクの呆れた顔に素直に謝ると、コハクは顔を少し緩めて、「ま、すぐに洗うんで、別に良いですけど」と言って、流しに向かった。
スポンジを手に取ったコハクは洗う前に、「そうそう!真夜さん!」と声をかけた。
「洗い終わるまで飲みすぎないでくださいよ、僕の分も置いといてくださいね…特に、今日は話があるんで。」
最後に付け加えられた言葉に真夜は嫌な予感がした。
ちなみに、「飲みすぎないで」はワイン一本分まで、「僕の分」はワインを半分こ、だから真夜はコハクが来るまでは、ワインを半分飲むと次のボトルを開ける。
今日の分はもう一、二杯で次のボトルを開けなくてはいけなくなりそうだ。
そういえば、たまに付き合わせていた晩酌が毎回になったのはいつからだろう。
チェスで夜更かしをしたり、新しい薬のアイデアや、次に行ってみたい土地の話をしてみたり…そんなことをしていると、ついお酒が進んでしまって「飲み過ぎですよ」とコハクに怒られてしまう。
でも、怒っているコハクの頬も昼間より赤くて、それがおかしくて可愛くて…そんな時間が真夜にとっては当たり前の、大切な日常になっていた。
でも、コハクは、そうではなかったのかもしれない。
「大事な話…ねぇ」
鈴の音は今も聞こえないままにしていた。
だから気づかなかったが、真夜の体たらくに我慢の限界が来たのか、別の素敵な人を見つけたのか。
なんにせよ「飽きるまで」…その主語は、やっぱり彼になってしまった。
離れようとしても距離を詰めてきたのはそっちなのに、私は一人でだって楽しく生きてたのに。
真夜はワンピースの胸元を少し引っ張り覗き込んだ。白く浮かび上がる胸元には、今もほとんど完成に近い約束の証がくっきりと浮かび上がっている。
「こんなの嘘よ。コハクとずっと一緒だなんて、口うるさくて嫌になっちゃうのに…」
真夜がいじけていると、ドスンと言う音とともに少し埃っぽい匂いがした。
「ひゃっ…なんの音?」
顔を上げると、目の前には、形や大きさがバラバラな本たちがいくつかの山になって積み上げられていた。
そして、その横にはコハクがふう、と一息つきながら立っていた。
「この間、部屋の整理のついでに引っ張り出してきたんですけど…これ、覚えてます?」
そう言って、一番手前の山の一番上の本をとったコハクは、真夜の隣に座ってそれを見せてくれた。
「これ…私が、前にあげた絵本じゃない。」
「ええ、先生が名前の次にくれた僕へのプレゼントです」
コハクは目を細めて、本の表紙をそっと撫ぜた。
「懐かしい…魔法をかけたのは五冊だったけど、こんなに書いてたのね。」
真夜が他に見覚えがありそうな表紙は、コハクがとった本が乗っていた山の上の四冊と数冊だけだった。
するとコハクは、こともなげに言った。
「魔法のない本も買ってもらってましたけど、すぐに無くなったから、自分で作ったり、お小遣いで紙を買ったりして、書いてたんです。」
真夜は別の山の一番上の本をとってパラパラと流しみた。
それも、前にワインを飲みながら見た覚えがあったものだった。
弟子にする前から見よう見まねで勉強していたことも知っていたが、まさかこんなに色んなことを書き留めていたとは…と真夜はすこし面食らった。
「あ、これって誕生日プレゼントの薬屋の道具ね」
「ええ、嬉しすぎて、三日かけて模写しました。」
「これは、ローズマリーのスケッチ?」
「軟膏が嬉しくて、どんな薬草なんだろうって、調べ直していた時のです。」
「確かに、メモがたくさんね」
「それはあんまり読まないで」
コハクが勉強したこと、立ち寄った街の風景、出会った人々…絵とメモを通してコハクの目に映っていた景色を追体験していると、鈴の音が聞こえる気がした。
「…コハクは人の絵が上手ね。」
「一番近くにいる人が表情豊かですから」
「うん、私こんな顔してたなんて、初めて知ったわ」
昔は何考えてるのかわからないってよく言われたのに…、コハクの書いたたくさんの自分の絵を見ながら真夜がそういうと、お代わりのワインを注いでいたコハクは目を丸くした。
「絶対嘘だ、ご飯の催促なんて、もう言わなくてもわかるのに…」
「子育てしてるうちに子供っぽくなったのかしら」
「今は僕が育ててますけどね」
意趣返しのつもりで、意地悪を言えば、すぐにブーメランが飛んできた。
否定し切れないところが悔しいと思っていると、コハクが噴き出した。
「ほら、分かりやすい」
呆れたように笑うコハクの顔はいつも通り少し頬に赤みが差していた。
その顔を見ていると目があった、すると笑顔のまま、少し体をこちらに向き直った。
「でね、先生。少しお話しても良いですか」
「改まって…何かしら」
嫌な音を立ててズキリと痛んだ心臓のことは、気にしないふりをして、真夜もコハクに向き直った。
「僕、今日誕生日なんですよ」
「…へ?あ、あらやだ、お祝いしなくちゃ。何歳になったの?」
良い歳して、お祝いの催促をするのが気まずかったのだろうか、それは気づかなくて悪いことをした。
でも、良い歳って…いくつだ?
真夜はそこまで考えて、もう一度コハクの顔を見た。
よく見ると、人の街にいた頃より、少し精悍な顔つきになっている気がした。
そんなコハクは、微笑んだまま質問には答えず、話を続けた。
「真夜さんが僕を魔法使いにしないって言った日から、決めたことがあったんです。」
「…何かしら。」
「もしも、どうしても離れることになった時に、思い出をちゃんと持って出て行けるように、本は一年に一冊まで、本当に大事なことだけ書こうって。」
その言葉に真夜は、横を向いて本の山を改めて見た。本の山は三つと半分だ。
「なのに、気づいたら魔法でも使わないと一人じゃ持ち運べない量になっちゃったんです。」
そういえば、コハクがこの山たちを置いた時、ドスンという音は、一回しかしなかった。
真夜はやっぱり嫌な予感がした。
「僕の料理、いつからか急に美味しくなりませんでした?」
「あ…いつも、世界一美味しいと思ってたから深く考えていなかったわ」
コハクが少し近づいた気配がしたので、真夜は本に視線を固定したまま答える。
すると、ため息と共に、さらにコハクは近づいてくる。
「それはずるくない?じゃあ…家事、異様に早くなってませんでした?」
「ワインが好きだから、取られたくなくて急いでやってると思っていたわ…」
「そんなに鈍くて、よく今まで死ななかったですね…」
コハクは少し黙ったあと、「こっち向いてください」と真夜にお願いをした。
真夜は渋々向き直ると思ったよりも近くにコハクの顔があり、思わず後退りそうになった。
「あぶないっ、落ちますよ」
「ごめん…端によってたのね」
コハクは真夜の腰に回した手をそのままに、話を続けた。
「でね、魔法使いになったし気長に待とうと思ってましたけど、そろそろ弟子にも飽きまして…だいぶ前からなんも教えてくんないし」
やはりバレていたか。と真夜は臍を噛んだ
「ということで、誕生日のお願い、しても良いですか?」
「なに…かしら?」
コハクにチェスで負ける時は、だいたい気がつかないうちに退路は全部塞がれている。
「この本たち読んでもらえれば分かると思いますけど、僕は、ちゃんと幸せですから。」
どこにも逃げ場がなくて、あと数手でキングを取られると分かっているのにそこに動かすしか無くなっているのだ。
「だから、そろそろ教えてください。」
今みたいに。
「真夜さん、僕のこと好きですか?」
真夜は、数度、困ったように口をぱくぱくと開け閉めしたが、うまく声が出せなかった。
酸欠なのか、だんだん顔が真っ赤になって行った真夜は、小さく咳払いをしてから、そっとコハクの耳元で小さな声で答えを囁いた。
「」
魔女の答えを聞いて、満足そうに微笑んだ元弟子は、そのまま愛しい人の頬に手を添えて唇を寄せた。
「…やっぱり、ワインの味がする」
「ねえお願い、待って」
「もう十分待った、1秒も待てない」
魔女はその後、自分の鈍さのおかげで、可愛い弟子がいつの間にか、とんでもない化け物になっていたことを心底思い知らされながら、胸に温かい痛みが広がるのを感じた。
そして、その時二人に刻まれた、完璧な約束の証は、最後の最後まで、どこも欠けることはなかった。
fin
最後までお読みいただきありがとうございました!
まだまだ書きたいお話はありますが、番外編は不定期で更新いたします。
魔女の恋心はキスで隠す。 矢凪來果 @kikka8791
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