9 【PM01:38 残り時間 5時間22分】
それでも、進むしかない。私は再び遺体と対峙した。
次の異物は、肋骨の下だ。
内臓に罠を仕込むための手術で切った胸骨は5カ所がワイヤーで固定され、完全に癒合――元どおりにくっついていた。しかも胸骨自体に配線コードが巻きつけられている。通常の心臓手術のように、胸骨を縦に切って広げることはできない。しかも肋骨のうち6本にも、カラフルなコードがぐるぐる巻き付けられている。
胸を開いた瞬間から目に入っていた障害ではあるが、意識を集中させるためにこれまで対処法は考えないようにしてきた。
だが、もはや逃げるわけにはいかない。この〝壁〟を越えなければ先に進めない。
通常の司法解剖の手順なら、胸部の皮を剥いでから、ニッパーを大きくしたような肋骨剪刀で肋骨と肋軟骨の結合部あたりを切断する。胸骨と肋軟骨をすっぽりと外してから、露出した心臓と肺を取り出して重さや大きさを計測する。
その後に腹部臓器の肝臓、脾臓、膵臓、左右腎臓を出す。そして胃や腸などの管空臓器、膀胱、精巣や子宮などの泌尿生殖器を出して必要に応じて詳しく分析していくのだ。
だが、この遺体は何もかも違う。だから最初に胃の内部の異物を摘出しなければならなかった。
次の異物は、肺と心臓の裏側にある。どちらを先に取り出すにしても、肋骨は外さなければならない。
正体不明のコードがきつく巻かれているのは胸骨と6本の肋骨……。
配線を傷つけず、過度なテンションをかけず、しかも最終的に取り外さなければならない。骨を切るだけならさほど困難ではないだろう。だが、ぐるぐる巻かれたコードを引っ張らずに肋骨全体を安全に取り除くにはどうすればいいのか……。
その手順を練るだけで、10分以上を要した。中継を見守っているネット民はさぞ退屈していたことだろう。退屈して見るのを止めてくれるならその方がありがたい。逆に小野寺は、罠だらけの遺体と冷や汗を滲ませながら闘う私を見下ろして、ほくそ笑んでいたに違いない。
さらにまずいことに、体の異常が時間を増すごとに顕著になってきている。息苦しいし、めまいも消えない。ふっと意識が遠のくような不安も感じる。
これは、心臓の異常だけではない。
いったい私は、何を吸い込まされたのか……?
放射性物質の可能性はとりあえず否定されたが、このまま死を迎えるような毒物ではないという保証にはならない。残り5時間ちょっとのタイムリミットの上に、私自身の体調にも制限が加えられてしまったのだ。
意識が保てるうちに、雅美が捕らえられている場所を探り出さなければならないというのに……。
つまり、尻込みしている時間の余裕はないわけだ。やるしかない。決めた手順にしたがって、作業を進めよう。
普通、肋骨は周囲をぐるりと切り、一体につながった状態で外す。スノコを移動するような感覚だ。だが今はその中に、きつくコードを巻かれた骨が混じっている。コードを引っ張らないようにするには、その部分の骨だけを先に抜き出す必要がある。
最も太い胸骨は後回しにしたほうが安全だろう。
まずは障害になる肋骨を剪刀で細かく切って、コードの中から骨を抜き出す。そうすればコードにも長さの余裕が生じる。作業中は脇に寄せておくこともできるし、両端がどこにつながっているか確認できるかもしれない。どこにも接続されていなければ、切り取れる。
コード全体に余裕が生じた状態で胸骨の切除を進める。
ただしその行程にどれほどの時間がかかるか分からないし、私の意識がどこまで集中力を保っていられるかも不明だ。〝謎の粉〟の効果が一過性のものであって、再び正常な体調に戻ることを期待するしかない。
私は言った。
「では、肋骨の一部を切り取っていく。コードを巻き付けられている骨は6本、その全てを細分化して取り除いてから、胸骨の除去、さらに肋骨全体の除去に入る」
舌がわずかにもつれているのが自分でも分かった。おそらく、小野寺も気づいているだろう。
不意に、激しい悔しさが湧き上がった。
こんな罠に負けてたまるか……。
小野寺……何がなんでも、お前を叩き潰してやる……。
手前の一本を剪刀の先で挟む。コードはぴっちりと隙間なく巻かれているために、一回で切断することができない。コードを傷つけないように骨に切り込みを入れ、指先でわずかに力を加えて骨をたわませ、コードとの間に空間を作った。剪刀の先を素早く隙間に差し込んで、切る。
次に、その5センチほど先を同じように切る。肋骨から切り離された長さ5センチの骨を、コードを避けながら取り外していく。これでコードが少し緩んだ。あとは同じように骨を細分化し、取り外す。
6本の骨で繰り返せばいい……。
繰り返せばいいだけだ……。
繰り返さなければならない……。
強い緊張を強いられるハサミ使いを、あと5回も繰り返さなければならないのだ……。
さらにその先には、胸骨の切除が待ち構えている……。
万全とは言い難い、この体調で……。
と、スピーカーから花苗君の声がした。
『先生、粉の正体が分かりました! 高純度の医療用モルヒネです! ナロキソンを用意しました!』
教授室のガラス越しに、花苗君が注射器をかざしていた。
ありがたい!
モルヒネだと分かれば、体調の変化に怯える必要も減る。医療用モルヒネは通常は注射で使用するものだ。吸引では効果は薄い。しかも私が吸い込んだのは微量だ。あの程度の吸引なら、効果はすぐに消えるだろう。
体調の著しい不良は、正体が分からないという不安と恐怖が増幅させたものだ。
だが、あの未経験の異臭は何だったんだろう?
とてもモルヒネの臭気とは思えなかったが?
「異臭がしたが?」
『別の成分も混入していたようです。モルヒネだと分からなくするためにわざと他の臭いをつけたみたいです。今、さらに詳しく解析してもらっていますが、人体に悪影響がある物質ではなさそうだということです。注射器、ドアの下に置きますね』
未知の物質が本当に無害だとは言い切れないようだ。微量だから化学物質なら危険は少ないだろうが、万一細菌やウイルスなら量に関係なく脅威だ。
そういえば、花苗君はドアを開けてしまったし、サンプルまで持ち出した。あの状況ではやむを得なかったが、バイオハザードの危険も考慮に入れるべきだった。
とはいえ、小野寺の目的は私への復讐だ。危険な病原体の拡散など望まないだろうし、意味があるとも思えない。そもそも、そのような病原体は簡単には手に入らない。
不安は残るが、信じるしかない。
ナロキソンは麻薬拮抗剤で、モルヒネの急性中毒にも効果がある。ナロキソンを少量注射すれば、さらに不安を減らすことができる。万全とは言いがたくとも、少しは自信を持って遺体に立ち向かえるわけだ。
花苗君はわずかにドアを開けて、サンプルを持ち出した時の缶をその下に置いた。注射器が入っているのだ。
私は天井を見上げて言った。
「これから注射器を取る。また、一瞬視界から外れるかもしれない」
そして、素早く缶を取って戻った。
缶の中からナロキソン液が入った注射器を取り出し、天井カメラからも見えるように静脈に打った。打った量は少なめに調整したが、間もなく体調は正常に戻るはずだ。そして、注射器を缶に戻した。
缶の蓋の裏には、花苗君が書いたメモが貼ってあった。
〈大学のみんなが先生を応援しています。いったん逃げた人たちも事情を知って戻っています。外から出来る応援は任せてください。先生は1人じゃありません〉
私はガラス越しにこちらを見守る花苗君に言った。
「花苗君、ありがとう」
花苗君は、不意に戸惑ったような表情を見せた。
私は、初めて花苗君に名前で呼びかけたことに気づいた。大学でもセクハラ防止などの規定は一般企業以上に厳しい。私はいつも、男女の区別なく姓で呼ぶように意識していたのだが……。
まあいい。今は些細なことだ。花苗君が言う通り、この大学の全ての力を合わせて闘いに臨むべき時だ。
私は1人ではない。
その言葉はナロキソン以上に私の心を奮い立たせてくれた。
改めて深呼吸を繰り返す。わずかに、めまいが治ったような気がする。気のせいだろうが、構わない。これで、前に進める。
肋骨剪刀を取り直して、次の1本を切りにかかる。配線に注意しながら一部に切り込みを入れ、コードとの隙間を作っていく。そして完全に骨を切断する。さらに骨を細かくして取り出す。同じことを他の4本で繰り返す……。
胸を覆った肋骨が、歯が抜けた櫛のような形になる。その隙間に、細いコードがうねっている。だいぶゆるみが生じているので、脇に寄せながら他の骨を切っていく。全ての骨をバラバラに切って外す――。
同様に胸骨を細分化して取り除いていく。
心臓と肺が露出した。ようやく内臓に手がつけられる状態に一歩近づいた。
だがそれらの臓器を覆う膜にも、一目では数え切れないほどの配線コードが複雑に絡められている。ここではコードは臓器には縫い付けられてはいなかった。コード同士を糸で結んで、形が崩れないようにしているだけだ。
だが、こんな異物を仕掛ける手術を、どうやって行ったのだろうか? いわゆる難手術の、それも数回分の作業量が必要だったに違いない。それをやってのけるには術者の超絶技巧は絶対条件だが、恐ろしく高度なバックアップ体制が欠かせない。しかも、生体活動を妨げる異物を大量に入れながら、どうやって生命を維持していたのか……。改めて感嘆させられる……。
四肢を継ぎ合わせた傷や胸の切開の跡が完全に治癒するまでは、確実に生存していたのだ。小野寺は、異物に対する免疫力を徹底的に抑え込む何らかの方法を完成させている。これが、小野寺が求めた〝免疫デザイン〟なのだ……。
まさに〝神の技〟と呼ぶ他はない。
それが人類に明るい未来をもたらすかどうかは、私には分からないが……。
時計を見る。いつもなら数分で終わるような作業に、すでに40分以上かかっている。まずい……小野寺の罠に、どんどん絡め取られていく……。
ずっと神経を張り詰めているので疲労感も激しいし、蓄積していく。
と、耳の中でマイクが言った。東海林の声だ。
『JOメディカルで押収した小野寺のデータのロックが解除できました。中に秋月先生への復讐計画を吹き込んだ動画が何種類か入っていました。一部を転送します。音声はイヤースピーカーから送ります』
と、死体の下腹部に入れたiPhoneがかすかに揺れた。モニターの一部に画像が現れる。やや歳をとった小野寺の顔が大写しになっている。
スマホの中の小野寺は、じっと私を睨みつけていた。その表情には、私への怒りが揺らめいている。もう、あれから10年も過ぎたというのに……。
10年もの時が過ぎてもなお、小野寺は私を憎み続けていたのだ……。
小野寺……ならば私は、あの時どうすればよかったんだ……?
お前の暴走に目をつむって、共に喜べばよかったのか……?
お前は、私が見て見ぬ振りができる人間だと思っていたのか?
誰であろうと理不尽な行いは見過ごせない――そういう融通が利かない男だと、知っていたはずじゃないのか?
だからこそ、私たちは大学の仕組みの中でもがき苦しんできたんだろう?
それが友人というものだろう?
私たちは〝戦友〟じゃなかったのか?
それなのに、お前は……私に何を望んでいたんだ……?
今になってなぜ、こんな非道な復讐に手を染める?
しかも、雅美まで巻き込んで……。
一体お前は、いつからそんな卑劣な人間になってしまったんだ……?
悔しく、悲しい。
だが、その小野寺が、今の私の〝敵〟だ。絶対に負けられない。
倒さなければならない。
画像の中心に円に入った三角の印がある。解剖作業を続けているフリをしながら、そこを押す。解剖室ではiPadを使用することも多いので、使い捨て手袋もスマホ対応になっているのだ。
小さなモニターの中で、音のない画像が動き始める。
小野寺は、狭い部屋で自撮りしているようだ。目が血走っている。身振り手振りを加えながら、何かを熱心に語っている。それをムービーカメラに向かって1人で行っていると思うと……ぞっとさせられる。
耳に音声が入った。
『……は許せない! 絶対に許せるものか! そうだ、死体の罠はもっと増やそう。奴なら、まずどこからメスを入れるか……? 罠があると分かっていれば、通常の行程では進められないはずだ……コードを巻きつければいい! 内臓をぐるぐる巻きにしてやる。それに……麻酔だ! 胃の中にはセボフレンだ! 他にもたっぷり罠を仕込んでやる! 秋月め、ざまあみろ! 自分が何をしでかしたか、思い知るがいい……』
私は東海林を見て、声を出さずに言った。
〝もういい。音を止めて〟
声を聞いて、全てを理解した。もはや、疑う余地はない。小野寺は完全に狂気に蝕まれている。熱に浮かされたような画像と音声との微妙なズレが、余計に不気味さをかきたてる。
この遺体を作った犯人が小野寺であることは最初から分かっていた。なのに、この失望感はなんだろう……。
背筋が寒くなるような、悔しくてたまらないようなこの感じは……。
恐怖や憎しみではない。大事なものを失った喪失感――なのだろうか……。私は心のどこかで、まだ小野寺に人間的な心が残っていることを期待していたのだろうか……。
友人だったことはあるのだ。少なくとも私は、そう信じていた。
だが、それでも私は小野寺を追い込んだ。小野寺を狂わせた。小野寺は狂ったまま、10年間も私を憎み続けてきたのだ。その憎しみで、小野寺自身が10年という人生を失ったのだ。医師として、研究者としての稀有な才能を、無駄に費やしてしまったのだ。私が、費やさせてしまったのだ。
私はあの時、どうすればよかったのだろうか……。
もしもほんの少しの幸運が加わっていたなら、小野寺の歴史は栄誉と賞賛にあふれたものになっていたかもしれないのに……。
だが、同情は禁物だ。起きてしまったことは変えられない。小野寺は私を恨み、雅美までを殺めようとしている。小野寺を倒さなければ、雅美は救えない。
救わなければならない。
闘うんだ!
私は東海林を見た。
〝小野寺は……他の罠の内容も記録していましたか?〟
『いいえ。今の部分以外は、具体的には録画されていませんでした……』
やはり自力で立ち向かなければならないようだ。止むを得ない。解剖を再開しよう。
心臓と肺の、どちらから処理していくべきか……? あえて、理詰めで考えようと努めた。小野寺への感情で、集中力を乱してはならない。
答えはすぐに出た。心臓だ。
心臓の裏側に異物を固定するには、結合組織を切開する必要がある。当然、手術の難易度が上がる。今はその手術痕も癒合していて、異物の摘出はさらに困難さを増している。だからこそ、先にしなければならない。
私の集中力がいつまで持続できるか不安だからだ。しかも、持病の心臓病が発作を起こしそうな気配を感じる。
私の心臓にもタイムリミットが設定されてしまったらしい。
自らを鼓舞するように宣言した。
「最初に、心臓近くの異物を取り除く」
まずは、異物に近づくのが先決だ。メスでゆっくりと結合組織を切り進めながら、スペースを拡大していく。異物を引き出せるまで、傷口を大きく開かなけれはならない。異物を埋めた手術痕をなぞるように切っていく。罠が仕掛けられている可能性はあるが、その危険を避けるわけにいかなかった。
他に、アプローチできるルートがないからだ。
だから切開のスピードは、一段と遅くなった。
大動脈や心臓自体にも、鼓動を制限しない程度にコードが緩く巻かれている。コードのうち数本は、治癒した傷口に包み込まれてどこにつながっているのか分からない。それらを傷つけないように神経を集中させながら、さらに切開を続けていく。
見えた……。切り開いた傷の奥に、ビニールに包まれたケースの一部が見える。今のところ、悪意の罠は発見できない。
さらに心臓の位置を自由に動かせるように、メスを細かく動かしていく。癒合した傷の中にいつ危険な配線が現れるか予測できない。うっかり切断しないように、わずかずつ進むしかないのだ。
そしてようやく、結合組織を切開し終えた。これからが本番だ。
両手をゆっくり差し込みながら、心臓を持ち上げていく……。心臓を挟み込むような形になっている肺にも、余分な力をかけるわけにはいかない。身体を傾けて顔を近づけ、そっと奥を覗き込む……。
心臓を包むコードの多くは、両端が断ち切られてどこにもつながっていない。だが、本数が多すぎて、全てのコードがダミーだとは断言できない。安全を考えれば、むやみに取り外すことはできない……。
心臓の裏に、胃にあったのと同じ形のケースが縫い付けられている。厚手のビニール袋に入って、四隅をコードで固定されている。だが結び目が、見える位置にあった。
つまり心臓自体ではなく、背中側に縫い付けられているのだ。両端が短く切り揃えてある。目視できるコードは切断しても大丈夫だろう。
胃壁と違って、この場所なら磁石の仕掛けを潜ませることもできないはずだ。
「心臓の裏の異物を摘出する」
メスをハサミに持ち替える。
過度な力をかけないように細心の注意を払いながら片手で心臓を浮かせ、できた隙間にハサミを差し込んでいく。
臓器を大きく動かせない分、自分の身体をねじって位置を変えながらコードを切っていく。4カ所を切断すると、ケースをゆっくり引っ張る……磁石の抵抗のような力は感じなかった。
そのまま異物をアルミのバットに取り出す。ビニール袋の穴の一カ所に、切ったコードが外れずに引っかかっていた。それをつまんで取り除く――。
ん?
その時なぜか、かすかな違和感を感じた。
なんだろう……?
バットの中をじっと見つめた。ケースを入れたビニール袋は、胃にあった物と瓜二つだ。中のケースも、色も形も同じにしか見えない。
どこかに違いがあるのか?
何が変なんだろう……?
分からなかった。だが、大きな意味があることだとは思えない。たぶん、気のせいだろう。モルヒネかナロキソンが原因の心理的な変調かもしれない。すでに時間を浪費している。もたもたしている余裕はない。
先に進もう。
今度のケースは、迂闊に開けるわけにはいかない。
最初に、ワゴンの下から透明な袋を取り出した。幅が40センチほどの、医療用ポリエチレン袋だ。使用後の医薬品などを廃棄する際にも使う、強度が高い製品だ。当然、密封性も高い。ケースを包んだビニールを切って中身を出すと、それを袋に入れて太いゴムバンドで縛って封をした。
何か一つ作業を進めるたびに、息を詰めては、長いため息を漏らす。ケースの蓋が突然開きはしないかと、緊張が続く。
不本意だが、震える手は隠しようがなかった。
小野寺もこの行程を見て、楽しんでいるだろう。
私が怯えながら作業を進めているのを見て、笑っているだろう。
笑うがいい。
だが、二度と同じ間違いはしない。中に何が入っているか分からないのだ。今度は本当に危険な放射性物質かもしれないし、空なのかもしれない。解剖を終えるまでは、すべての罠が命に関わるものだと考えて行動するしかない。
「袋の中でケースを開ける……」
ポリエチレン袋の上から、中のケースをつかんだ。袋越しに、ゆっくりと蓋を開いていく。ケースの中身が爆発物でなければ、とりあえず袋から出ることはないはずだ。だが、爆発すれば私の頭は吹き飛ばされるかもしれない。
両手の震えは止められない。息が苦しい……。
これは、モルヒネのせいだ。まだ効果が消えていないんだ。
そう、自分に言い聞かせた。
さらに、蓋を開く――。
最初のケースと同じだった。中程まで開いたときに蓋がはじけ、白い粉が舞った。ただし今度は、粉をポリエチレン袋の中に封じ込めている。問題は、中身も同じかどうかだ。
蓋の裏側を見る。
同じではなかった。
円を三つ重ねたような、禍々しい警告サイン――このケースに記されていたのは、まさにバイオハザードを警告するマークだった。
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