第2話 ミディアンの女は乳と蜜のようだ!

 モーセの天幕はイスラエルの指導者にしては質素な作りである。しかし一番奥の部屋に通されて、俺は度肝を抜かれた。壁は金で覆われて、銀の家具が所狭しと置いてある。


「タカユキ、もしこの計画が成功したら、君には褒美としてエフォドをプレゼントしよう。好きな宝石を言いなさい。エジプトから戦利品として持ってきた珍しい石があるのだが、三つか四つ入れてあげよう」


 エフォドという言葉を聞いて俺のテンションはマックスに達した。


 エフォドとは亜麻布製の袖なし上着の事で、前に12個の宝石が付いている。サファイア、ダイヤモンド、赤メノウ、エメラルドなど大きな宝石が煌びやかに付いた祭司しか身に着けることができない職服である


(全てダイヤモンドにして貰おう。売ったら幾らになるだろう)


 俺は貪欲にも売ってお金に換えようとしていた。夢なのに浅ましい。


「モーセ様、ヨシュアがミディアン人のコズビを連れて来ました。こちらに通しますか? それとも先にいつもの部屋で待たせますか?」


 ピネハスの含み笑いも気になったが、俺はヨシュアというビッグネームに興奮した。モーセの後継者ヨシュアである。ヨシュア記の筆者であり、武闘派として知られる熱いおとこだ。


「ピネハス様、ヨシュアに会えるのですか! ぜひお会いしたいのですが」


 俺は聖書の登場人物で一番好きなヨシュアと会うことを望んだ。もちろん、モーセとピネハスの手前、その事は口には出さなかったが、聖人君子のヨシュアだ。是非とも会いたい。


「……おお、兄弟、少し遅かったな。今ヨシュアはミディアンの女とやってる最中だ。コズビの紹介で最上級の女を手に入れたと喜んで帰ってきたよ」


 ピネハスの返事を聞いて俺はヨシュアへの憧れが音を立てて崩れるのを感じた。カナン人を倒しまくり約束の地を手に入れた英雄ではなかったのか。


 そうか! 俺はヨシュアの死後、ヨシュア記を完結させたのがピネハスだった事を思い出した。ピネハスがヨシュアを盛って書いたに違いない。


「タカユキ、せっかくだから、ミディアンの女を味見するといい。イスラエルの田舎女と違って、ミディアンの女は


 どんよりしている俺を励ますようにモーセが言う。なぜモーセはそんな事を知っているのか。あっ、そういえば確かモーセはミディアン人を妻にし、その事で嫌味を言われた事があったな。


 ミディアン人はアブラハムの子孫であり、いわばイスラエル人と親戚のようなものだ。だが、気づけばバアル神を崇拝する部族に成り下がっていたはずだ。この当時、神はミディアン人との交流を禁じていたはずだが。


 蓄えた知識を思い出していると、モーセは俺の肩を叩きながら言った。


「コズビは特に素晴らしいよ。一度あの女を知ったら他の女では物足りない。上半身は乳、下半身は蜜のようだ。甘い蜜の香りで身体も心も溶かされる」


 喩えが全く理解出来ない。ただモーセのイメージが悪くなったのは事実だ。


 俺の見ている夢は悪夢だ。そう思い込まなければ先に進めない。いや牧師として教訓的な話をする事など出来ない。俺は正気に戻る為に頭を振った。


 それにしても、ミディアン人の女コズビとモーセ達が顔見知りであるのは可笑しい。民数記の記述によると、ミディアン人側がイスラエル人を罠にかけたはずだ。


 罠とはこうだ。四十年間、マナしか食べた事のないイスラエル人にまず食料を提供する。不平不満を言う男達の舌を文字通り満たすためだ。パン、ぶどう酒、スイカ、ニラ、玉ねぎ、ニンニクなどエジプトで食べていた物を与える。その食物を一度も口にした事のない若者は好奇心からすぐ罠にかかる。


 次に食欲が満たされた男達を、バアルの祭りに誘う。


 その祭りでは、イスラエルの神が最も忌むべきバアルを崇拝させる。男たちを酒に酔わせバアルにひざまずかせ、神の不興を買うように仕向ける。


───他のいかなるものをも神としてはならない。


 十戒の第一の掟を破った男たちに神の怒りが臨む。バアル神に身を屈めなかった男たちに対しては、性の不道徳の誘惑を仕掛ける。モーセの律法では結婚していない相手とのセックスを禁じているからだ。


───姦淫を犯してはならない。


 この掟を破る者も多くいるだろう。イスラエルの男たちの多くが滅ぼされる事だろう。そうすればミディアン人は戦わずして勝利し、宝を奪う事が出来る。ミディアン人だけでなく、モアブ人やカナン人がイスラエルの財宝を狙っていたはずだ。


 しかし、何故だ? モーセは神の怒りを見るまではその策略を知らなかったはずだ。なぜ? ミディアン人の女コズビを家に招いているのか。


「おお、兄弟、何を難しい顔して考えているのか。……モーセ様がこの盃から飲むようにとのことだ」


 ピネハスがぶどう酒の入った盃を俺に差し出した。上手い。今まで味わった事のない上級酒だ。俺は一杯飲んだだけで酔いが回った。



 乳と蜜の流れる身体。乳と蜜の流れる女。蜜の香り。蜜の滴る身体。


 酔いから醒めた時、バスローブを脱がされた俺の上に女が乗っているのを感じた。


「タカユキ、コズビを知ったら他の女では物足りないのが分かったか?」


 モーセの声が聞こえる。女が俺の上で果てた時、視界が広がり見慣れない男たちの顔が見えた。


「コズビ、さぁ、今度は私の番だ。こっちへ来い! ヨシュアはどうする?」


「もう今夜は満足だ。ジムリ、朝まで楽しめ!」


 ヨシュアとジムリ。ジムリとヨシュア。


 何て事だ! 俺は憧れのヨシュアに性交を見られ、あのジムリの女とヤッテしまったのか。殺される。シメオン族の長サルの子、ジムリに俺は殺されるのか。


「ハハハ、タカユキ、お前もこれで同罪だ。気分がいい。気分がいい」


 モーセの甲高い笑い声が響く天幕で、俺は意識を失った。



 


 


 


 


 


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