おばさんとさらへ あいをこめて

「コハクが絵を描くの、なんだか久しぶりね」

「流行病が出るたびに、薬売りに行ってたら、なかなかゆっくりできなかったですからね」


 免疫と薬のおかげで、やっと流行病が少し厄介な風邪と言えるようになった頃、コハクは真夜にお願いをして、海の見える場所に連れてきてもらっていた。

 春の穏やかな風を感じながら、小高い丘から見渡せる海と街の景色を、紙いっぱいに木炭でスケッチしていく。


 旅の中でも、真夜が好きだと言っていた海は何度か見る機会があり、潮風の匂いと、どこまでも広がる上下の青はコハクもお気に入りだった。だから、改めてゆっくりと見たくなって真夜にお願いをしたのだが。今まで見たどれよりも、真夜が連れてきたこの街の景色は綺麗だった。

「ここは本当に好きだから、あんまり長く住まないようにしてたの」


 薬を届ける旅をし始めてから、知ったことだが、特定の場所に定住せず、旅を続ける魔法使いもいることから、掟には例外があり、一年以上住まなければ、何十年と開けなくても、また来てもいいらしい。もちろん正体がバレないように気をつけてだが。


 この日は真夜もコハクも髪と目の色を互いの色に入れ変えて過ごしていた。自分と同じ色の真夜は新鮮だが、とてもよく似合っていた。


「うまくなったわねぇ」

 スケッチ用のパンのあまりをつまみながら、真夜は感心するようにつぶやいていた。

 そして、心地よさそうにに潮風を感じていたが、しばらくすると、春の陽気に誘われたのか、分厚い絨毯を敷いていたのをいいことに、コハクのそばで丸まって猫のように昼寝を始めてしまった。


「気持ちよさそう」

 コハクは自分が羽織っていた上着に風よけの魔法を施してから真夜に被せた。

 幸い今日は日差しが暖かくて、薄着でも寒くなかった。


 真夜の顔をしばらく眺めた後、あともう少しで完成しそうな、スケッチブックに向き直った時、聞きなれない名前で呼びかけられた。

「えーとっ…」

 人違いですよ、そう言おうとして振り返ると、老婦人が泣きそうな瞳をたたえてこちらを見ていた。

「私のこと覚えてるかしら?」

 この町に来たのは初めてだったはず、やっぱり人違いだと言いかけたコハクは、そのご婦人が手をひいていた少女の顔を見て言葉を止めた。


 手を引いていた子供の顔は、見覚えがあった。


「あ…」

「大おばちゃまの知り合いの人なの?」

 

 あの子は、生まれた時から目がくりくりとしていて長いまつ毛と琥珀色の瞳がよく似合っていた。大きくなったらきっと美人になるんだろうな、と思っていた想像の通りだった。


 その子に「大おばちゃま」と呼ばれた女性は、「そうよ、とっても大事に…しないといけなかった人なの」と答えてから、再びコハクに向き直った。


「あなたを守れなかった私にそんな資格はないのだけれど、どうしても声をかけられずにはいられなかったの。」


 記憶の中の彼女は、本当に愛情深い人だった。

 初めての甥っ子を自分の子供のように慈しみ、叱り、褒めて愛してくれていた。


「絵・・・本当に上手くなったね」

 その言葉に、下手くそな似顔絵を手にして、涙目で喜ぶ、いつかの彼女の笑顔が頭に蘇った。絵を描くのが好きになったのは、あの日がきっかけだったのだろうか。


 その時、女性の声が、老婦人の後ろから聞こえてきた。

「叔母さんー!薬の時間よー!」

 勝手に遠くまで行ってはダメって言ってたのに…と少し眉をあげて近づいてくる女性は絵本の母よりも少し年上だ。


 でも、目の色は間違いなくあの子の色だった。生まれた日に何度も覗いた、今は寝ている真夜が持っている瞳と同じ琥珀色。。


 彼女はコハクの視線に気づくと軽く会釈をして、心配そうに叔母の顔を覗き込んだ。

「叔母さん、病み上がりなんだから。薬の時間はしっかり守らないとダメよ」

 そう言って彼女が取り出した袋には鈴の絵が書いてあった。


 老婦人は、問うようにコハクの目をじっと見つめた後、

「そう、じゃあもう行かないとね、お兄さん、いきなり話しかけてしまってごめんなさいね」

 と言って反対を向いてしまった。そして、ゆっくりと歩き出した。


 突然の出会いに戸惑っていたコハクだが、二度と会えなくなる前に先ほどの瞳の問いにじゃ答えなければと思い、遠くなって行く背中に向かって声をかけた。

「あ、あの…!」


 彼女の足が一瞬止まり、ゆっくりと振り返る。コハクは彼女の耳が遠くなっていても届きますように、と、大きく息を吸った。


「僕、幸せだよ!」

 答えになっているだろうかと少し不安だったが、コハクの言葉に彼女は涙を溜めた目を細めて、満足そうに頷いた。



 コハクは老婦人を見送った後、大声にも目を覚さずに、すぐそばで安心仕切ったように丸まって寝息を立てる真夜の髪を撫でながら、小さく呟いた。

「真夜さん、僕。幸せでしたよ…」




 サラはその夜、昼間の様子がおかしかった叔母の様子を見に、彼女の部屋を訪れた。

 するとやはりいつもの彼女の古い日記のあるページを見ていた。


「私はね、今まで挫けそうな時はこれを見て、もっと頑張ろう…って自分を奮い立たせていたの。」

「知ってるわ、そんなにお兄ちゃんに似ていた?」

「いつもは人違いだけど、今日はもしかしてって思ったのよ。」


「あの子は私よりも年下だったし、見た目もうちの家系じゃなかったわよ」

「この手紙の届き方も不思議だったから、つい、おかしくないかなって思ってしまったのよ。年を取るといやね、彼はきっと気をつかって話を合わせてくれたんだわ。」

 そう自嘲する彼女の顔はいつもより晴れやかだった。


 日記に綴じられた一通の手紙。強欲な大人たちから隠すために破って燃やした宛名は、サラと彼女しか知らない。


【げんきですか。だいすきだよ。ましよさんはほとけーきがじょずうだよ 】

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