落語 招き猫

紫 李鳥

落語 招き猫

 


 えー、秋風亭新潮しゅうふうていしんちょうと申す、もうすぐ古希こきを迎えるニヒルな落語家でございます。


 えー? アヒルじゃごぜぇませんよ、ニヒルです。ま、似たり寄ったりではありますが。


 何を隠そう、わたくしが秋風亭流暢しゅうふうていりゅうちょうの師匠でございまして。ご存じない方も多いかと存じますが、流暢はわたくしの弟子でありまして。ま、弟子と言ってもデシリットルぐらいでございますが。


 つまり、手っ取り早い話が、流暢はわたくしの弟子で、わたくしは流暢の師匠であります。ま、師匠だけに、支障ししょうきたすこともございます。


 最近はわたくしより売れちまって、肩身の狭い思いをしてましたが、久しぶりにオファーがありまして、こうやって高座に上がることができました。サンキュ~♪


 ここで小話を一つ。


「あそこに囲いが四つできたってな?」


「そうなのよ。ヘイヘイフォ~♪ヘイヘイフォ~♪」


 ま、熟女とナイスミドルにしか分からない小話ではございますが。アイムソーリー、総理、総理、総理!




 えー、本日の演目は、【招き猫】という、縁起のいいお話でして。


 早いもんで、もう十二月も終わりですな。十二月(師走しわす)と言や、読んで字のごとく、師(僧侶そうりょ)も走り回るほどの大忙しだ。大掃除だの、正月の準備だのと、主婦連中はてんやわんやだが、旦那の方もまた大忙しだ。今年中に片付けなきゃならない仕事が山積みだ。




 とび松吉まつきちは腕のいい職人で、手際もよかった。段取りよく急ぎの仕事を片付け、帰り支度をしていますと、


「松ちゃん。どうでい、忘年会でもしねぇか? 二、三人連れてさ。一年のさを晴らそうじゃねぇか」


 兄弟子あにでし弥助やすけが声をかけた。酒が嫌いじゃなかった松吉は二つ返事で快諾かいだくすると、居酒屋に向かった。


 四方山話よもやまばなしに花を咲かせ、楽しい酒を呑んだ松吉はいい気分で居酒屋を出た。皆と別れ、千鳥足で橋のたもとまで来た時だ。何気に腹巻きに手をやると財布がなかった。後ろに回っているのかと、腰のあたりも触ったが、らしきものに触れなかった。一気に酔いが覚めた松吉は青ざめると、慌てて居酒屋に戻ったが財布の忘れ物はなかった。途中で落としたのかと、来た道を探したが見付からなかった。


 ……どうしよう。これじゃ、女房、子供にもちも食べさせてやれねぇ。財布を落としたなんて女房に言ったら、赤ん坊の夜泣きみてぇに夜通し泣かれるに決まってら。


 松吉は、月が映る川面かわもを橋の上から眺めながら途方とほうに暮れた。


 ああ……、忘年会なんかに参加しねぇで真っ直ぐ帰ればよかった。


 松吉は後悔しながら、はて、どうするかと思案橋。その時だ、


「にゃ~」


 猫の鳴き声がした。振り向くと、招き猫のように右手を上げた三毛猫が松吉を見つめていた。


 この寒空になんでこんな所にいるのかと首をかしげていると、手招きするかのようにその手を動かした。


「……ん?」


 導かれるように歩み寄ると、猫の足元に何か黒っぽいものがあった。よく見ると、落とした財布だった。


「お、おいらの財布じゃねぇか。拾ってくれたのかい?」


「にゃ」


「ありがとよ、猫ちゃん」


 松吉は財布を手にすると、猫に礼を言った。


「にゃー」


 猫は返事をすると尻を向けて、ゆらりとしっぽを動かしながら歩いて行った。財布の中身を確認すると、確かに飲み代を差し引いた分があった。


「これで、女房、子供にうまいもんを食べさせてやれる。ありがとよ、猫ちゃん」


 松吉は安堵あんどすると、愛着のある財布を胸に抱いた。




 それから数日後のこと。家族水入らずで正月を過ごしている時だ。ふと、財布を拾ってくれた猫のことを思い出した。


 ……もしかして、あの猫は、あの時の子猫では? 松吉に心当たりがあった。




 あれは一昨年おととしの暮れのことだ。伊右衛門いえもん長屋から出火した。


「火事だーっ!」


 近所の住人が大騒ぎしていた。火消しも兼ねた鳶ですから延焼を防ぐために周りの長屋を破壊するのはお手の物だが、生憎あいにくの仕事帰りだ、破壊するにも肝心な鳶口とびくちを持っていなかった。さて、どうするかと思案橋。その時だ、半鐘はんしょうの音と共に町火消まちひけしが駆けつけた。ホッと一安心していると、


「中にミケが!」


 丸髷まるまげの女が叫んだ。


「何? ミケって、猫かい」


「ええ。まだ子猫なんです。呼んでも出てこなくて。ミケーっ!」


 女は不安げに燃え上がる炎に手をかざした。松吉は井戸に急ぐと、脱いだリバーシブルの半纏はんてんを桶の水で濡らし頭から被った。大急ぎで戻ると、パチパチと音を立てながら燃え盛る炎の中に飛び込んだ。


「ミケ! どこだ」


「にゃ……」


 か細い鳴き声がした。見ると、子猫が土間の隅にうずくまっていた。松吉は抱き抱えると、半纏の中に入れた。その瞬間、火の粉が目の前に落ちた。松吉は台所の桶にあった水を被ると、急いで戸口に走った。外に出た途端、屋根が崩れ、次々に瓦が落ちてきた。


 間一髪かんいっぱつで助かった松吉が子猫を渡すと、


「……ミケ」


 女は安心した顔で子猫を見つめていた。


「にゃー」


「無事でよかった。ありがとうございます」


 松吉に礼を言った。


怪我けががなくて何よりだ。じゃ、あばよ、ミケちゃん」


 松吉はそう言って子猫に背を向けた。




 ……財布を拾ってくれた猫は子猫じゃなかったから気付かなかったが、もしかして、あの時の子猫か? 二年も経てば立派な大人だ。火事から救ってやったお礼かな? もしそうなら、「ミケちゃん」て呼んで、抱いてやればよかったなぁ。と後悔しながらも、


「おっかしゃん。おいちい」


 女房にそう言いながらうまそうに雑煮ぞうに頬張ほおばっている息子の笑顔を見て、松吉は幸せを噛み締めた。



 晩飯もそこそこに早めに息子を寝かしつけたあとは女房とのスキンシップの時間だ。脇をこちょこちょし合いながらイチャイチャしていると、


「ねぇ、あなたぁ……」


 女房が耳元でささやいた。


「ん?」


「できちゃったみたい」


「何が? おできか?」


「違うわよ。……赤ちゃん」


「えっ!」


 びっくりした松吉は目を丸くして女房を見た。


「ホントか?」


「……ええ」


 女房はうつむくと乙女のようにじらった。


「やったー!」


 もう一人子供が欲しいと思っていた松吉は、思わず欣喜雀躍きんきじゃくやくした。




 財布を拾ってくれた猫は、手招き猫ならぬ福招き猫だったに違いありません。こいつぁ春から縁起がいいわぇ~!







■□■□幕□■□■

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