魔王様は食いしん坊

M.M.M

第1話

「魔王!その命、貰い受ける!」

 異世界に召喚された勇者サトーは闇を凝縮したような衣をまとった男に向けて叫び、剣を向けた。

「ククク、こんな所までよく来た。勇者一行よ……」

 大魔王は愉快そうに応じる。

「本当に”こんな所”だよ!」

 勇者は怒りをこめて言った。

 なぜなら魔王がいたのは玉座でなく城の端っこにある食堂だったからだ。

 真っ白なテーブルクロスをかけたテーブルと椅子がいくつも整列し、魔王はその椅子の1つにドン!と効果音がつきそうな姿勢でふんぞり返っている。

 玉座の間にいなかった事で勇者サトーと仲間たちは慌て、一部屋ずつ確認しなければならなかった。厨房から料理を運ばせると冷めてしまう事を魔王が嫌い、自ら食堂へ行くと知らなかったゆえに起きた悲劇だ。

「なんで魔王が食堂にいるんだ!?」

「ククク、余は今から夕餉の時間なのだ。こんな時刻にやってきたお前たちが悪い。それともこの時間に襲うと予告でもしていたか?」

「どこの世界に攻め込む時間を教える勇者がいるんだよ!」

 魔王はやれやれと首を横に振って余裕を見せる。

「余は魔王なり。そして食を愛する。食事をとることは誰にも邪魔させん。よもや勇者が他者の食事中に襲い掛かってきたりはしまいな?卑怯者として後世に語り継がれてもいいのか?」

「ぐ……それは……」

 勇者サトーはそれを言われると躊躇する。

「魔王様~!5分経ちましたよ~!」

 黄金で出来たワゴンを押してやってきたのはドラゴン族の配下。

 顔が写るほど磨き抜かれた台の上にはぽつんと1つの品が置かれていた。

 それを見た瞬間、勇者の脳内に稲妻が落ちた。

「ま、まさかそれは……」

「どうした、勇者?ククク……さあ、食すとしようか」

「魔王様、箸をどうぞ」

「うむ」

 魔王は”割りばし”を渡され、それを中央からパキリと割った。

「おおっ、綺麗に割れたな。ククク……」

「ま、魔王が割りばしって……いや、そうじゃない!」

「何を驚いているのだ、勇者よ?」

 魔王は赤い容器の蓋をはがしながら尋ねる。

 そこにはこう書いてあった。

 赤いきつね、と。

「なんでそれがこの世界にあるんだ!?」

 勇者サトーは混乱し、何かの幻覚かとさえ思った。

 しかし、容器から放たれる白い湯気。そして香辛料と調味料の香りが彼に届くとその存在を認めざるを得なかった。地球で何度も食べたカップうどんであると。

「ククク、余には異世界から品物を召喚できる力があるのだ。人間がお前のような勇者を召喚するようにな……」

「そ、そんな能力が……」

「どうした、勇者よ。これがそんなに気になるか?」

 魔王はこれ見よがしに作りたてのきつねうどんに箸を突っ込み、油揚げを摘まみ上げた。出汁を吸い、ふやけたそれは黄金色に輝いている。

 魔王の口がその端をむしゃりと齧り、出汁がぽちゃんっと容器に落ちた。

「うむ。絶品だ。麺とどういう配分で食べるかでいつも悩むなぁ。ククク……」

 嗤う魔王は油揚げの次に白く太い麺をすくい上げ、一口食した。

 ズズズッと音を立て、出汁をまとったそれが口に吸い込まれていくのと同時に勇者の口からは呻き声が漏れた。

「あぁ……うどんが……」

「勇者様、なんであんなものに見惚れてるんですか!?」

 事情を知らない仲間の1人、銀色の法衣をまとった神官が彼の肩を揺すった。

「そ、そうだ……俺はこんな事で負けられない!」

 勇者は再び剣を構えた。

「魔王様~!隣の席を失礼します~!」   

 彼の配下が”緑のたぬき”を持ってきて魔王の横で食べ始めたのだ。

「そ、そっちも召喚できるのか!」

 勇者は再び食いつき始めた。

 配下の者は蓋を開けるとまん丸のかやくを出汁の海に浮かべ、じゅっと染みるそれを箸でつまむと豪快に咀嚼し、その音がサトーの鼓膜を揺すった。

「うああああっ!」

 勇者サトーは耳を押さえ、激しく動揺する。

 久しく忘れていた地球の思い出が彼に襲い掛かっていた。

「ククク、美味だなぁ」

「美味しいですね、魔王様の召喚料理~」

 魔王と配下はそう言って勇者サトーに自分たちの食べっぷりを見せつける。

 ぷるぷると揺れる油揚げ。サクサクと音を立てて蝕されるかやく。それらと共に麺が2人の口に吸い込まれてゆく。

 胃の腑を刺激する匂いと音と光景がサトーの心に封じていた様々な記憶を呼び起こし、彼の勇者魂は崩壊寸前だった。

「ククク、勇者よ。私ならこういう品をいくらでも召喚できるぞ」

 魔王は魔法を発動するとテーブルにある品が現れた。

 包装に書かれている文字は……「あったかごはん」だった。

「あああああっ!こ、米だとっ!」

 心に大ダメージを負ったサトーは片膝をついた。

 効果は抜群だった。

「サトー、負けないで!」

「負けるな、サトー!」

「私たちが背負ってるものを思い出して!」

「はっ!そ、そうだ!」

 彼はようやく自分が抱えている使命の大きさを思い出した。

 自分がここで屈すれば今まで支えてくれた人々の努力が無駄になってしまう。無数の恩人たち。彼らが振舞ってくれた食事が彼の記憶の中で蘇る。

「変わった魚料理……変わった野菜料理……まずくはなかったけど……」

 ぶっちゃけて言えば、異国の食事に今も慣れてなかったサトー。彼は胃袋から上げる鳴き声を慟哭のように感じ始めた。彼の体は地球で染み込んだ味を求めている。

 そんな事などお構いなく、魔王の配下は麺と油揚げを平らげてしまった。

「ふぅっ、実に美味でしたけど、まだいけるかな~。あっ、魔王様。そのご飯、もらっていいですか?」

「ククク、構わんぞ」

「な、何をする気だ……」

 勇者の目の前で魔王の配下は魔法でご飯を温めて封を切る。

 白く輝く宝石のような白米を露出し、立ち上がる湯気が、その香りがすぐに勇者の鼻腔に届いた。

「ぐ、あ、あぁ……」

「私、雑炊にするのが好きなんですよね~」

 配下はご飯を緑のきつねの容器に放り込み、ぐるぐると混ぜ始めた。米が出汁を吸って膨らみ、あっという間に雑炊が出来上がる。

 その隣では魔王がどこからともなく卵を取り出す。

「クク……私はコレで締めるとしよう」

 魔王が残った汁に卵を割って投入するとかき混ぜ、こちらも魔法で加熱する。

 出来上がったのは出汁と卵が程よく固まった茶碗蒸しだ。

「そ、そんなアレンジ料理まで!?」

 勇者の驚愕は止まらなかった。

「さあ、食そうか」

「いただきます~」

 魔王と配下が再び食事を始めたのを見てサトーの中で抑えていたある感情が溢れだした。それは望郷。チート能力で無双する快感に浸りつつも故郷の味を覚えていた彼の目から涙があふれ、ついに彼の両手は握っていた伝説の剣を離してしまった。

「うあああっ!こんな世界もう嫌だ!地球に帰りたい!」

「サトー……」

 仲間たちは幼児のように泣きじゃくる彼に悲痛な眼差しを送ることしかできない。

 だが、1人だけ例外がいた。

「ふ、ふざけんなあああああっ!」

 食堂に響き渡る絶叫。

 声の主は勇者を支えてきた神官だった。

 彼女はこめかみに青い血管を浮かせて激怒していた。

「どこの世界に食い物に釣られる勇者がいるのよっ!あんたの召喚にどれだけ苦労したと思ってるの!しかも相手は魔王よ!魔王!しかも見た感じ、高級な料理ってわけでもないでしょうが!」

「ククク、メーカーの希望小売価格は193円だ」

「緑も赤も同じ値段なんですよ~」

「知るかーーーっ!」

 魔王憎しの彼女はついに強硬手段に出た。

 自分がはめた指輪に魔力を籠めて命じる。

「勇者サトー!命と引き換えにしても魔王を倒しなさい!」

 神官がもしもに備えて仕掛けておいたマジックアイテム。これを使えば仲間は1度だけあらゆる命令に従う。そのはずだった。

「嫌だあああああ!」

 サトーの心は昔に帰っていた。野球部で汗を流し、塩分と糖分を求める体にカップうどんを取り込む快感。そこから広がる家族との思い出はマジックアイテムを凌駕したのだ。

「こんな魔法までかけやがって!俺は……俺は魔王の側につくぞーーっ!」

「嘘でしょおおおおおっ!」

 神官と仲間たちは自分の耳を疑った。

 そんな事はどうでもいいとばかりに魔王と配下はアレンジ料理を食べてゆく。

「美味いですね~」

「うむ。美味なり」

 こうして勇者たちは魔王と1度も戦うことなく敗北した。

 これは後に勇者暗黒化事件として語られ、魔王が魔法によって彼を反逆させたと世に伝えられるが、その詳細を尋ねると仲間たちは固く口を閉ざした。

 その後、魔王は勇者を利用することなく特殊な儀式によって地球に帰してしまい、その理由を問われた魔王はこう言った。

「ククク、そんな事を考えるより美味な物を見つけて食せ。幸せになれるぞ」

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